「吉行淳之介の死 - 遠藤周作」遠藤周作エッセイ選集1人と心 かなり、うまく、生きた 知恵の森文庫

 

吉行淳之介の死 - 遠藤周作遠藤周作エッセイ選集1人と心 かなり、うまく、生きた 知恵の森文庫

吉行淳之介が死んだ。
四十年のつきあいである。
先に村松剛[たけし]を失い、今度は吉行に先だたれ、何ともいえぬ寂しさと、「とり残された」という感じ。
新聞や週刊誌を開くたび、吉行の顔写真をみる。その時の悲しさは耐えられない。しかしそれよりも彼の遺宅へ行って、その死顔を目にした時の衝撃。
我々彼の友人はこんなに早く彼が死ぬとは思っていなかった。まだ、二、三年はあると思っていた。だから第三の新人といわれる仲間も、
「えッ」
と言ったきり絶句してしまった。
実にやさしい男だった。
細かな心づかいをしてくれる男だった。そしてイキな男だった。
その彼が五月に医者から、
「もう、あなたに為すべき治療はありません」
と言われ、
「シビアなことをおっしゃいますね」
と答え、その日以後、心身ともに参ったという話をきいた。
医者がインフォームド・コンセントで病状を説明することはよいが、右のような、患者からかすかな希望も奪ってしまう言葉を言ってしまうのは、私は賛成できない。
医者は、自分の言葉が患者の心理に与える打撃や影響を十分考慮して、表現すべきではないか。
あの忍耐づよい吉行が「参った」のはよくよくだったろう。
私は彼につれられて銀座のバーによく行ったが、今でも忘れられぬ思い出がある。
その店のホステスの誕生日だと知っていた吉行は、途中で香水を買った。香水の名は今は忘れた。
店についても吉行はその誕生祝いをすぐに渡さない。「おめでとう」とも言わない。
やがて帰る時、彼は地下の店から歩道に出る階段のぼりながら、知らん顔をしている。
(どうするのだろう)
と私は好奇心を持った。
あと二段か、三段で歩道に出るところで、
「そう、そう」
と彼はわざと気づいたようにポケットから香水の瓶を出し、
「今日はあんたの誕生日だったな」
と今になって思い出したように、
「これ、プレゼント」
と言って手わたした。
その恰好のよさに私は舌をまいたが、ホステスもジーンときたようだった。
すること、なすことがすべて優しさをスマートに出す男で、彼は私の泥くささをよく笑ったものだ。
芥川賞の選考会やパーティーで出会う時の彼の笑顔はいつも好意に溢れていて、その顔を強く憶[おぼ]えている私には、彼の辛そうなデス・マスクを見た時、泪[なみだ]がとめどなく溢れ困ってしまった。
「安らかな死顔だ」
とあまり吉行と親しくない人は言うが、私はむしろ、長年にわたる彼の病気との闘いを多少は知っているだけに、
「やっと、苦しみから解放されたのか」
という思いがこみあげ、
「長年、ありがとう、吉行」
と言うのが精一杯だった。
だから週刊誌が吉行と宮城まり子さんの生活を好奇心半分で書いているのを眼にすると、不快で仕方がない。
また青春時代の友を一人失ってしまった。むかし飲屋で騒いでいた若い頃、こんな日がくるのを一度も考えなかった。