(巻三十七)いつも呑む薬に足して風邪薬(仁平勝)

6月17日土曜日

(巻三十七)いつも呑む薬に足して風邪薬(仁平勝)

晴れ、夏日になるとか。エアコンの試運転を行う。

朝家事は洗濯-外干し、細君のジャンパーなどをクリーニング屋さんに持ち込み、ついでに生協でりんご、調味料ほかを買う。10時半にしてかなり暑い。

机でコチコチしているところへ細君が新装出版の『馬鹿一』の新聞広告を持ってやって来た。「好きだったわよね?」と振ってきたので「読後感というのは読む年齢や環境で随分変わるよ。つい最近読んだが『馬鹿一』ってえ奴は実に嫌な奴だ」と思ったよ申した。ついでにクリーニングのアップの予定や今放送中のNHKラジオの俳句番組のゲスト俳人が関悦史氏であることなど話して引き上げて行った。

昼飯喰って、一息入れて、少しコチコチして、瞑想。少しは気温が下がっただろうと3時半から散歩に出かけたが、まだまだ暑い。トモちゃんと戯れ、図書館で一冊借りて、お稲荷さんに詣でて、クロちゃんと遊び、生協で缶酎ハイを買って帰宅した。

細君がどこをうろついてきたのかと訊くので図書館とお稲荷さんにお詣りと答えると、お稲荷さんでは何をお願いしたのかと訊くので、君の健康と僕のポックリと答えた。特に異存はないようである。

願い事-ポックリ御陀仏。

で、

「馬鹿一 - 武者小路実篤

を読み返してみた。

秋灯むかしと違ふ読後感(時田しげみ)

「馬鹿一 - 武者小路実篤

誰か来るといいと思っている処に、山谷五兵衛がやって来た。

「何か面白い話はないか」

と言ったら、

「馬鹿一の話をしたかね」と言う。

「まだ聞かない」

と言ったら、得意になって話し出した。

本名は下山はじむと言うのだ。はじむと言う字は一の字だ。それで僕達は下山のことを馬鹿一と言っている。

これは軽蔑して言っているにはちがいないが、愛称でもあるのだ。なぜかと言うと僕達は馬鹿一を決して憎んではいないからだ。憎めるような相手ではないのだ。珍しくお人よしなのだ。人がよすぎので僕達は馬鹿一と言っているのだ。

どの位人がいいかは、次の話でもわかる。馬鹿一は下らない画をかいたり、詩をつくったりしている。勿論、何処[どこ]にも詩集を出すものもないし、画を買う人はないのだ。しかし当人はそんなことは一向気にせず、閑[ひま]さえあれば画をかいたり、詩をつくったり、している。それである質[たち]の悪い男が、馬鹿一にこう言う冗談を言ったのだ。

「君の名は姓名判断から言うと実に珍しい名なのだ。君の詩や画は千年たたないと皆にわからない。千年たつと君の名は世界中に知られる名だ。それまではいくら君が努力しても、誰にもわかってもらえない名だ。一つ名を変えて、下山四つと言う名にしたらどうだ。そうすれば生きている内に有名になられる。」

すると真面目になって馬鹿一は答えるのだ。

「僕は決して名は変えない。生きている内に有名になるより、千年後に世界一の人間になる方を僕は望んでいる。僕は前から千年たつと知己が出てくることを知っていたのだ」

「千年後に有名になったって、何にもならないじゃないか」

とその友達がひやかすと、馬鹿一は益々真面目になってこう言うのだ。

「君達にはわからないが、僕は千年後に知己が出てくれれば、満足するよ」

冗談言った奴は、冗談が通じないのにがっかりして、

「負けた」と言った。

その後、馬鹿一は自分の画に、自分で彫った印を押した。その印には「千年後有知己」と彫ってあったのには、一同大笑いした。

又僕達は馬鹿一を訪ねる時は、よく道傍[みちばた]で雑草を折りとって持ってゆくのだ。馬鹿一は郊外に住んでいるから、馬鹿一の近くにはいくらでも草がある。その草を一本出鱈目にとって、御土産に持っていってやるのだ。そして、

「どうだ。この美しさは、あんまり美しいので、君が喜ぶと思って取って来たのだ」

と言うと、馬鹿一はすっかり喜んで、

「そうか、それはどうもありがとう。本当にこれはすばらしい。早速写生しよう。どうもありがとう。僕は今までにこの草を何度も見たが、まだこの草の美しさを十分知ることが出来なかった。君のおかげで、この草の美しさを知ることが出来るのは、ありがたい」

