「親と子 - 沼口満津男」93年度新鋭随筆家傑作撰から

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「親と子 - 沼口満津男」93年度新鋭随筆家傑作撰から

私には二人の男の子がいる。
将来のことを考えると、私は医者になることが最善であると思った。そのことを私は二人の子供にいいきかせ、医者になるための教育をうけさせて、育てあげてきた。
一人は小児科医、一人は歯科医である。将来は三人で病院を作ることを、私は夢みていた。しかし、その夢をはかなく砕き去る事件がおこった。
私は、七、八年前パリーに留学していた長男をたずねたことがあった。私の長年の夢と老後の相談のためであった。しかし、パリーを去る日におこったつまらない出来事は、私の計画を完全にぶちこわした。
長男が外国で精神的・肉体的に荒んでいたことは分かるが、別れる間際に食事をする、しないという些細なことで言い争いになった。私達夫婦は、見知らぬパリーの町角で長男と別れ、たまらない寂寥感を覚えた。
翌日、パリーのド・ゴール空港に現れた長男は親にあやまろうともしなかった。このような性格では将来を托する気持ちにもなれず、同時に父親としての義務が終わったことを私は感じた。
また、あるとき次男が、今いちばん気になるのは自分の子供であり、、次に女房、三番めが親である、と妻に言った。このことばを妻から聞いたとき、人として当然のことばであると、私は思った。しかし、私の心のなかに親としてのむなしさと悲しみが走った。
このとき、私は親とはなにかをつくづくと考えさせられた。親は終生、子供を扶養する義務があるのだろうか。親とは?子とは?深く考えてみる必要がある。
親の愛は普遍である。親は子供の独立に際して手助けすべきであるが、それ以上は子供がひとりで苦しみ、悩みながら自分の家庭を作りあげ、親ばなれしていくべきである。また親も子ばなれしていくべきである。子供が大学を卒業して、一家をなしたその時点で、親に扶養される権利は消失する。一方、親としても、子供に扶養される権利があると思うのは間違いである。
無報酬の愛は、結果を望むために与えるものではない。子供が親の老後をみるのは、自然発生的におこる心によってである。親の方にしても、子供より独立し、依頼心のない非情の心をもつことが重要であろう。子供にべたべたして悲劇をおこすのは、親と子相互にたよろうとする心があるからである。
そう気づいた時、私は息子達に頼らず、妻と二人で生きていく決心をした。パリーでの胸の嵐はいつかおさまっていた。
究極的にみると、親は子を育てて老いていく。天秤にたとえると、初めは親の方が重いが、その後、あらゆる面で子供の方が重くなる。親は健康・生活・権威を次第に失って死んでいくのではないだろうか。ちょうど、夏の日、土の中からはい出て、その日のうちにすぐ死んでいく蝉、しなやかに飛び回る夏の夕べのかげろうが朝[あした]にはかなく死んでいくように、親は年老いて自らの生を全うするのであろう。