(巻二十九)秋袷夫買ひくれしを大切に(稲垣光子)

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(巻二十九)秋袷夫買ひくれしを大切に(稲垣光子)

6月9日水曜日

午前、細君に連れられて生協で買い物を致す。5%の割引券を使い175円引となる。割引券は当日有効なので午後も散歩のついでに米やお茶などを買い155円割引いてもらった。

路傍の立葵を一撮。

貧乏に匂ひありけり立葵(小澤實)

本日は三千八百歩で階段は2回でした。

扇風機をセットした。まだ夜は要らないが昼寝にはあった方が助かりそうだ。掛け布団も夏掛けに変えた。

願い事-叶えてください。

花こぶし汽笛はムンクの叫びかな(大木あまり)

という句を随分前に巻二十一に書き留めていた。書き留めたときは何の考えもなく書き留めたのだろう。同じように、『「老」の微笑-中村光夫』も随分前に何となく書き留めたようだ。

昔はものをおもわざりけり、だなあ。

今日、以下を読んで改めてそう思った。しかし、逆に云えば10年も20年も前から老境が判っていたらそれは苦痛だ。知らぬが仏だ。

「ちかごろの感想(一部抜書) - 山本健吉」日本の名随筆34老 から

老年の居場所とは、もっと安らかなものだと思っていた。だがこれはどうやら私の見込違いであったようである。老年とは、その人の生涯における心の錯乱の極北なのである。このことは、自分で老年に達してみて、初めて納得することが出来た。

老年に平安があるとは、私はどうしてそう信じていたのだろう。たぶん昔の人の老年期の生活を、青年期、壮年期の人生の波濤をくぐり抜けた果ての、到り着いた安らぎの地と、漠然と思いこんでいたのであろう。そう思わせるものが、昔の人の記録にはあった。たとえば鴎外の「ぢいさんばあさん」には、それまで何のよいこともなかったような老夫婦が、七十歳を過ぎて到達した隠居所での平和な生活が、次のように書かれている。

「二人の生活はいかにも隠居らしい。気楽な生活である。爺さんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉を打つて拭く。体を極めて木刀を揮る。婆あさんは例のまま事の真似をして、其隙には爺いさんの傍に来て団扇であふぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあふぐうちに、爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しさうに話すのである。」

老年期の隠居所での生活は、一般的に言ってほぼこのようなイメージをもって、私たちには描かれていた。人生の終着駅が、もしそのような安らぎをもたらさないものであったなら、人びとにとって、生きる目標とは何なのか。それは生きがいの喪失になりかねないのではないか。

隠居制度が失われ、老人福祉制度がまだ形をなさないという谷間に、長くなった老年期の生き方が問われている。もっとも、このような制度が備わっていたからといって、本当の老年期の安らぎがえられるとは、考えない方がよいかも知れない。あの「ぢいさんばあさん」のような生活は、如何にも気楽かも知れないが、それは第三者の言うことで、当人たちの内面に立ち入ってみれば、どのような黒い妄念が渦巻いているかも知れない。またスウェーデンにおけるような完備した老人福祉制度の国で、老人たちは生活の安定が保証されていればいるほど、深い孤独地獄に陥り、若者は若者であまりにも井然と整えられ、あまりにも細部にわたって予定された生涯のコースに対して、造反を試みているという。老年期における生活の安定が、生の目標となりうることに、青年は懐疑的である。

老人の苦しみは、青年期には予想もしないところに現れてくる。長い老年期とは、言わば夜の長さだが、老年の一日は文字通り夜の長い一日である。闇の中にいろいろな妄念が起っては消え、いろんな形の魑魅魍魎が駆けまわる。寝そびれた夜や、まだ暗い明けがた目を覚ましていての苦しみについて、中村光夫氏が書いていたことがあるが、それは老年に足を踏み入れてみて始めて分ることだ。モンテーニュが、老人は過去の想い出にふけり、想像と夢想の中で自分を楽しませ、老年の悲しみを策をめぐらしてまぎらわす、と言っている。それが楽しい想像の域に止まっていればよいが、それは多くの場合、苦しい妄念に急変する。