「МSWがわかった! - 門賀美央子」死に方がわからない から

 

「МSWがわかった! - 門賀美央子」死に方がわからない から

 

取材に応じてくださったのは、大分県のとある地域の中核病院でMSWとして働いておられる井元哲也さんと今尾顕太郎さん。長年、現場で医療に携わってきたベテランである。

職業柄だろうか。お二方とも物腰柔らかく、対面者を緊張させない空気の持ち主である。それに力を得て、私も勉強不足丸出しの恥ずかしい質問を、遠慮なくさせてもらった。

まず聞いたのは、MSWという職業そのものについてだった。

「医療ソーシャルワーカーとは、患者さんに困りごとがでるたびに、何に困っているのかを聞いてアドバイスをする役割です」(今尾さん)

「ここ二十年ぐらいで広く知られるようになった職業ですね。今では百床を超えるような病院には必ず配置されるようになりました」(井元さん)

医療の高度化、そして高齢化による医療費公費負担増大が問題視されたのは、二十年ほど前のことだ。強い危機感から医療改革が始まり、医療分野の機能分化が進めてられていった。

例として、私たちにもっとも身近なのは、一九九二年の医療法改正で一気に進んだ医薬分業だろうか。

昔は病院にかかると、会計を終えて院内薬局で薬をもらうまでが一連の流れだったが、今は処方箋をもらい、院外の薬局に行きのが一般的だ。制度が変わった当初はなんてめんどくさいことをさせるのかと思ったものだが、今では当たり前のようにやっている。人間なんて所詮は慣れの生き物だ。

それはさておき、病院の機能分化は、医療資源の分配を最適化することで無駄なコストを抑え、年々増大する医療費を抑制することを目的としている。一つの病院があらゆる機能を持つとその分無駄も増えるので、適宜役割分担していきましょう、というわけである。

しかし、社会のあらゆることがそうであるように、業務が分化/特化すると、同じ院内や地域でも連携が取れなくなってしまうケースが多発する。それによって不都合が生じたり、かえって無駄が増えたりでは意味がないので、間を取り持つコーディネーターが求められる。

そこで注目された存在がМSWだった。

実は、МSWの役割を果たした人たちは戦前からいた。日本における草分けは、米国に学び、帰国後は聖ルカ病院(現在の聖路加国際病院)に勤めた浅賀[あさか]ふささんとされている。戦後すぐにGHQの指導によって各保健所に配置されもしたそうだが、業務規定が曖昧だったこともあり、一時は下火になっていたそうだ。

だが、介護保険が始まったことで状況が変わった。介護と医療の橋渡し役が必要になったことで再びМSWが注目され、一定規模の病院には「地域医療連携室」が設けられるようになった。

「病院によってソーシャルワーカーの使い方は違います。入院患者全員につける病院もありますし、病棟の看護師や医師の判断によってMSWが介入することもあります」(今尾さん)

私がМSWのお世話にならなかったのは、入院した病院が後者だったからだろう。だが、もし経済的な問題や、退院後になにかの問題を抱えることが確実な場合、MSWは必ず登場し、力になってくれたはずだとお二方はいう。

「日本には健康保険がありますが、入院医療を受けるとなると、やはり最低でも月十万円ぐらいは必要になります。そして患者さんの中にはそれさえ払うのが難しい方がいる。病院としては患者さんの命にかかわる病気が見つかった時に治療しないという選択肢はありません。治療を妨げているのが経済問題であるならば、負担軽減のために利用できる制度を探し、利用手続きなお手伝いをするのが私たちの仕事です」(今尾さん)

МSWは基本的に社会福祉士の資格を持っている。社会福祉士は国家資格であり、「社会福祉士及び介護福祉士法」に「専門的知識及び技術をもって、身体上もしくは精神上の障害があること又は環境上の理由により日常生活を営むのに支障のある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者との連絡及び調整その他の援助を行うことを業とする者」と定められている。つまり、医療福祉分野のおける調整業務の専門家なのだ。専門家に手伝ってもらえるほど心強いものはない。

では、経済問題以外のところ……つまり、今の私が抱えているような問題についてはどうなのだろうか。

たとえば、入院の保証人や手術の同意書にサインしてくれるような第三者がいない場合は?

