「大みそかの客 - 半村良」日本の名随筆20冬 から

 

「大みそかの客 - 半村良」日本の名随筆20冬 から

あれはとても寒い大みそかでした。私の一家はいろいろな事情から、小さな旅館をやらなければならなくなり、その年国電蒲田駅のすぐ近くに移り住みました。
全部で六室しかなく、しかもそのうちの三室は四畳半という、本当にみすぼらしい旅館でした。一番大きな部屋は私達一家の寝起きする場所に当てられていましたから、客用に使えるのはたったの五室です。
朝から強い風が吹いて、商店街の飾りつけもところどころ吹き飛んでしまう程でしたが、私達一家はなんとか餅を買うことができ、心細いながらもとにかく新年を迎えようとしていたのです。
何の用事だったかは忘れてしましましたが、私は昼少し前に駅へ行きました。
すると改札口のそばに、四十代なかばと言った感じのサラリーマン風の男が、しょんぼりと立っているのに気付きました。
たくさんの人が出入りする改札口のところで、なぜその男だけ特に気付いたかと言うと、私がちらりと見た瞬間、目から涙が流れ落ちたからでした。
私はドキリとしてあわてて目をそらし、しばらくしてあらまたその男を見ました。男は素早く涙を拭いたのでしょうか。もう何事もなかったような顔で、さりげなく立っていたのです。
それから三時間ほどして、私はまたその男に会いました。今度は駅前でなく、商店街の中でした。
彼はコートのポケットに両手を突っ込んで、ごく普通の態度で私とすれ違いましたが、私にはなんとなく行き場のない人のように思えました。
そして夜になりました。私の家で大みそかを過ごす客は、インチキ呉服の行商をやっている広島県の人が一人きりで、その客ははやばやと風呂に入り、帳場へ来てお茶を飲んで、とりとめもないおしゃべりに時間をつぶしていました。
八時ごろだったでしょうか。玄関の戸をあけて客が入って来ました。
「お部屋、ありますか」
応対に出た母にそう言っているのが聞こえます。
「はい、あいていますよ。大みそかですものね」
「じゃあお願いします」
きちんとした東京弁でなまりはありません。地方の人なら新年を旅館で迎えてもふしぎはありませんが、東京の人らしいので私はどんな客だろうと帳場からのぞいて見ました。
それは今日二度会ったあの男だったのです。私は何かひどく冷たいものに触れたような気がしました
客を部屋に案内するのは母かお手伝いさんの役でしたが、お手伝いさんは実家へ帰っていて、私がその客を案内することになりました。
一番安い、帳場のそばの四畳半へその客は入りました。
風呂に入り、薄汚い四畳半へ戻ったその客は物音ひとつ立てず、ひっそりとしていました。
とても気になる客でした。やがて広島の人も自分の部屋へ引きとって行ったので、私は母に言いました。
「あのお客さん、駅で泣いてたんだよ」
「どうして」
「知らない、でも俺、泣いているところを見ちゃったんだ」
「目にゴミか何か入ったんじゃないのかい、今日は風が強かったからね」
「そうじゃない。そんな涙の出しかたじゃなかったよ」
母はため息をつきました。
「大変だねえ、みんな」
私の一家もその年はさんざんな目に会って、新しい年にも大して期待はできない状態でしたから、母のその言葉には実感がこもっていました。
大変だねえ、みんな‥‥‥。

人にはそれぞれ、世の中の見方、考え方というものがあると思います。そのとき母が言った言葉は、いまでもそのまんま私の世の中に対する考え方や見方になっています。
みそかに四十過ぎた男が駅の改札口にたたずみ、吹きすぎる北風の中でポロリと涙をひとしずく‥‥‥。耐え切れぬ何かがあって、思わず涙を流してしまったのでしょう。
行く当てもなく一日中その駅の周辺を歩きまわり、とうとう私達の安旅館へころがり込んで来たのです。
身なりがきちんとしているだけに、一層気の毒でした。その歳なら奥さんもお子さんもいるはずです。実直なサラリーマン風の人でしたから、どこかの会社に勤めてもいたのでしょう。
家はどうしたのか‥‥‥家族は‥‥‥。
寂しい大みそかになりました。夜中になっても風はやまず、ラジオから聞こえる歌声や演芸なども、遠い世界のもののようでした。
私には子供のころから、特におそろしいと思うことがひとつあります。
それは、自分が可愛がっている小犬が野良犬になってしまったのを想像することです。いつごろからそんな想像をしてこわがりはじめたのかよくわかりませんが、今でもときどきふとそれが頭をかすめると、自分の前途に不吉なものを感じてしまうのです。
その晩は何度もそれを想像しました。四畳半に泊まった客のせいです。
「気をつけようよ、何かあると大変だから」
母は私にそう言いました。私はサービスするふりをして、退屈なら雑誌を持って来ようか、とか、一緒に年越しそばはどうかとか、廊下からふすまごしに二度ほど声をかけましたが、その客はしっかりした声で、そのつど何もいらないと答えるのでした。
あけ方になって風がやみ、元旦は上天気になりました。
七時ごろ、その客も起きて来て洗面所で顔を洗っていましたので、
「あけましておめでとうございます」
とうしろから声をかけて見ました。
「そうだねえ、今日は元旦なんだなあ」
男は今それに気付いたというような態度で答えました。
そのあと、母は彼をむりやり帳場に引っぱり込んで、
「うちで年越しをしたのも何かのご縁ですから、とにかくお雑煮とおとそを‥‥‥」
と言って、テーブルの前にすわらせてしまいました。
彼は母の強引さにまけて言葉少なに、とそを飲み、雑煮を食べましたが、どこかかたくなで、こちらにそれ以上踏み込む隙を与えませんでした。
彼はそのまま三が日を私達の旅館で過ごし、四日の朝、きちんと料金を払ってどこかへ行ってしまいました。話と言えばそれだけのことです。
しかし、彼が立ち去ったあとその四畳半を掃除した私には、その部屋が一人の男の激しいたたかいの場であったような気がしてなりませんでした。
壁のひび割れや天井のしみを睨[にら]んで、いったい彼は何を考えていたのでしょうか。何かに負け、そこで悲しみをじっと耐え抜いていたのでしょう。
大変だねえ、みんな。
そう言った私の母も、この十一月に死んでしまいました。私自身も、今はあの大みそかの客と同じくらいの年齢になってしまっています。
大変なんですねえ、みんな‥‥‥。