「天文学とSFアニメ - 福江純」SFアニメの科学、知恵の森文庫 から

 

天文学とSFアニメ - 福江純」SFアニメの科学、知恵の森文庫 から

この宇宙に、われわれの友人(敵でも構わない)がいるかどうかを突き止めることは、天文学の基本的な課題の一つである。この問題すなわちET探しは、「地球外知的生命の探索」の頭文字を取って、SETI(セチ)と呼ばれている。SETIの戦略としては、電波望遠鏡を使って、ひょっとしたら来ているかもしれない宇宙人からの便りを受信するのが中心になっている。しかし目標とすべき星の数はあまりにも多く、また相手がいつ、どの波長帯でメッセージを送ってくるかわからないので、いまだに宇宙人からの電話を受けることには成功していない。SETIは、UFO探しなどとはまったく異なった科学的な研究だが、大変地道な研究であり、しかもすぐに成果が現れる(宇宙人からの便りが発見される)見通しがないので、勇気があり使命感に研究者しかSETIをしていないのが現状である。ぼくのような大多数の研究者は、ついつい解きやすい目先の問題に捕らわれてしまう。
しかしSETIは、実は、天文学の目的、天文人(われわれ)の存在理由とも関わってくる重要な問題なのである。すなわち「何のために天文するのだろうか」という、一般の人からも尋ねられるし、また常に自分自身に対して問いかけている問いとも関係するのだ。
工学や医学などのいわゆる実学に対して、天文学とか数学は“虚学”と呼ばれることもあった。工学などが日常の生活に直接役立つものを生み出すのに比べ、天文学は、日々の生活には直接関係ないように見えるからだ。では虚学というのは、人間社会にとって不要な学問なのだろうか。宇宙人が何人いるかとかは、どうでもいいことなのだろうか。天文人は、このような疑問に対して、いかにして自分自身の存在を正当化すればいいのだろうか。
一つの反論としては、天文学は虚学ではない、実用的にも十分人間社会の役に立っている学問だと主張することだ。実際、宇宙開発に伴う副産物(スピンオフ)には計り知れないものがある。通信衛星気象衛星なども日常的に必要なものになっている。このような実例を挙げていくことはそれほど難しくない。
しかし、天文学は実用的にも役に立つという論旨で、天文学の有用性を主張することは、必ずしも適当ではないかもしれない。なぜなら、天文学には、もっと重要な使命があると思えるからだ。

さまざまな事物に対して興味を覚えるのは、人間の本性らしい。われわれはずっと、宇宙はどうなっているのかについて思いを巡らせてきた。このような人間の知的好奇心を満足させることが、天文学などの学問の一つの役目だろう。人間はパンだけで生きることはできない。精神的にも糧[かて]が必要なのである。
またわれわれのルーツに関する問いかけは、根源的なものである。宇宙の起源はどうだったのか、銀河はどのようにして形成されたのか、星や惑星はどうしてできたのか、生命はそして人類のような知的生命はどのように生まれるのか。
この、われわれはどこからきたのかという疑問に答えることこそ、天文学の使命ではなかろうか。
われわれはどこからきたのか、という問いかけは、翻って考えれば、われわれはどこへいくのか、さらには、いま何をしているのか、何をすべきなのか、という、過去、未来、そして現在の生き方の問題に還元される。
ほとんど哲学問答になってきたが、天文学や、またSETIの問題を突き詰めて考えていくと、結局、いま現在のわれわれ自身の生き方へと還ってくるようだ。いまをいかに生きるべきなのか。この問いに答えることこそ、天文学SETIの最終目標なのかもしれない。
アニメやマンガは、楽しさだけでなく、しばしば大きな感動も与えてくれる。天文学も、業界だけで閉じずに外部に向けて扉を大きく開き、知的食糧や自分のルーツを考える材料を提供したり、さらにそれらが現在の生き方へのヒントにでもなれば、アニメに負けず劣らず、素晴らしいものになるだろう。