「もちろん介入できますよ。ただ、そういう場合は本当にケース・バイ・ケースになるとは思います。しかし、少なくとも、病院が第三者の同意がないことを理由に治療拒否するのは考えられません」(今尾さん)

では、なんらかの措置を取ってくれると?

「そうですね。手続きとしては、まず本人に意思決定能力が十分にあるかどうかを検討することになるでしょう。そこに問題がないとなれば、その患者さんに関わるすべてのスタッフに意向が共有され、本人の同意だけでいこう、となるはずです。ただし、決定までには多少時間がかかるでしょう。院内会議でのディスカッションが必要になりますので。そして、最終決定までに交わされた議論が書面として残されると思います。専門家が複数集まってディスカッションをしたという実績が、本人の意向が正当だったことを証明する根拠にもなるわけです。」(今尾さん)

よかった。第三者がいないからといって放り出されるというわけではないようだ。だが、意思決定ができない状態と判断された場合はどうなるのだろうか。

「それもケース・バイ・ケースとしか言いようがないですね。この部分に関してはずっとグレーなままで、法的にはなにも定められていません。MSWの中でも、対処方法に関しては意見が分かれています。МSWが患者さんに代わって意思決定すべきだと考える人たちもいますし、それは流石に重すぎると反対する人たちもいます。代理意思決定権はそんなに簡単なものではありませんので、ずっと線が引かれないまま来ているんですね。だから、その都度病院スタッフみんなで悩みながら、ベストではないけれども、ベターという道を探す作業を続けていくしかない、ということになります」(今尾さん)

確かに、まったくの赤の他人の生死にまつわる判断を、本人の同意なしに下すのはかなり難しいだろう。

「あくまで個人的な意見ですが、やっぱり当人がどうありたかったのかを探ることをしない限り、結論は出ないと思っています。ですから、ご本人がどんな死生観を持っておられたか、どんな最後を迎えたいのかなど、核になる

部分を知っている方がいたら、家族や親族に限らず接触を図って聞いた上で決めることになるでしょう。独善的に、あるべき論だけで決めることだけは避けたいので」(今尾さん)

「我々の仕事の中では『合意形成』という言葉がよく使われます。患者さんを中心にした人間関係の中で合意をとっていき、共有するのが大前提なのです。MSWの専門性は、関係性の中にあると言っていい。だから、完全な孤立の中で生きていた方にとっては、ご本人にとって最善な方法は何なのかを医療チーム全体で考えることになると思います。」(井元さん)