そう言って、喜んで花瓶にその草をさすのだ。そしていろいろの角度から見て、「中々この美を見つけるのはむずかしい、よく君に見つかったね」なぞと言う。それが少しも皮肉でなしに、大真面目なのだから驚く、そしてどうかすると、その雑草が美しく見えてくる事があるのは不思議だ。

時々僕達は、馬鹿一は日本一の仕合せ者かも知れないと思うのだ。

何しろ悪意がないのだ。万事善意にとって、いつも嬉しそうにしているのだ。

そしていくら他人から悪口言われたって、にこにこしていて、

「君達にはわかるまい。君達でも十年勉強したら僕のものがわかるようになるが、その暇がないからわからないのだ」

なぞと本気にそうおもっているのだから手がつけられない。尤[もつと]も時々面白半分におだてる人も居るのがよくないのだ。

こないだも、僕は何か御お土産に持ってゆこうと考えて、往来に落こっていた石を一つ拾って、それを手でこすって、光らすようにしたのだが、どう見ても平凡な面白味のない何処にもころがっている石なので、いくら馬鹿一でもこれを持っていって御土産だと言ったら、いやな顔するだろうと思ったので、捨てようかと思ったが、しかし相手が相手だから、どう答えるか、ためして見ようと思って、少し気がひけたが、思い切って持っていったのだ、そして、

「こんな石が往来に落こっていたが、君にどうかと思って拾って来た」と言って渡したら、馬鹿一は丁寧に、

「どうもありがとう」

と言って貴重品でも受けとるように受けとって、いろいろの面をいろいろの角度から見つめて、黙っているのだ。あまり熱心に見ているので、こっちは益々気がひけた来た。しかし馬鹿一が何と言うか、好奇心で僕も黙って見ていた。

「こう言う詩が出来たよ」

と馬鹿一は言って、紙切れに鉛筆で詩をかいて見せた。

「お前は道ばたに落ちていて

詩人の処にゆきたいと願っていた

すると一人の男が来て

お前の無言の言葉を聞いた

そしてお前を拾って

詩人の処に持って来た

お前は無言で喜んでいる

そして無言で詩人に御礼を言ってくれと言う

お前をここまで運んでくれた人に。

お前は遂に詩人の処に来た

お前は遂に安住の地を得た

千年たつと、お前は宝石に化するであろう」

僕はその詩を見て、

「馬鹿につける薬はない」と思ったね。

手がつけられない。

それから僕達は馬鹿一にもう一つの別名を奉った。

「千年居士」 

僕達が気がむしゃくしゃしたり、いろいろ不愉快なことがあると、馬鹿一の処につい足が向くのだ。馬鹿一に逢っていれば、世間のことは忘れる。そしてこんな呑気な生活をしている人間もあるのだ。あくせくするのは馬鹿気ていると思うのだ。

馬鹿一に言わすと、

「この世は美しいもので一ぱいなので、醜いものを見る閑はない」と言うのだ。人間の頭は一時に二つのことは考えられない。美しいものを見ている時、醜いものは考えられないと言うのだ。

或る人が彼に現代の有名な外国の作家のものを読むことを薦めた時彼は言うのだ。「僕はそんな人のものは読みたいと思わないよ。人生に就いてははばかりながら自分の方がよく知っている。人生に背を向けて、人生をいやに複雑なものと思っているものを読むと僕の頭は馬鹿になる。僕は矢張り真理は単純なものだと思っている。耶蘇は自己の如く隣人を愛せよと言った。又敵を愛せよと言った。神の国とその義を求めよと言った。又自分の目の梁[うつばり]を気にしないで、他人の目の塵を気にする者を反省さした。其処に真理がある。孔子は朝に道を聞いて夕べに死すとも可なりと言ったが、真理を実行出来た時は、生も死もない、それでいいのだ。むずかしい理窟はいらないのだ。迷路を歩くと頭がこんがらかる。僕は迷路を歩く興味はない。そんなものを読むより僕は石を愛せ、雑草を愛せと言うね。画家で詩人の僕には、つまらない小説を読むよりは、石を見たり、雑草を見たりする方が、遥かに意味があるよ。まして野菜とか、花とかを見るのはなお意味がある」

