「躁うつ病 - 春日武彦」私家版精神医学事典 から

 

躁うつ病 - 春日武彦」私家版精神医学事典 から

北杜夫
前項で触れた『島尾敏雄作品集(全5巻)』の全巻解説は評論家・奥野健男が担当しており、その奥野と麻布中学以来深い交友を保っていたのが北杜夫であった。北杜夫(1927~2011)は作家であると同時に精神科医でもあり、歌人精神科医斎藤茂吉の次男であった。東北大学医学部卒、慶應義塾大学医学部神経科教室に入局し、そこでは彼同様に作家であり精神科医の「なだいなだ」と一緒であった。1960年、『どくとるマンボウ航海記』でベストセラー、同年に「夜と霧の隅で」によって芥川賞受賞。以来、作家としては面白エッセイと純文学を書き分けつつ躁うつ病の持ち主として広く世間に親しまれることになった。
エッセイではあたかも自分がいい加減な薮医者であったかのように偽悪的に書き綴っているが、実際には誠実な医師であったようである。『どくとるマンボウ医局記』(1993)を読むと、彼の観察眼の確かさや精神医療に対する謙虚な態度が見えてくる。たとえば以下のような記述はどうだろうか(当時の精神科病院には、畳敷きの大部屋があってそこに多くの患者がたむろしていたものである)。

その頃から、私は大部屋に入るときは白衣を脱ぐことにした。白衣を着ていると、やはり権威である医者が来たと思われて、それまで話し合ったり独語を洩らしていた者たちが、ぴたりとおし黙ってしまうことが多い。あたかもそれは、森の中で戯れたり鳴いていたりしていた獣や小鳥たちが、人間が来たというので急に静かになるのと同様であった。
私は白衣を丸めて枕にして寝そべり、患者たちと同じ姿勢をとる。しばらくは静かなままである。だが、やがて深い森は息を吹きかえす。こちらではごくかすかであった独語が次第に虻の羽音ほどに高まってくる。あちらでは意味の掴めないおしゃべりがはじまる。獣も鳥たちも、私を自分らの同類と認めてくれたのだ。

ところで彼の純文学路線の作品群には、いまひとつ切実さというか物足りなさを感じていた。その理由に、つい先日必要があって読み返してみた際に思い当たった。
彼の小説から無力感はしばしば伝わってくるけれども(つまり主人公が無力なのである)。強烈な不安感が漂ってこない。そこがわたしには生ぬるかったのである。いや、不安感が希薄で無力感のみが横溢していると、それはむしろ読者として親しみやすい。無力感は設定に由来するものだから、抵抗なく受け入れやすい。相対化もしやすい。いっぽう不安感はたとえ主人公は不安を抱いていないように設定されていても、作者自身の不安が行間から滲み出ていることが多いから、不安感の色濃い作品には読者が「感染」したり共振してしまいかねない。不安が乗り移ってしまうのである。
そうした危うさがないぶん、北の純文学はシリアスであっても安心して読める。だがわたしにはそのような不安成分の少ない純文学は必要がないのであった。

 

躁うつ病
北杜夫躁うつ病であった。37歳で大作『楡家の人びと』を完成させた翌年あたりから調子が上がり始め、いきなり京都府山岳連盟の西部カラコルム・ディラン峰(ヒマラヤ)登山隊に医師として参加、39歳で本格的な躁状態となり大法螺を吹いたり株に手を出したりした。41歳では「うつ」となり、翌年は躁に転ずるといった調子で目まぐるしく病状は上がり下がりを繰り返していく。それなりに薬は飲んでいたようだが、コントロールはつかなかったらしく、そういった意味ではかなり重い躁うつ病である。
たんにうつ病のみが生ずる患者(これがもっとも多い。単極性と称する)、躁病のみを呈する患者(これは滅多にいない)、躁と「うつ」を繰り返す患者(いわゆる躁うつ病で、双極性と称する)-その3種類が躁うつ病領域には存在し、だが「うつ」の状態においてそれが単極性の「うつ」なのか、それとも双極性の「うつ」なのかは、症状のみから区別がつかない。単極性の「うつ」なのかと思っていたら、その後、躁が生じたために双極性であったと診断が変更される場合もある。
単極性と双極性とを区別するのは、治療に用いられる薬剤が異なるからである。また単極性は生涯でたった1回だけの「うつ」で終わってしまうことも少なくないが、双極性はかなり歳を取るまで症状が繰り返されがちなので、フォローの期間も異なってくる。心構えも違ってくるわけなのだ。
北杜夫は自分が躁うつ病(双極性障害)であることをカミングアウトし、むしろそれを自ら戯画化した。そのことによって精神疾患に対する世間の拒否反応が多少なりとも和らいだことは確かで、大きな功績と認められよう。だが、たとえば1981年(54歳)の躁状態においては世田谷の自宅を「マンボウリューベック・セタガヤ・マブゼ共和国」と定めて独立を宣言、国歌や国旗まで制定している。世間ではこれを困ったこととか異常なことというよりも、むしろ面白く茶目っ気のある振る舞いと見★した。躁病が往々にして反社会的行動に結びついたり(セクハラやパワハラ名誉毀損、詐欺、暴力など)、大損をしかねない行為(ギャンブルや投資、選挙に立候補など)に走りがちなところが生々しくアピールされなかったのは残念である。躁=ユーモラスと誤解を招いてしまった側面もあると言えよう、だから北が非難される「いわれ」は、もちろんないけれど。
うつ状態のときには、北は何もせずひたすら寝ていたらしい。精神科医として、いずれ病状が好転することが分かっていたからである。その点において彼は不調にはなっても絶望の底に突き落とされることはなかった。だから自殺を図ったりもしなかった。さらに、調子が悪いあいだは何もしなくても通用する(社会的にも金銭的にも恵まれた)立場にあった。だからこそ躁うつ病に悩まされはしたが、北杜夫はそれなりに病気と上手く付き合っていけたのである。