やっぱり色々と事前に決めておかないと、大変なご厄介をかけることになるわけだ。

人の命に関する決断をするのは精神的に大きな負担になる。それは、私も父の死の際に経験した。自分が下した決断は正しかったと確信しているが、それでもこころのどこかに「本当にあれでよかったのか、他に道はなかったのか」と問い続けている私がずっといる。身内でさえそうなのに、赤の他人であればなおさらだろう。
それでも、余命わずかであることを告知された患者に対しては、希望の死に方をヒアリングすることもあるというお二人。当然、そこまで立ち入るには、患者と良好な関係を築けているかどうかが鍵になる。
「以前、こんなことがありました。仮にAさんとしておきましょう。Aさんはとある病気で入退院を繰り返していました。けれども、病は癒えることなく、次の入院が最後になるかもしれない、という状況でした。ところが、Aさんには縁者がほとんどおらず、死後の整理を頼める相手がいない。そこで、ずっと担当していた私が『次の入院が最後かもしれませんが、今後について何か希望はあるか、よかったら教えてもらえませんか?』と尋ねました。すると、『最期はあんたに頼むしかない』とひと言おっしゃったんです。『他に頼める人がいないから』と。それからというもの、ポツポツとですが、自らの死をどうするかについて考えを聞かせてくれるようになりました。」(井元さん)
死ぬ準備をするためにもう一度だけ家に帰りたい、死んだら福祉の担当者に連絡を取ってほしい、墓はどこどこにあるのでそこに入れてほしい……。Aさんは思いつくたびに井元さんを呼び出し、希望を述べたという。きちんと話を聞いてくれる相手を得て、初めて後顧の憂いを断つ気力がわいたのだろうか。井元さんは、Aさんの最後の願いを叶えるべく、尽力した。
ただし、ヒアリングした患者の願いのすべてを叶えられるわけではない。別のケースでは、患者の希望通り親族に連絡したところ、こちらでは一切関われないと断られ、結局井元さんが骨上げまでやったこともあったという。今尾さんもまた、ホームレスだった患者の死後、火葬から埋葬まで面倒をみたことがあるそうだ。
一般的には、まったく身寄りがなく、葬儀などの手配もされない人がなくなると役所の社会福祉系部門が“遺体処理一式”を担うことになる。だが、当然ながら葬送儀礼は一切なく、ただ遺体を火葬場に運んで焼くだけで、遺骨は破棄される(自治体によっては合同墓に納骨するところもある)。
「ですが、本当にそれでいいのかという思いを個人的には持っています。日本には葬送文化がありますよね。つまり、日本人として生まれた以上、最後ぐらいは日本人らしい方法で送られるべきではないか、と。もし、最後に関わった人間がMSWなのであれば、それも私たちがやるべきことではないかと思うんです」(今尾さん)
無料で来てくれるお坊さんを探して火葬前に少し読経してもらった上、お骨を拾ってお寺の無縁塚に納めたことも、何度かあった。
「ただ、それをしながらも本当によかったのかと悩みました。果たして縁もゆかりもない人間に骨になった姿を晒したいものだろうかと疑問も持ちましたし。僕のやったことが正解がどうかはわかりません。」
みなさんは、どう思うだろうか。
ありがたいと思うだろうか。それともおせっかいと思うだろうか。
私はいざとなったら骨は廃棄されても仕方ない、と思っている口だ。だが、もしここまでやってもらえたらありがたいという言葉しかないし、もしそんな見送られ方をすると事前に知っていれば安心して逝ける、ような気がする。
だが、当然そこまでやるべきではないと考えるMSWもいるという。それはそれで理解できる。
MSWの誰もがお二方のように人間の尊厳について深く考えているわけではないだろう。職業観や死生観も一人ひとり違うはずだ。ゆえにMSWに繋がれたらもう安心、すべて任せられるというわけではない。むしろこのようなケースは極めて良心的な人に担当してもらえたがゆえの幸運だったと考えるべきだろう。
やはり、身寄りがない人間ほど、自分の後始末の計画だけはしっかり立てておかなければならないのだ。

