「勝負と記憶力 - 畑正憲」日本の名随筆別巻56賭事から

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「勝負と記憶力 - 畑正憲」日本の名随筆別巻56賭事から

勝負に記憶はつきものである。同じレースは二度とない競馬でさえも、馬券を買う際、いつかバカ当たりした連番号を憶えていてそれに左右されたり、かつて頭に来た馬の名の微妙なひびきに左右されたりする。
妙なもので、大勝ちをする時はそれがよく当たる時でもある。記憶そのものが天の運みたいなもので、賭けようとする行動とピタリ合ってしまう。
ところが、純粋に記憶そのものが役に立つ場合がある。さる週刊誌に福地泡介さんが、パイを憶える必要性を説いておられた。そして、その後、久しぶりの麻雀で勘がうまく働かず阿川弘之さんに大惨敗をしたと告白している。
私の診断によれば、その敗因のいくぶんかは記憶力にあるようだ。
学生時代、心理学科に進んだ友人がこう教えてくれた。
「記憶力と言っても、二つのタイプがあるのだよ。一つは視覚型。一つは聴覚型。視覚型の人間はだね、見ることが記憶につながっていく。いわば活字人間で、黙読しただけでものを憶える」
「ほほう。そう言えば思い当たるぞ。下宿のとなりの部屋にいた男が、試験が近くなると本を声を出して読みやがってうるさくてかなわぬことがあったけど、やつは典型的な聴覚型だな」
「そうだよ。同級生に『少年期』で有名なHさんの長男がいてな、こいつがすげえ視覚型の天才でね、記憶力テストのカードをペロリと暗記してしまうのさ。それで、満点だと恥ずかしいから適当に減点しといてくれと頼みやがる.....呆れた野郎だよ」
そのテストというのは、百枚のカードの表に自動車や船の絵があり、その裏には意味のない単語が書いてあるものだそうだ。たとえば、表が船、裏がケニ、というようになっているわけだが、これを一枚につき一秒ずつで見ていき、終ったら表を見て裏の言葉を当てるのだという。
どちらかといえば、私も視覚型だった。有機化学の試験の時など、自分で自分の記憶力に驚いたほどだが、学問や頭の良さとはまったく関係がない奇妙な記憶にとまどったおぼえが何度かある。
試験問題に複雑な反応式が出題されたとする。と、読んだ本の右肩にあるページナンバー、活字など、つまりそのページのすべてが再現されてくる。極端な場合には、そのページに掲げられているテーブルの中の細かな数値まで現われた。
動物学の場合だと、意味がわからないラテン語のスペルまで憶えていたし、神経繊維の名前など見ているうちに憶えた。
その代わり、耳から入る情報にはまったくうとかった。
電話を受ける。
「はい、そうですか。なるほど」
そう言って切る。聞いている時には、なにこの位憶えているさと思っているが、切った途端に忘れている場合があった。
音痴であるのもそのせいだろう。私の歌は口にする度にまるで違った曲になっている。
さて、この記憶力の二つのタイプは、使いようによってはそれぞれ長所を発揮するが、勝負事には視覚型の方が向いている。特にカードや麻雀では、福地さんが指摘するように大きな力を発揮するからだ。
私は師匠に、
「麻雀をしようと思うなら、自分のヤマを徹底的に記憶しなさい。それが出来たら、普通の人にはほぼ絶対に負けないから」
と教えられた。

この有利さは計り知れない。一つは、自分のヤマが配られてしまった場合、字パイやポイントになるパイがわかっているので、救われることが多い。七対子での地獄待ちを見破る時などにはこの上もない。
一つは、安全パイを読むのに役立つ。自分の手に十三枚、それから捨てられたもの、それと自分が積んだ三十四枚があるのだから、安全パイを読む範囲がぐんと拡がってくる。
従って、リーチとたたかうことが出来る。勝つためには、これが大切である。ちょっと上手い人の中には、
「なんといってもリーチは強いよ。リーチがかかった時手が悪かったら、無理をしてはいけない」
と説くものがいるが、これは団体競技であるのを知らない人だ。誰かリーチをし、自分の手が悪い時こそ、危険パイを振り、相手に当たらないパイの種類を増やさねばならない。というのは安全パイの数が増えることにより、他の二人が安上がりをしやすくなるという寸法である。リーチをかけ、わざわざ点数を多くしようとしているものをのさばらせて良いわけがない。
そういうわけで、自分が積むパイを憶えてしまえば、約十倍だけ麻雀が強くなる。それでも尚余裕があり、他の人が積むものにまで目がまわればプロ級である。
視覚型の人間にとって、これはそう難しいことではない。訓練次第では一種のカメラの役割を演じ、パッと見るだけで、ほとんど正確に記憶出来るようになる。
碁や将棋の達人も視覚型だ。二百手から三百手近い手順をものの見事に記憶してしまう。これは音によるものではなく、平面的な型の記憶である。
だから碁や将棋の強い人は、麻雀も強いはずだ。有名人の大会など、ここ一発のトーナメントなどの時に、将棋の高段者が優勝したりするのは、形の記憶力がすぐれているためだと私は考えている。
さて私の推論に移ろう。
福地泡介氏はマンガ、つまり映像を頭に描く職業を持つ.....ということは、はっきり視覚型の記憶力を持っている。素質はとめかくとして、そういう職業的なトレーニングをつんでいる。だから、麻雀は強いはずだ。
ことに、ポッカリ閑になって、三日とか四日という単位で十分に打込んだ状態では、一見無器用で野放図に見えるが、負けない麻雀をするのではなかろうか。セオリーを無視しているようで、人が読んでいないツボを押えているはずだ。
しかし、なにせ忙しい人だから、続けて打つ閑がない。一ヶ月も間を置くから、前記の惨敗を喫することになるのである。
ご本人は勝負勘がにぶったせいだと結論されているが、私はそれだけだとは思わない。麻雀パイのパターンの記憶力が減退しているせいだと診る。
これの妙薬は、ただ麻雀パイあるのみである。積んでは崩し、崩しては積むうちに、自然と記憶力がよみがえってくる。忙しくてそれが出来ない時には、勝負の場にのぞむ前にパイを表にし、そのいくつかを手元に引寄せる動作をするだけでずいぶんと違ってくる。だまされたと思って、準備運動をして出かけていただきたい。