「安心して、死ぬために(抜粋2) - 矢作直樹」扶桑社 から

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「安心して、死ぬために(抜粋2) - 矢作直樹」扶桑社 から

 

ピンピンコロリと逝くために

ピンピンコロリというのは、多くの人の理想ではないでしょうか。昨日まで普通に暮らし、次の日の朝、起きてこなかった。私もそれが理想です。しかし、そうならなくても、もちろんいいと思っています。
これは強がりで言っているのではなく、なにに対してもそう思っています。なにかを望むとき「そうなったらうれしい。でも、そうならなくても大丈夫」という気持ちです。
ところが、みなさんが望むピンピンコロリはなかなかできないというのが、今の日本です。介護がいらない健康寿命は男性で72歳、女性は75歳です。平均寿命は男性81歳。女性は87歳ですから、介護が必要になってから男性で9年、女性は12年あることになります。これは世界でも類を見ない数字です。
このギャップを限りなくゼロにするのが、ピンピンコロリ活動です。健康寿命を延ばすことは大事ですが、自然死を促すことも必要だと感じています。詳しくは第六章で述べます。
健康寿命を延ばすポイントとして、みなさんご存じのとおり食事、運動、睡眠が挙げられます。私がここで重ねて言うことは避けますが、一つだけアドバイスがあります。
それは食事についてです。なにを食べるかにこだわりが強い人が多いようです。世間には「○○は身体にいい」という情報があふれています。もちろん、バランスのよい食事は理想ですし、無農薬の野菜で手作りができれば、よりいいでしょう。
しかし、私も含め単身者は出来合いの総菜を買ったり、外食も多いと思います。学生は、コンビニ弁当のお世話になる人もいるでしょう。そのときに、出来合いのものしか食べていないからと、罪悪感を持って食べないことです。
食事はなにを食べるかではなく、どう食べるかです。なにを食べても感謝の気持ちで味わっていただく。これが食事の基本だと思います。よく噛むことも無料でできる健康法です。
どう食べるかをおろそかにして、なにを食べるかだけにこだわっている人はかえって病気を引き寄せるかもしれません。なにを食べるかという「こだわり」は不要なのです。大切なのは感謝の気持ちを持ち、おおらかな気持ちで、味わっていただくことです。
私は、肉食はしませんが、好みは人それぞれです。自分がいいと思ったものが必ずしも、他人にいいわけではないからです。身体が肉を食べたいと言っている人は肉を食べたらよいのです。こういう心持ちになることも、おおらかさを示すひとつです。
おおらかな気持ちと感謝の気持ちは、食事だけに必要なものではありません。すべてにおいて、この二つの気持ちはピンピンコロリにつながります。
おおらかさと感謝の反対は、こだわりと不平不満です。独特のこだわりがあって、それにもそぐわない人やモノを見ると、不平不満を言う。どうでしょう、あなたはそうなっていませんか?
正義感も、ときには厄介なものになります。私の知人で「赤信号を渡る人は不正をする人だと思います」と言った人がいました。その人は確かに、立派で真面目で不正など絶対にしない人ですが、自分の尺度を他人に当てはめています。きっと、赤信号を渡る人を見ると、腹を立てたり、バカにしてしまうことでしょう。「自分は赤信号を渡らないけど、他人が渡っても気にしない」という気持ちのほうが病気になりにくいと思います。なによりも、心が穏やかになります。
ピンピンコロリと死にたいのであれば、生きているあいだは、おおらかな気持ちと感謝の気持ちが大切です。

 

