(巻三十六)だれかれの事あれこれと温め酒(秋山信行)

(巻三十六)だれかれの事あれこれと温め酒(秋山信行)

4月22日土曜日

曇り。朝家事は掃除機がけ、洗濯、ゴキブリの家の建て替え。営繕屋さんから電話が入り、風呂の排水口の蓋が確保できたとのこと。

昼前に生協へ買い物に行く。お米だけは値上がりしていない。ありがたいことだ。生協の入口脇に主人待つ犬がいた。やはり大型犬は優雅だ。

昼飯喰って、一息入れて、瞑想して、散歩。葛飾野高校では野球の練習試合、修徳ではサッカーの練習。普通の日々が送られている。飲食はファミマの珈琲だけ。

『馬鹿一』を読んだが、馬鹿一という人物はかなりイヤな奴だな。

秋灯むかしと違ふ読後感(時田しげみ)

願い事-涅槃寂滅、酔死か即死。

いつまで続くのか⁉終わりよければ全てよし‼

今日の再読。

「犬と尊敬 - 田辺聖子集英社 楽老抄 から

やさしさが犬の姿をして見上げ(浮千草)

「犬と尊敬 - 田辺聖子集英社 楽老抄 から

ちょっと前になるけど、飼い犬が死んだという投稿が、ある新聞の読者欄にあった。私は新聞の投稿欄の熱心な読者で、毎日新聞の「女の気持ち」なんか、長年愛読しておりますよ。

ところでその飼い犬の話だが、投稿者は五十年輩の主婦だったと思う。しみじみしていい文章だった。恐らく夫が死んだときより、いい文章ではないかと思われた。捨てられた雄の子犬を飼って十なん年、かしこくておとなしく、謙虚に分をわきまえ、決してでしゃばらず、見ばはあまりよくないが、ここぞというときは頼もしい犬だった、と。死にざまも従容[じゅうよう]として、その投稿夫人は、

「わが飼い犬ながら、私は尊敬していた」

と書かれており、私まで粛然として衿を正してしまった。

私もむかし犬を飼っていたが、これがわがままで手のつけられぬやんちゃ犬で、あたまが悪く犬がらが悪く、人前に出せないやつであった(それはそれなりに可愛く、死なれてお数珠を前肢にかけられ、動物霊園の人にお棺の蓋を閉じられたときは、私もわんわん泣いたけど)。 - それに比べ、人をして「尊敬」せしめるほどの犬とは、なんという雲泥のちがいであろうと思った。それゆえ、半日ほど私は〈犬〉について思いをめぐらせずにはいられなかった。

私の友人(女性)たちには犬好きが多いが、彼女らの好む話題の一つに、犬と男と、どっちがいいか  - というのがある。

いろいろ議論をつきつめていくと、どうも〈男〉の旗色が悪いから、このテーマは奥が深い。犬は食物のより好みをしない、犬はつないでおけば彷徨しない、犬は自分の稼ぎこそないが、夏冬同じ着物で不平をいわない。犬は相談相手になり、かつ、励ましてくれる、というのだ。犬は女が、〈どうしょうね、ジョン〉などと話しかけると、つぶらな眼をじっと女につけて、〈あんたの思ってるようにしたらいい、それがいちばんだよ〉と示唆してくれるという。〈つらいことばっかりなんだよ、ピコ〉と涙を流している女には、(元気出して)というように女の涙をなめてくれる、というのだ。

〈男がこんなことするかよっ〉

と女たちはいきまいていた。結局、犬は百パーセント情を返してくれるが、男は十パーセント位しか返さぬ、男は犬より劣る、という結論になった。しかし彼女らにいわせると、〈尊敬〉に値する犬は、これもちょっと困るナァ、ということであった。