「六十五歳以上はきっと悲しいと思う - 北方謙三」生きるための辞書から

 

「六十五歳以上はきっと悲しいと思う - 北方謙三」生きるための辞書から

スポーツでは、若い連中に到底及ばなくなった。足腰の持久力、心肺機能の低下と、いろいろあるだろう。確かなのは、そういうものを気力で補うのは、ある程度で限界であることだ。それ以上やると、躰が毀れる。場合によっては、死んじまう。
私が唯一、まだ若い者と同等にできそうなのは、居合抜きだけである。抜き撃ちで巻き藁を斬り飛ばす。それをできる者は少なく、有段者でも難しいと言われる。両手で袈裟に斬るというのは、大抵できるようになるが、抜き撃ちは右腕一本になり、しかも横一文字の刃筋はきわめて難しいとされる。私は、全身の力を抜いた状態で、それができるようになった。
ただ、抜いて斬り飛ばすまで無酸素運動で躰にこたえる。抜き撃った刃を返し、右袈裟、左袈裟と続けると、気分が悪くなってくるほどである。新しい技などには、とても挑戦できないな。抜き撃ち横一文字を、磨くだけしかないのだ。
私は、別のことをはじめようと思った。映画は、ほとんどがDVDを買う借りる、試供盤を貸して貰う、小屋へ出かけて行って観る。その程度であったが、私の欲しいと思うセルDVDは、五千円以上、下手をすると一万円を超えてしまうのである。
インターネットを遣えば、かなり自由に映画を観ることができるとは知っていた。ただ、私はネットというものと、できるだけ無縁で暮そうと思っていた。必要なことは、事務所の女の子たちにやって貰えばいい、と思っていたのだ。
私が映画を観るのは海の基地で、そこは私の城だから、すべて独力、女の子たちの手は借りない。インターネットで映画を観ようと思った時も、はじめから勉強した。まずWiMAXというものを遣おうと思った。カバーされている地域に、間違いなく海の基地が入っている。それを表示されている地図などで確認して、ルーターなるものを手に入れた。
しかし、WiMAXの電波をキャッチするはずのそれは、役立たずだった。海の基地には、WiMAXの電波が届いていない。地図で何度も確認したのに、遣えないのである。そんなことがあっていいのかと、ルーターを私に売った会社に文句を言おうと思った。しかし海の基地は、地上波のテレビも入らないらしい。それこそ好都合だと、私はテレビを置いていないのだ。テレビさえも映らない、崖の下で前が海という地形なのだ。諦めるしかない。こんな場合、地形を変えるわけにはいかず、諦めこそが肝心である。ルーターを売った会社の弁明ぐらいは聞いてみたいものだが。
別の方法を考えた。海の基地の前まで光回線が来ている。それを基地内にこめば、私が映画を観る空間に、Wi-Fiが飛び交っているという状態が作れる。私は、日本を代表するような、IT企業ね関連会社の窓口に電話をした。申し込みは受けつけてくれるという。生年月日を訊かれ、費用の説明を執拗なほど受け、親族認承がどうのと言われたので、そんなものは秘書でいいだろう、と言った。では、秘書の方のフルネームと連絡先をと問われ、私はそれを教えた。もうひとつ、別なところに電話が繋がりますと言われ、待っていると男性が出て、同じような工事費用や使用費用の説明を受けた。私は途中でうんざりしたが、ええ、とそうですをくり返した。するとまた、別なところに電話が繋がると言われ、待っていると女性が出た。同じ費用の説明に終始し、私もうんざりして、すべていいですよ、と言い続けた。その間、実に四十分もかかったが、契約できます、という言葉を得た。ほっとしたな。私の映画環境を、これで劇的に改善できる。しかし最後に、六十五歳以上の人には、親族認承が必要です、と言われた。
私は、じたばたした。というより、言われた瞬間に、ちょっとした衝撃のようなものに襲われた。自分は、親族の認承がなければ、こんなこともできないのか。保証人が必要です、と言われた方が、ずっとましだった。親族は何親等までだとか、この年齢まできちんと税金を払って、市民的に恥しいことなどしていないとか、かなり激高して言い募ってしまった。女性は会社の制度です、と言い続けるばかりであった。それじゃもういい、と私は話のすべてをぶちこわしてしまった。
私には、娘が二人いる。どちらにも、認承しておけとひと言いえば、はいという返事が返ってきて、それですべてが終っただろう。
しかし私はなぜか、では娘が認承します、と言えなかったのだ。なぜ、言えなかったのだろうか。多分、私は傷ついたのだ。親族の認承が必要な年齢だと言われたことに、傷ついた。私の反応が過剰だと、君は思うか。
年齢を理由に、やろうとしていることを遮られる。これを認めていたら、私の感性は徐々に鈍くなっていくような気がする。保証人などと言うより、親族認承の方がずっと簡単だろう、とその最大手のIT企業は考えたのだれうが、私は傷ついたぞ。無神経ではないか。天涯孤独な人にとっては、差別ではないか。
どうせ若い者を相手に商売をやっていて、老人を信用してやがらねえ、などと私はほざき続けたが、実に久しぶりに傷ついたのも、確かなことなんである。街で、よく怒っている人間を見かけ、それは大抵爺で、あんなにはなるまいと常日ごろから自分に言い聞かせているが、私はなっているのだろうか。
もともと、ネットやツイッターフェイスブックなどとは、無縁で生きようと決めた。なのに光回線などと考えたのは、ただ映画のためなのである。都合のいいところだけ利用しようとした私は、愚かなのか。しかし、都合の悪いものを利用しないのは、あたり前だろう。
それより、親族認承というのは、社会の通念なのだろうか。通念でないものを制度としているなら、時代遅れの会社だろう。
電話は、最初に、録音していますと言われた。私の雑言を浴びせられた女性は、ただ仕事をしただけなのに、かわいそうである。録音を聞いて、馬鹿な爺がいた、と思ってくれ。