或る人は親切で言ってやったのだが、ああ頑固じゃ救われないと言っていた。

しかし馬鹿一は一向、誰がなんと言おうと平気なのだ。人生に就いては自分の方がよく知っている。千年後にはこのことがわかり。そう信じ切っているのだからね。

自分を馬鹿だとは思っていない。自分を不幸とは思っていない。その反対に、自分は現代第一の賢者で幸福な者だと思っているのだろう。

それで僕達の間に、何とかして馬鹿一に、お前は馬鹿なのだ。お前の仕事は無意味なのだ。お前程無意味な存在はこの世にないのだと言うことを知らせることが出来るかどうか、かけを行おうという相談が行われたのだ。しかし誰もそれが出来ると言う方にかける人は居ないのだ。その結果、もしそれが出来る人があれば皆でその男に千円ずつ出そうと言うことになったのだ。僕達もあまり利口ではないわけだ。

しかし人間にとって不可能なことを可能にすることはたのしみなものだ。又他人に出来ないことをやると言うこともたのしみなものだ。その上に馬鹿な人間が賢いと思い込んでいるのをやつけるのは面白いものだ。その上に一万円の金が入るのだから、今時の一万円は大したものではないことはわかっているが、それでも取って損するわけではないから、皆何とかして、馬鹿一に自分が馬鹿なことを知らそうと骨折ることになったなは言うまでもない。僕もその一人だった。

其処で早速、様子見に馬鹿一の処に出かけた。もう先客が来ていて、しきりに問答をしていた。馬鹿一が負けなければいいがと思って聞いていた。僕以外の人が馬鹿一をやつけては困るからね。

先客はこんなことを言っている。

「君は千年後に本当に知己が出ると思っているのかね」

「僕の名がそう言う名だそうだよ」

「あれはあの男が出鱈目を言って見たのだよ。あの男が君があんまり皆に無視されているので気の毒に思って、口から出まかせを言ったのだよ。」

「当人は出まかせのつもりかも知れないが、そう言うことを僕に知らせたがっているものが居て、その男を通して僕に知らせてくれたのだ。僕が本当にそうだと思ったのだから、どんなつもりで言ったにしろ、それは事実なのだ」

「君は姓名判断を信用しているのか」

「千年後に知己が出ると言うことを、あてる処を見ると信用していいと見えるね」

「君はどうして、そんな馬鹿なうそがわからないのだ」

「君には千年後のことがわかるのかね」

「それはわからないよ」

「それなら僕が千年後に有名になるか、ならないか、わかるわけはない」

「君たってわかるわけはない」

「しかし僕は前からそれを信じていた。百年後か、千年後に知己が出てくることをね。その僕が信じ切っている事実が僕の名にあらわれているとすれば、姓名判断も馬鹿には出来ない」

「馬鹿だね、君は」

「君だって、馬鹿に変りはないよ」

そう言って馬鹿一は馬鹿笑いした。

「君の負けだよ」

僕はそう言った。

「馬鹿につける薬はないと言うのは本当たね」

その男はあきらめた。今度は僕の番だが、僕はすぐにやつける事が出来るとは思わないので、先ず敵の様子を見ることにした。

「近頃何か面白いことがあるか」ときいた。

「面白いこととはどう言うことか」

さかさまに聞かれて、僕は困ったら先客大得意で、

「面白い」と言った。

「面白いと言うのは面白いことだよ。君だって面白いと思うことがあるだろう」

「僕は面白いことなんか別に考えたこともないよ。面白いと言えば何でも面白い。しかし特別に面白いことはないね。又僕は特別に面白いことを求めてもいない」

「何か変ったことはないか」

「相変らずだ」

「相変らず、下らない画をかいているのか」

「君達から見れば下らない画を相変らずかいている」

「見せないか」

「見たければ見せてもいい」

そう言って彼は自分がかいた画を五六枚出して見せた。相変らず石ころや、草をかいた珍しくない画ばかりなのだ。

「こんなものばかりかいてよくあきないね」と言ったら、

「君はあきる程見たことがあるのか、見ない前にあきているのじゃないか。よく見たことがないから、同じに見えて其処に千変万化がある。面白さがわからないのだ。よく自然わ見ない奴に限って、自然を馬鹿にする。見あきることが出来るのは、下らない人間のつくったもので、自然のつくったものではない」

と得意になって、ぺらぺら饒舌[しゃべ]り出した。

先客先生、自分が負けたことは忘れて、嬉しそうに笑っている。それがいまいましいので、何か一こと言って、馬鹿一をやつけてやりたいと思うのだが、相手の馬鹿さが一通りでないので、中々いい言葉が考えられないのだ。