そして、もうひとつ重要なことがある。
延命処置するか、しないか、の意思表示だ。
MSWとして数多の死に際に接してきたお二人の話を聞きながら、私はぼんやりと感じ始めていた。
やっぱり鍵は“意思表示”なのだ、と。
病院は命を救う場所である。だから、基本的には目の前の命の灯を消さないことを何よりも優先する。けれども、死なない=元の生活に戻れる、ではない。極端な話、本当に命が繋がっているだけ、の状態にもなりうる。
それがいいのか悪いのか。これについてはすでに何度かふれてきたので、ここでは改めて蒸し返すつもりはない。
だが、身寄りの少ない私にとって、医療機器と病院スタッフの手を借りながらただ呼吸し、脈だけ打っているような状態は恐怖すら覚える。リビング・ウイルに登録したのは、そんな事態を防ぐためなのだが。
「数年前のことです。Sさんという女性が救急で運ばれてきました。搬送時はかなり危険な状況でしたが、スタッフの懸命な措置によってなんとか蘇生はしたのです。しかし、人工呼吸器に繋がれ、挿管を外すと命を保てない状態でした。そして、すべての処置が終わった後に駆けつけた親戚-たしか甥とか姪とか、そういう立場の方だったと思いますが-によって、ご本人が署名したリビング・ウイルが示されたのです。」(井元さん)
搬送時、Sさんの所持品からは意思表示カードなどは見つからなかった。
「そこからが大変でした。ご親戚は『Sは救命措置をしてほしくなかった。私たちもSの意思を尊重したかった。それなのになぜ助けたのか』と抗議をされまして。ただ、救急病院では、運ばれた時点で何も確認できない場合、救命しか選択肢はありません」
至極当然である。
「ですが、親族の方々はリビング・ウイルを盾に、人工呼吸器の挿管を取ってくれと主張されました。しかし、病院としては受け入れられない要望です。さらに胃瘻が必要と判断されるに至り、先方もかなり感情的になってしまいました。どうしてSの意志が尊重されないのだ、とお怒りになったのです。
病院はやるべきことをやっただけだ。本来責められる筋合いはない。だが、説得する立場にいる井元さんも、疑問を感じないではなかったという。
「最終的にSさんは療養型の病院に転院することになりました。ですが、ご本人に意識があれば『こんなはずじゃなかった』とおっしゃったことでしょう。私自身、何が正解だったのかと自分に問い続けています。」
同様な事例は誰の身にも起こりうる。
私のように身近に家族が住んでいない人間は特に危険だ。
以前は一度延命装置を付けてしまうと、それを中止するという判断はほとんど取られることはなかった。
しかし、医療現場でSさんのような例がたひたび発生した結果、後から明確な意志を確認できた場合は延命治療を中止してもいいのではないかとする医師も増え始めている。だが、積極的に中止の判断をする医療関係者はまだまだ少ない。法的にかなり危ない橋を渡る事になるからだ。
それに、いわゆる延命治療については誤解も少なくないと今尾さんは指摘する。
「たとえば、あるALSの(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんは、主治医に気管切開を勧められましたが、当初は断るつもりでいらっしゃいました」
ALSが進行すると痰などの分泌物が気管を塞ぎ、窒息してしまう恐れがある。医師が勧めたのは、それを防ぐために吸引装置をつけるためだったのだが。
「一度気管切開してしまうと人工呼吸器を付けられてベッドの上に縛り付けられた状態になり、風呂やデイサービス通いなど、それまで享受してきた生活ができなくなると懸念されたのです。ですが、実際にはそんなことはありません。気管切開後の一般的な生活んきちんとご説明したところ『ならば一度考えてみる』と言って帰宅されました」
ところが、直後に大きな不幸が起こってしまった。気管切開を受け入れると決めたその夜に、窒息して亡くなってしまったのだ。
「患者さんが治療方法なついてすべて正しい知識を持っているとは限りません。たとえば、胃瘻は一度付けたら外せなくなり、一度も経口摂取に戻れないまま死ぬまで無理やり栄養を取らされる、というようなイメージを持つ方が多いかと思います。ですが、そんなことはないんです」
これに関しては私も経験がある。亡父が脳出血で入院した際、医者から胃瘻を勧められた。すでに認知症がかなり進んでいた父の代理意思決定者だった私は、提案を聞いた瞬間に強い抵抗感を覚えた。今尾さんがおっしゃったように、胃瘻に対して「二度と戻れない無駄な延命処置」という漠然としたイメージを持っていた。
けれども、よくよく話を聞くと、あくまで一時的な治療手段であり、必要がなくなれば穴を閉じて経口摂取に戻れるという。そして、実際その通りになった。胃瘻にしていのはわずか二週間ほどで、外した後は無事経口摂取に復帰した。
父は、その後二年は生きた。その二年が当人にとって幸せなものだったかどうかわからない。だが、少なくともベッドの上でただ生かされるだけではなかった。心身に問題を抱え、徐々に衰えてはいきながらも、いわゆる“日常生活”を送っていたのは紛れもない事実だ。
中途半端な知識では、命の問題さえ誤断する可能性がある。それが情報化社会の怖さだと今尾さんは指摘する。
「胃瘻についてはドクターの間でも議論がありました。昔は飲み込みの能力が悪くなったら即胃瘻を作って誤嚥を防ぐべし、という流れがあったのです。しかし、その処置が本当に最適なのかについては、これというエビデンスがありませんでした、むしろ、病院の都合で胃瘻を作ることが多かった。背景には手間のかかる経鼻栄養を嫌う病院が多いため、胃瘻にしないと療養型病院に転院させづらいという事情がありました。制度の弊害が出ていたんです。よって、『胃瘻を安易に考えすぎているのではないか』という議論がドクターの中でも起こったわけです」
患者側にしてみれば、転院のためだけに本当に必要かどうかわからない手術をされた、という印象が残りかねない。ベッドの上で呼吸するだけの廃人のようになってしまった患者を目の当たりにした家族が、胃瘻をつけたがために生き長らえ、無駄な苦しみを負わせてしまったと感じたら、以後は胃瘻を全否定するだろうし、周囲にもそれを話すだろう。
一方、私の亡父のようなケースは、一過性の治療として時が経てば忘れてしまう。
こうして「胃瘻=悪」の漠然としたイメージだけが積み上がっていく。

