「天空の城、ギンザ - 朝井リョウ」集英社文庫発注いただきました!から

 

「天空の城、ギンザ - 朝井リョウ集英社文庫発注いただきました!から

発注元 銀座百点
お題 銀座にまつわるエッセイ
使用媒体 銀座百点
発注内容 
● テーマは自由だが、銀座にまつわる内容を希望。
● タイトルは11字以内。
● 分量は、原稿用紙6枚半。

天空の城、ギンザ

きっともう、二度とこの場所には来られない。私は、じんと苦い酒の入ったグラスを握りしめながら、本気でそう思っていた。地下にあるこの店を出たとして、自力で戻ってくることは絶対にできない。どう帰ればいいのかも、見当もつかなかった。
ここは、夜深くなったときにしかこの世に現れない街で、朝になったらきっと、あとかたもなく消えてしまうだろう。書籍や文芸誌の中でしか見たことのない作家たちの顔を見比べながら、私はそんなふうに思っていた。
二〇〇九年の十一月、私は初めてギンザという街を訪れた。集英社が主宰する、小説すばる新人賞という賞の贈賞式に参加するためだ。その年は、ホテルで式典が行われたあと、ギンザにあるよくわからない横文字の名前を冠したバーで二次会が行われた。当時まだ二十歳の学生、慣れないスーツに身を包んでいた私は、GINZAという音の響きだけでヒッと息を呑むような恐怖を感じていたうえに、初めて目の前にする目の前にする「本物の作家たち」にこれ以上ないくらい怯えていた。今の今まで、本当に実在するのかもよく分かっていなかった作家たちが酒を酌み交わしているこの天空の城のような空間は、きっと丸ごと実在していないのだろうと、朝が来れば消えてしまうのだろうと思っていた。
それからしばらく、私がギンザを訪れる機会はなかった。それこそ小説の新人賞をいただくようなめでたいことが起こりでもしないと、あの街は現れないのではないかと思っていた。
しかし私は、半袖短パンというあまりにカジュアルな格好で、ギンザを再訪することになるのである。
それは暑い夏の日だった。二十一歳の私は、当時所属していたダンスサークルの練習を終え、ある出版社の担当編集者と打ち合わせを兼ねた食事をしていた。体を動かしたあとということもあり、風通しのいいTシャツに黒い帽子、そして五分丈のカーゴパンツにスニーカーといういかにも学生らしいラフな格好をしていた。
仕事の話を終え、食事も終盤にさしかかったころ、その編集者が口を開いた。
「朝井さん、社会見学にいきましょうか」
お察しのとおり、この編集者は男性である。
「はぁ、社会見学・・・」
私はこのとき、食事をしていた場所があのギンザの近くだったことにも、更けつつある夜の中のギンザが目覚め始めていたことにも、気づいていなかった。
「ほかの作家がいたら帰りましょう。わりと、作家のたまり場になっているところなので」
私は、そう話す編集者にのこのこついていった。何度も言うが、Tシャツに短パン、帽子にスニーカーという出で立ちである。
狭いエレベーターに乗り、しばらく上昇する。やがて開いた重厚なドアの先には、着物を着たきれいな女性がでんと構えていた。
あ!と私は思った。ここ、天空の城パート2だ!
お着物を召したボス、もといママのほかにも、肩の出るドレスを着た女性が数人いた。「どうもどうも」男性編集者は慣れた様子でソファに座る。女性たちがさっと編集者の両側に座り、お酒を用意し始める。お着物を召したママ、ドレスを着た若い女性、スーツ姿の大手出版社の編集者、銀のグラスに、お洒落なインテリア・・・Tシャツ短パンの私だけ、CGで合成されたような場違い具合だった。
とはいえ、すぐに店を出るわけにもいかない。私はとりあえずソファに座り、差し出されたナッツをむしゃむしゃ食べ、お酒の中の氷をくるくると回し続けた。隣に座っている女性をちらちら見ながら、なにか会話をしなければならない、と思うものの、膝小僧丸出しの状態でどんな言葉を発してよいのかもわからなかった。
よし、と決意をした私は、なぜか突然「おいくつですか?」と言ってしまった。開口一番、女性に年齢を聞いたのである。ドレスを着た女性は、不機嫌になることもなく、
「二十歳です」
年下だ・・・
そう思った途端、私は会話を続けることができなくなってしまった。夜にしか現れないように見えるこの街で年下の女の子が働いているという現実に、頭が追いつかなかったのだ。
死体のごとく時間とともに硬直していく私を見かねたのか、男性編集者は早々に席を立ってくれた。助かった、と、すぐに店から飛び出した私だったが、店を出てもなお広がる天空の城・ギンザの街並みにどうしても溶け込めず、その日は逃げるようにアパートへと帰ったことを覚えている。
そして月日は流れる。それは、社会人二年目も終わりを迎えようとしているころだった。私は年上の友人への土産にするため、おいしい漬物を買える店を探していた。調べた結果、銀座にいい店があるようだということがわかった。
一人で、昼は行っても、あの街は存在するのだろうか。私はふと、そう思った。
「銀座」で地下鉄を降りた私は、地図を見ながら店を目指した。その道中、なんとなく覚えている文字の連なりを見た気がしたので、思わず立ち止まった。
それは、二十歳のとき初めて訪れた、地下にあるあのバーの看板だった。
こんなにも、駅に近い場所にあったのだ。私は看板に一歩近寄る。昼間の街並みの中で見るバーの看板は、天空の城らしさなんてまったくなかった。昼間でも、一人で訪れても、作家たちが集っていたこの店は普通に存在している。私は、そんな当然のことを、四年かかってやっと理解した。
私は、スマートフォンの地図アプリで、社会見学と称して連れて行ってもらったあの店の場所を調べた。明るい昼間の銀座では、徒歩五分程度の距離など、まったく迷わずに辿り着くことができた。
店が入っているビルは、かんれんぼの鬼から隠れるように、息を潜めていた。
私はしばらく、そのビルの前に立っていた。この街に一人で、おいしい漬物を探しにこられるようになった自分の影を見ながら、あの日見学した社会のことを思い出していた。


感想戦
-お疲れ様でした。
お疲れ様でした。最後に出てくる漬物店は「銀座若菜」というお店で、手土産やプレゼントに持っていくと本当に喜ばれるんです。ちなみに、その「銀座若菜」にも『銀座百点』はちゃっかり配布されており、私は数回、「そこに置いとる冊子であんさんのこと書いたん・・・ワシやで!」と思いながら漬物を購入ししっかり領収書をもらったりしていました。そして社会見学と称し私を銀座のクラブに連れて行ったあの編集者は絶対に自分が行きたかっただけ。絶対そう!