「自分語 - 寺山修司」エッセイ集歴史なんか信じない から 

 

「自分語 - 寺山修司」エッセイ集歴史なんか信じない から 

ぼくは、「国語」という言葉が大嫌いなんです。何につけても、「国」という単位で考える発想というのは、ぼくらには稀薄になってきているわけで、そういう発想が唯一残されているのが、「国語」という言葉なんですね。それに対応するものとして、「県語」とか「町語」とか、もっといえば「自分語」というものがあった方がいいと思う。そういう意味で、「あなたは誰ですか」と聞かれたときに、自分を規定する要素として、青森県人であるとか、東北人であるとかアジア人であるとか、あるいは、詩人であるとか、労働者であるとかいうわけですが、そういういろんな単位のなかで、「日本人である」という単位は、比重として極めて低くなっているわけです。それは、税金を納めたりするための便宜上の単位でしかないので、国家というのは、すでにもうイデオロギーじゃなく行政管理上の手続きとして存在しているに過ぎないんですね。だから科学がもっと発達して、コンピューターが管理するようになったら、人間は国というものに所属する必要がなくなるだろう、というのが、ぼくの考えなんです。国語を使わないで生きられる方法はないだろうかといつも思ってて、芝居のケイコしているときも、よく造語をするんですよ。外国で芝居するときに日本語でやっても通じないですからね。最近、ピーター・ブルックという人が、鳥の言葉を俳優に造語させて、「鳥の旅」という芝居をやったりしてるんですけど、日常的なところでは、「自分語」の評価がもっと大切にされてもいいという気もする。「自分語」ってのは、例えばある男が、神戸に何ヵ月いて、青森に何年いて、横浜に何週間いたという経験をして、その間いろんな人間に出会い、その人とのつき合いが深い分だけその人の言葉の影響を受けて、結局いろんなナマリが微妙に合成された独特の語り口で話す、というようなことだと思うんです。長崎から入ってきた外人が長崎なまりの日本語を話すとか、関西の女の子と同棲した男の言葉が関西弁風になるとか、つまり、その人の語り口がその人の履歴書というか、歴史を表わすようなものでありたいと思うわけ。だから、ある日突然、過去の語り口をきれいに洗い流して、全く無色透明な標準語を使うというようなことに対しては、ものすごい抵抗がある。田舎から出てきて大学に入って一カ月もしないうちに標準語をペラペラ喋るようなやつは、心から軽蔑したもんです。それから、実に器用に使い分けるやつもいますね。アンチ・ロマンか何かの話を標準語で流暢に話しているとこへ、田舎の高校の同級生が来たとたんに、パッと田舎弁に切り替えるとかね、あの使い分けというのも、おもしろいことはおもしろいけど、どっかマユツバな感じがあるんだね。

 

ぼくは、散文的な表現を復活させなければいけないという感じはあるんですが、一方、それを言葉で果たすことが本当に有効かという疑問もあるわけ。日本語というのはただ言文一致してないでしょう。学校教育なんかは全部書き言葉だしね。話し言葉で身の上話をして、書き言葉で政治経済を論ずる、というようなことでしょう。ぼくは一方では、全く主観の入らない文章表現、「絶対散文」を書きたいと思うんだが、かといって、法律の文章とか電話番号簿みたいな醒めた文章を書けると思えない。ですから、一方には「記号」を生みだし、言葉は、機能に囚われすぎずもっと難解なもの、もっと個人的なものになってもしようがないんじゃないか、という感じもするんです。言葉は、音量とか音質というものも重要でしょう。すごい体のデカイやつが太い声で、「金、貸してよ」というと、これは脅迫になるけど、同じ言葉を、やせた胃の弱そうなやつがかすれた声でボソボソといえば、これは物乞いになるように、その人間を支えている様々な状況がその言葉を決定しているわけだから、「標準語」というのは全くの幻想だと思うんです。標準語というのはニュートラルということだと思うんだけど、一体何に対してニュートラルなのかということがわからない。かりにそれを、NHKのアナウンサーのように、イとエ、チとツ、シとスなどを的確に区別できて、淀みなく、特に力を入れることもなくなめらかに話せる人だとすれば、そんなやつは最終的にはアナウンサー以外に使い道ないわけですよ。競馬の予想屋だって、ああいう発声でやってたら、誰も信用しないよ。だからぼくは青森から上京したときも、そりゃ随分笑われたけれども、自分の言葉を標準語にしようという考えはなかったですね。当時、和歌でこんなのを作った。
ふるさとの訛りなくせし友といて
モカ・コーヒーはかくまで苦し
つまりね、性能のいい洗剤で洗ったシャツみたいに、いろんな汚れが全部とれたような標準語でシャーシャーと話すやつがいると、ホントにブン殴ろうかと思うぐらい腹が立ったね。田舎での生活が、そんな軽い経験しかそいつの中に沈澱させてなかったということだからね。