胃瘻に当てた焦点を「延命治療」全体に拡大しても、同じ流れが起こっているようにも思える。みんな口を揃えて「無駄な延命治療はしてほしくない」という。だが、何割の人が「無駄な延命治療」とはどんなものなのか深く考えたことがあるのだろうか。
正直、この本を書き始めるまで、私も延命治療に対して、ぼんやりとしたイメージしか持たず、医者は金儲けのために何が何でも延命させようとするのだろう、ぐらいに思っていた。
だが、実際は違った。
医療の現場では、制度の壁にぶつかりながらも、理想の終末期医療を模索している人たちがいる(ただし儲け主義の病院があるのも事実である)。
なぜ試行錯誤が繰り返されるのか、その理由は簡単だ。
私たちが、人類史上初めての「なかなか死ねない世の中」を体験している世代だからだ。
唐突で恐縮だが、今、私の手元には一葉の古いモノクロ写真がある。母方の家族の集合写真だ。昭和三十年になるやならずの頃に撮られたそうだ。
五センチ四方の枠の中に収まっているのは幼い母と伯父、そしてまだ若い祖母とその母、私にとっては曾祖母にあたる人だ。そしてもう一人、曾祖母と同世代と思しき親戚の女性という人が写っている。
曾祖母と親戚の女性の見た目は八十代のお婆さんのようだが、年齢を逆算すると撮影時はおそらく五十代前半だったはずだ。今の私とそういくつも変わらない年齢ね女性は、写真の中では明らかに私より何十歳も老けている。
旧来は死んでいた命を繋ぎ止められるようになったのは一九七〇年代以降のこと。日本では、その時期、初めて平均寿命が男女ともに七十歳を超えた。そして今は男女ともに九十歳を超えようとする勢いだ。たった半世紀ほどで、寿命が十歳以上も延びたのである。それに伴い、外見も若さを保つようになった。
一方で、健康寿命は今でも男性が七十代前半にとどまっている。
つまり、ごくごく単純な数字だけで解釈すると、死ぬ前の十数年間は多かれ少なかれ誰かの手を借りなければ生きていけない状態になると覚悟しなければならないわけだ。
ところが、昔の老人に比べてなまじ体力があり、見た目も若々しいがゆえに、自分が人生の下り坂に入っていることに気づきづらい。
今の五十六十は老人と呼ばれには少し早い。
それは確かである。
しかし、単純に生物として見た時、もういつ死んでもおかしくない領域に入り始めているのも間違いない。特に奇禍に遭うこともなく、健康に気をつける生活をしていれば、かなりの確率で九十歳まで生きる時代だ。だが、誰もが心身頭脳すべて健康な状態でたどり着けるわけではない。それを自覚した上で、少なくとも五十代に入ったならば蘇生処置や延命治療に関する最低限の意思表示は行っておくべきだろう。いや、むしろ、まだまだ活躍できる世代こそ、真剣に考えておかなければならないのだ。
私たちは、漠然と病気や怪我が治りさえすれば元の生活に戻れるとイメージしてしまう。だが、実際には何らかの後遺症が残ることが多い。特に年を取れば取るほど、元の生活に戻れるかどうかは危うくなっていく。
何もできない子どものようになってしまった自分。
ベッドの上で動けなくなった自分。
そういう状態ならばまだ考えが及びやすいかもしれない。
しかし、それより怖いケースもある。
ぱっと見は以前と変わらないのに、実は何らかの障害を負ってしまうケースだ。脳疾患によって発生する高次機能障害などはその好例だろう。一見知的レベルは保たれているように見えるものの、実際には記憶力や判断力の低下や人格の変化が起こってしまう。
家族なら病気のせいと理解した上で付き合えるが、さほど親しいわけでなければ気づけない。起こりっぽくなったせいで誤解を受けたり、物忘れが激しくなったせいでルーズな人と見られるようになったりすれば、社会生活に差し障りが出てくる。好むと好まざるとにかかわらず“生涯現役”でいなければならない子無しの独り者にとって、これは致命的だ。