家族がいてもいなくても、リヴィングウィルを作っておく

リヴィングウィル」という言葉を直訳すると「生前の意思」となります。終末期の医療やケアについて、判断能力があるうちに、延命治療の要・不要を含め、自分の望む治療方法を示しておくという意味です。「事前指示書」と呼ぶ場合もあります。
厚生労働省では2007年に「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を作成しました。自らが希望する医療・ケアを受けるために、医療・ケアチームや家族との話し合いを促しています。そこでは「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)〈ACP〉」という言葉を使っていますが、要するに自分の意思表示をしましょうということです。
ガイドラインを作成した背景は、前年の2006年に、富山県の病院が終末期の患者の呼吸器を外したことに対して、警察の捜査が入り、事件化したことがあります。
その後、日本救急医学会をはじめ、さまざまな団体もガイドラインを作り、延命治療を中止しても警察沙汰にならないように配慮しました。
ただし、リヴィングウィルに法的効力はありません。したがって、本人が延命治療を望んでいなくても、病院が延命治療をする場合もあるでしょうし、生きていて欲しいと願う家族が延命治療を希望する場合もあるでしょう。
そうなった場合、患者さんは托鉢の精神で延命治療を受け取り、みなさんにお任せするしかありません。しかし、リヴィングウィルを書かなければ、延命治療のフルコースを受けることになります。無駄な延命治療を受けたくないと思っているのでしたら、やはり意思表示は重要です。
118ページに、リヴィングウィルの例を示しました。
リヴィングウィルは、できるだけ具体的なもののほうがいいでしょう。「延命治療をしないでください」と書いてあっても、点滴から人工呼吸器までさまざまなものがあります。医療する側が迷わないような書き方のほうが、実効性は高まります。
遺言書と同じで、署名・捺印・日付は必要です。できれば、立会人として家族の署名・捺印があればさらにいいと思います。
なにより大切なのは、気が変わったら、すぐに書き換えるということです。だれに遠慮することはありません。毎年、誕生日に見直すでもいいでしょう。あるいは、実際に病気になって入院するときに、書き終えたリヴィングウィルをもとに、前述したアドバンス・ケア・プランニングを医療チームや家族と話し合うこともいいでしょう。
それではリヴィングウィルはだれに渡し、どこに保管すればいいのでしょうか。
同居の家族がいる人は家族に渡します。それだけでは不十分と思う場合は、かかりつけ医に渡しておくことをお勧めします。かかりつけ医の重要性は後ほど述べますが、延命治療を望まない場合には彼らの協力が大きなものになります。
家族がいない人もリヴィングウィルを書いて、友人かかかりつけ医に渡しておくといいでしょう、そして保険証と一緒に、わかりやすいところに保管しておきましょう。私は冗談半分で言うのですが、「いよいよ終わりが近いと思ったら、リヴィングウィルをカードにして、首から下げておきます」と。ちなみに、私はリヴィングウィルの控えを友人に預けています。
みなさんも、家族がいる、いないにかかわらず、友人、かかりつけ医、自治体などと連携をとって、延命治療についての考えを表明しておきましょう。
もしリヴィングウィルを書くことができなくて延命治療のフルコースになっても、心配いりません。どんなに延命してもいつかは、きちんと死ねます。多少、足止めを食らったとしても、あの世へいけば、すべて楽しい思い出になるのですから。

 

「延命治療とは、どんな治療か知っておく - 矢作直樹」安心して、死ぬために から

延命治療に厳密な定義はありませんが、ここではこれ以上の治癒は見込めず、意思表明ができない人に対しておこなう死期を引き伸ばしとします。治療にはさまざまな方法があります。
心臓が止まると、心臓マッサージ。呼吸ができないと、人工呼吸器。口から食べられなくなると、胃瘻や点滴による人工栄養。腎臓の機能が低下すれば、人工透析。輸血や点滴も治癒の見込みのない人におこなえば、それは延命治療となります。
生物としての寿命がきているのに、医療技術を使い、少しだけ死期を延ばす。早くあの世にいってラクになりたい人から見れば、これらの延命治療は拷問ともいえます。延命治療に関してのさまざまなアンケートを見ても、ほとんどの人は延命治療を望んでいません。それにもかかわらず、自分の親や配偶者に延命治療を望むのは、どうしてなのでしょう。
愛する人を失いたくないという気持ちはわかりますが、自分がされなたくないことを親族にしないというのが、ひとの本分なのではないでしょうか。
胃瘻や点滴をしても、死にゆく身体は過剰な栄養や水分は処理しきれません。かえって、身体に負担をかけ、場合によっては痛みを伴うこともあるでしょう。やり続けていくと、顔や身体が不自然に変わってしまうこともあります。そして、やがて呼吸をするのもたいへんになっていきます。
繰り返しになりますが、死ぬことができれば、魂は肉体から解放されて、気持ちのよいところへいくことができるのです。死期を引き延ばすことは、マラソンのゴールをどんどん先へ延ばされるようなものなのです。
ただ、ガンの場合はステージが進むと、7割ほどは痛みや苦しみが伴うといわれています。ですから、私の弟が受けたような緩和治療はとても大切になってきます。
患者本人にとって、痛み苦しみが緩和されるということは、死に対する恐怖心もなくなってきます。実際に私の弟も「自分が死ぬことは怖くない。でも、○○(妻の名前)のことだけが気にかかる」と、心穏やかに話していました。
緩和治療というとホスピスなど、終末期のケアをおこなう専門施設を連想されるかもしれませんが、今は多くの病院でもなされるようになってきました。今後はさらに適応が広がることを期待しています。
緩和治療の話をすると、安楽死についての質問をよく受けます。
緩和治療と安楽死はどう違うのでしょうか。まず安楽死は現在、日本では認められていません。もし医師が手伝えば、殺人や自殺幇助の罪に問われます。しかし、海外ではスイスやオランダ、アメリカの一部の州で認めているところもあります。世界でも考え方はまちまちだということです。日本でも「安楽死制度を考える会」があり、日本に安楽死を認めさせようと運動しています。終末医療のあり方は、日本に限らず世界の中の問題ですから、いろいろな議論がされるのはいいことだと思います。
私の意見は、安楽死に反対です。緩和治療を進めていけば、苦痛を取り除くことができるので、その方法でいいと、思っています。なにより、寿命は、自らが決めてこの世にやって来るのです。寿命が来るまで、魂を成長させて、お迎えの来る日まで生きていくのが、ひとの本分なのではないでしょうか。