「新人の特質 - 養老孟司」ちくま学芸文庫養老孟司の人間科学講義 から

 

「新人の特質 - 養老孟司ちくま学芸文庫養老孟司の人間科学講義 から

現代人あるいは人類学でいう新人は、二十万年前頃に生じ、五万年前以降には世界中に広がったと見られる。ヒトの身体的進化については後の章で述べる。ともあれ現代人を特徴づけるのが脳機能の進化であったことは疑いないであろう。ではどのような脳機能の発達を現代人の特徴と見ればいいのか。
なによりそれはシンボル操作能力だと思われる。シンボル操作の典型は言語だが、遺伝的にはヒトにもっとも近いチンパンジーでも、言語能力はきわめて限られる。有能な専門家が、平均より能力の高いチンパンジーを子どもの頃から仕込んだとしても、努力している専門家には気の毒だが、言語能力の発達はたかが知れている。しかも言語の音声表現は、チンパンジーにはほぼ不可能と見られる。
シンボル操作がとくに発達したのは、現代人つまり新人段階だと私は考えている。なぜなら考古学的な遺物がそれを示すからである。たとえば約四万五千年前の欧州の遺跡から、マンモスの歯を削って円盤状とし、よく磨いたものが見つかっている。
歯はきわめて硬いから、いわゆる原始時代の状況を思えば、こういうものを作る手間は、いくら昔の人が暇だったからといっても、ほとんど想像をぜっする。しかもこうした遺物の用途は、よくわからない。つまりそういうものを作り出すのが現代人なのである。それ以前の人類は、もっと「よくわかる」ものしか作らなかった。現代人以前の人々の遺跡から発掘されるのは、ナイフや斧のような形の、そのもの自体の形態から用途が推測できるもの、つまり実用品のみである。

そのもの自体の用途が、そのもの自体からはわからないもの、それはじつはシンボルである。シンボルはそれと「教えられないかぎり」、なにに利用するものか、その用途がわからない。言い換えれば、シンボルが具体的な物体として示されると、そのシンボルを支える背後の規則、つまり脳内の規則がわからない限り、意味が不明になってしまう。たとえばナイフのような実用の道具であれば、その形態から用途が推定できる。ところがお守りやアクセサリーには、ナイフのような具体的な用途があるわけではない。したがって形からこれがお守りだとか、アクセサリーだとか、区別することができない。じつはお金も同じだということがおわかりになるであろう。紙幣でも硬貨でも、金でも貝でも、果てはでもいいからである。それだけではない。スポーツやゲームに利用されるもの、碁・将棋・麻雀・ゴルフ・野球などの道具は、そのゲームの規則を知らないと、その意味がわからない。それは言葉の場合とよく似ている。樹木を音声で「キ」と表現するのは日本語だが、「日本語という脳内の規則」を知らない人が「キ」という音を聞いても、なにを意味するかわからない。シンボルはつねにそうしたもの、換言すれば「恣意的なもの」である。
現代人はこうさたシンボルを自由に操る能力を発達させた。その典型が言語だが、絵画もまたシンボル表現である。したがってクロマニヨン人の段階になって、有名な洞窟絵画が描かれるようになる。当然ながら同時に音楽も生じたと思われるが、これは遺物が残りにくいので確証はない。ネアンデルタール人(旧人)がどのていどの言語能力を持っていたかについては議論がある。しかし遺物に見られるシンボル性の強さを考えるなら、新人つまりクロマニヨン以降の人類のシンボル能力は、旧人に比較して桁はずれに大きい。したがって言語能力についても、新人と旧人のあいだに境界を引いていい。私はそう考えている。