「詩もかいたのがあったら見せてほしいね」

「又悪口がいいたいのだろうが、見せてやろう」

どうも敵もさる者と言う感じがする。こう君に話すと、僕の方が馬鹿で、馬鹿一の方が利口に見えるかも知れない。しかし馬鹿一の顔を見るといかにも間のびして、一見して、これは相当以上馬鹿だと言うことがわかるわけだ。尤も僕だってあまり利口そうな顔はしていないがね。

馬鹿一は詩を持って来た。

「石を愛せ

草を愛せ

喜びその内にあり

石を愛せ

草を愛せ」

と言う詩があったので僕は真面目な顔をしてこのあとに、

「猫を愛せ

犬を愛せ」とかいたらいいだろうと言ったら、

「馬鹿だね、君は」とやられてしまった。

「ぴったりその時、そう思ったからかいたのだ。そう思わぬことを一こともかかない処が僕の主義なのだ。石のよさが君にわかるか、いつか君は石をひろってくれたが、あのよさがわかれば、ああ簡単には僕にくれる気にはなれなかったろう。あのくれ方で、君には石のよさがわからないのだと思ったよ」

益々僕の風向きが悪いので、先客大得意。

僕も出なおす気になって、その日は二人退却することになった。

「どうも困った相手だ」と二人は仲よく笑った。

その後も僕は時々出かけて、色々ためして見たが、とうとう僕の方が根気まけした。皆に聞いてみたが、誰もさじをなげていた。

「ああ徹底した馬鹿には叶わない。結局この世で一番仕合せなのは馬鹿一だと思うね」

これが皆の結論になったのだ。そして皆が自分の失敗談を得意になって話すのだ。

Aはこう言った。

僕はあいつに「今の世で一番仕合せなものはどんな人だろうね」と聞いてやったら、

「そんな人は知らないよ。僕が尊敬するのはガンジとシュヴァイツァだが、仕合せかどうか、恐らくそんなことはどうでもいいと思っているだろう」

「君はどうだ」

「僕は自分を仕合せ者とも別に思っていないよ。死んでみないとわからない。しかし今までの処では仕合せ者と言っていいだろう。何しろいつでも愉快にくらして来たからね」

「君は煩悶なんかしたことはないだろうね」

「若い時はしたかも知れないが、忘れてしまった。この頃はあまり煩悶しないね」

「君は本当に煩悶したことがあるかい。僕は自然から愛されているから煩悶したくも煩悶できないのだ。自然に愛されない、放蕩息子は煩悶するだろう。君は自然に愛される者が自然に愛されないものより馬鹿だと思っているのか」と言うのだ。

「今時に自然に愛されているなぞと思う奴はお目出たいと言っていたよ」

「お目出たいと言うことは事実だ。しかしそれを反語で言っているなら、そんなことを言って得意になっている人の方が、お目出たいのじゃないか。僕なんか他人のことなんか考えている閑がないよ」

「今時に他人のことを考えないなぞと言うのは独善主義だとその人は言っているよ」

「本当にその人は他人のことを考えているのかね。僕は他人のことを考えれば考える程、自分がしっかりしなければと思うね。他人が下らない。ニセ物の画をかけばかく程、自分は誠実無比な画をかきたいと思うね。他人が出鱈目な生き方をすればする程、自分は本当の生活をしたいと思うね」

「僕が言うのはそう言う意味じゃないのだ。他人の不幸を救わないのはいけないと言うのだ」

「救えるのかい、本当にこの世に不幸な人を救う力がその人にあるのかい、僕にも出来、僕にも納得がゆき、僕の一生をなお美しく生かす方法を知っている人があったら、教えてもらいたいね。しかし僕は一個の人間として、自分の生きる道をがっちり歩くつもりだ。それが一番神の意志に叶っていると、僕はしんじているのだ。僕は自分に不適当な仕事であくせくしようとは思わない。自分がこれより仕方がないと思う方に全力を出せばいいと思っている」

