(巻三十)鰯雲飛行機雲を許したり(蛭海停雲子)

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(巻三十)鰯雲飛行機雲を許したり(蛭海停雲子)

7月28日水曜日

細君は生協へ。細君が戻って、私はクリーニングのupに出かけて、それで午前中が終わる。

過日ネットでエピキュラスのことを読んだが、その名言の和訳が『死という迷信-定方晟』の中に出てきた。

《死のことを考えてどうするのかという意見がある。人間は生きていることだけ考えればよい、死んだときには人間はもはや存在しないのだから、と。古代ギリシャの哲学者エピクロス(342-271BC)もそのようなことを言っている。

死はわれわれに無関係である。なぜなら、われわれが存在するときには死は現在せず、死が現在するときにはわれわれは存在しないから。

しかし、忘れてならないのは、エピクロスがそれを言ったのは、かれが死を考えなかったからではない。死について熟慮した結果、この結論を得たのである。「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と言った孔子も、この意味、決して死を忘れた人ではないだろう。》

https://epicurus.today/the-epicurean-attitude-to-death/

写真は図書館から借りてきた『 日本の名随筆52「話」』の巻頭画です。この随筆集のなかに《女湯の女の会話-杉本つとむ》が採録されているためでしょうか。

女湯の暖簾駆け抜け夏来る(川里隆)

夕方散歩、アジフライで角打ちとLowsonを目指したが、アジフライは売り切れだった。イカフライはあったが噛みきれない虞があり自重した。結局コロッケでの一杯となった。つまらないことにでも幸せを見つけて老人性うつ病から一刻でも逃れるのだと吉本隆明も言っている 。コロッケと缶酎ハイで一時的に幸せ。

本日は三千七百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。苦しめずに叶えてください。