とにかく、長生きすればするほど、心身の衰えは思わぬタイミングで、予想外の形で出てくる。結局、現代人は起こるうる事態を想定した上で、それに対する手当てを予めしておくのが必須なのだ。
そして、もし延命治療に対する正確な認識を持った上で、それでもなお尊厳死を選択したいのであれば、周囲の人たちに余計な苦悩を与えないよう、事前に明確な意思表示をしておく必要がある。
逆に言うと、「延命治療を拒否する」なんてことは、いつ死んでもいいように準備を済ませている人だから言えることであって、何もしていないくせにいきなり「尊厳死させろ」はド厚かましいにもほどがあるのだ。
「とはいえ、完全にどう死にたいかを決めておくのはやはりハードルが高いと思います。ですから、せめて継続して考えておいてもらいたいなと思うんです。死についての思いは刻々と変わるものです。脳梗塞を発症して寝たきりになり、目しか動かせないような状況になって、文面には延命しませんとなっているけど、死が迫って来る中でやはり生きたいと思い直す人もいます。意思決定が変わる可能性は十分あるんです。ただ、思いの傾向はあるはずですので、それを普段から考え、家族や友人にでも伝えておいてもらうと、何かの時には重要な判断材料になります」(今尾さん)
確かに、死に対する思いは、考えれば考えるほど変化していく。私にも変化があった。
ただ、私の場合、「納得のいく人生さえ送っていれば死は悲劇ではなく、救済である」というベースの部分だけは変わっていない。そこを起点に考えると、私が他人に伝えておくべき「判断材料」はおのずから浮かび上がってくる。
私は、私の人生にかなり納得している。だから、母さえ見送れば、後はいつ死んでも構わない。よって、死病を得た時点で天涯孤独の身であれば、一切の蘇生措置や延命処置は拒否する。そしつ、MSWと信頼関係を作った上で、死後処理の一部-具体的には関係者への死去の連絡だが-を手伝ってもらえるようお願いしておくつもりだ。
一方、母の存命中に私に何か急なことがあった場合、元の生活に戻れるなら蘇生措置と延命治療のどちらも希望する。だが、母に身体的/経済的負担をかけるような状況になりうるならば、そのまま死んでいきたい。
あるいはこんなケースも考えられる。
月単位の比較的近い将来に死ぬのは間違いない。けれども、救命すれば母が私の死に納得できるだけの時間を作れる。ならば、今際[いまわ]の際[きわ]の蘇生措置だけは絶対しないという条件がみたされれる場合のみ、救命治療をしてもらう。考えば考えるほど細かいケースが出てくるわけだが、ひとまずは、“死に至る病(含む怪我)”で病院にかかる場合の方針は決まった。
まず、入院までに余裕がある場合は、日本尊厳死協会が出している資料を基に尊厳死に肯定的な病院を探し出し、そこに入院なり転院なりできるように手配する。
次にできるだけ早くMSWとつながり、自らの“死の方針”を伝える。
“死の方針”はしっかりと書面化し、第三者が閲覧可能な状態にしておく。今の世の中ならブログなんかもありかもしれない。あれも社会一般様に向けて公開しているものだし。とにかく、自分が何を頼み、何を頼んでいないかを(もしいれば)第三者に伝えておく。
以上である。