「それで君は全力を出しているのか」

「僕の詩や、画を見ればわかるはずだ」

「千年後の人にかい」

「誰でも人間ならわかるはずだ」

「僕にはわからないね」

「君はまだ人間になっていないからだよ」

「僕が人間になっていない」

「そうだよ。君は他人の説ばかり受け売りしているじゃないか。自己に徹していない。独立した一個人になれないものは、僕はまだ人間になっていないと思っている」

こうやられて了[しま]った。Aはそう言って大笑した。僕達も笑った。

今度はBが負けずにこう言うのだ。

僕は又馬鹿一にこう言ってやったのだ。

「君は世間で君のことを馬鹿一と言っていることを知っているか」

「知っているようでもある」

「本当に君は馬鹿なのかね」

「それは本当に僕を馬鹿と思って、馬鹿一と言っている人があったら、その人に聞いてもらう方がたしかだよ。僕は勿論自分を馬鹿だと思っているが、しかし世間には僕以上の馬鹿で一ぱいだと思っている。そして僕が自分の馬鹿なことを忘れている以上に、世間の人は自分の馬鹿に気がついていない。早い話、君だって自分を馬鹿だとは思っていまい。しかし君が本当に賢いなら、花がなぜ美しい花を咲かせるかわかるわけだが、わからないだろう。自分で自分の花を見ることが出来ない花がなぜ美しい花を咲かせるか、わかるかね。又なぜ君が生まれたかわかるかね。この世の賢い人は自分が何にも知らないと言うことを知っている人だと言うが、僕の馬鹿なことを知っていると思う人は、存外何にもわかっていないんじゃないか。先ず自分の馬鹿なことを知るがいいのだ。僕から見ると、僕も馬鹿にはちがいないが、皆は僕以上に馬鹿に見えるね。そして君は馬鹿なのかねなぞとすまして当人に聞く君は、図抜けた馬鹿の一人であることはまちがいないと思うね」

Bはそう言った。皆愉快に笑った

今度はCが負けずにしゃべった。

あはははは。僕は馬鹿一にこう言ってやった。「世の中に仕合せな人と言うものはいるものかね」

すると馬鹿一は、

「いるね」と言ったので、僕はしめたと言ったのだ。

「それなら死なない人間が居るかね。誰でも人間は最後に死ぬのだ。死の苦しみを味わうのだ。それでも仕合せと言えるかね」

「死ぬのが平気な人が居ればいいわけだ。その上苦しければ苦しいだけいよいよ死ぬ時は、いい気持になるだろう。しかしそれは死んで見なければわからないが、現在仕合せだと思っている時は、仕合せと言っていいと思うよ」

「君は仕合せか」

「まあ、今の処仕合せと言っていいだろう。今後の事はわからないが。しかし僕は若い時は死ぬ事を考えると、生れた事を呪いたくなった事も一二度あったが、この頃は自分の死ぬことを考えても、少しも不幸とは思わなくなった。死もまた楽しと言う気持が段々わかって来たように思うよ。僕は生きている限り、仕事に真心こめれば、死ぬ時は死んでもいいと思うように人間は出来ていると思うよ」

「君の仕事と言うのは、君の詩や画のことか」

「そうだ」

「それに君は本当に自信を持っているのか」

「持っている」

「誰一人君の画や詩をほめる人は居ないよ」

と僕が言ったら、さすがに馬鹿一も、一寸黙ったが、しかしすぐ元気に言った。

「それでいいのだよ。僕は自分で満足しているのだ。僕は人間一人一人に愛されるより、自然に愛される方が好きなのだ」

「自然が君を愛しているのか」

「僕程、自然の美しさがわかる人間が居るか、少なくも今の世に僕位、自然を愛することが出来るものが居るか。それは同時に自然からも愛されることを示すものだ。君にはこの気持はわかるまい。僕の詩や画がわからないものには僕の気持はわからないね。この石ころの画を一つ見たって、僕がいかに自然に愛されているか、わかるわけだ」

その画を見て僕は開いた口がふさがらなかった。それは山谷が往来でひろった石が一つかいてある。子供でもかいたような画なのだ。子供でもあんな馬鹿気た画はかくまいと思えるものなのだ。

「この画が何処がいいのだ」

「この画のよさがわからないものには、僕の画や詩がわかるわけはないよ」

「この画の下らなさがどいして君にわからないのだろう。はがゆいよ」と言ってやったら、

「それ程この妙味がわからないのかね、君には。君は気の毒な人だね」とやられた。

僕は益々開いた口がふさがらず、逃げてきた。

Cはそう言った。皆笑った。

まあこんな調子なのだ。

其処で僕は彼の画を五六枚と、彼の詩を十篇ばかりとを借りて、僕の信用する画家と詩人に見せたのだ。二人とも何処もとり柄がないと言った。

しかし馬鹿一は相変らず元気だ、詩をつくったり、画をかいたりしている。

「私は石を愛し草を愛し

自然を愛す

自然は又私を愛してくれる。

私は喜んで生きる

今の世で喜んで生きてはいけないと

或る人は言うけれども

私はつい愉快になり、元気になり、

本気になり

一生懸命になる。

ありがたし、ありがたし」

馬鹿一は相変わらず、そんな詩をかいているのだ