「英語教師夏目漱石(抜書『子供の語学教育』) - 川島幸希」新潮選書

「英語教師夏目漱石(抜書『子供の語学教育』) - 川島幸希」新潮選書

 

ところで、漱石はわが子の語学教育はどうしていたのだろうか、親が子供を教えるのは、えてして感情が入り過ぎてうまくいかないものだが、漱石の場合も例外ではなかったようだ。長女の筆子は次のように回想する。

 

私が英語のリーダーを声に出して読んだりしていると、想い出したように父が首を出し、「おまえの発音は中々よろしい。その位出来るなら、明日からお父様が英語の勉強をみて上げよう」といって私を驚かしたりした事もあります。ところが、ちょうどその日が、個人レッスンの先生を決めてきたばかりの日でしたので、そのことを申しますと、父はあっさりと、「それでは、すぐに断って来なさい。お父様が見て上げるのだから・・・」とくり返して申します。それではとお断りして参りましたのに、父が約束通りにみてくれたのは僅かに二、三回、あきてしまったのか、気が向かなくなったのか、それとも私の出来が良くなかったのでしょうか、それきりうやむやになってしまいました。(「夏目漱石の『猫』の娘」)

 

漱石は娘の教育には一般に無関心で、学校の選択も妻に任せていたくらいだから、このような結果になったのであろう。なにしろ、漱石は娘が自分の小説を読むことすら好まなかったので、筆子は父の生きている間にその作品を読んだ記憶すらないのである。ただ、漱石に語学をたいして習わなかった筆子はむしろ幸運であった。長男の純一と次男の伸六は、男だったがゆえにひどい目にあわされたのである。まず漱石は二人の息子の学校を選ぶ。

 

男の子が小学校に上がるといふ段になつたら、大分自分に考へがある様子で、九段上の「暁星」がいい。あすこは生徒も上品の子が多いし、小学校から外国語(仏蘭西語)をやるし、制服も可愛いといふので、わざわざ自分で行つて規則書を取つて来てくれて入れたものです。(『漱石の思ひ出』)

 

鏡子夫人によると、漱石暁星小学校を選択した最大の理由は、外国語をみっちりやらせようとおもったからであった。漱石は息子たちの語学習得に遠大な計画を持っていた。

 

まづ小学校で仏蘭西語をやる。中学校へ行つてそれに英語が加はる。しかし外の中学よりは程度が落ちるといふから、中学へ行ったら英語は自分が教へる。それから高等学校へ行つたら独逸語を教はる。すると大学へ行つた頃には英独仏三箇国語に通じることが出来るとかいふのでした。

 

この構想に基づき、漱石は息子たちが小学校から帰ってくると、書斎に呼んでフランス語を教えた。ところが鏡子夫人が隣の部屋で聞いていると、馬鹿野郎の連発で、子供たちは泣く泣く部屋から出て来る。教えているよりも馬鹿野郎の方が多いくらいなので、夫人が見兼ねて漱石に注意した。そのやり取りがおもしろい。

 

「貴様[あなた]ののは傍で聴いていますと、教へるより叱る方が多いぢゃありませんか。これ迄随分方々の学校で先生をしてらして、いつもあんなに生徒に向つて莫迦野郎と怒鳴り続けてゐるんですか。」
「彼奴[あいつ]は特別出来ないからだ。一体おれは出来ない生徒にはどこの学校でも仇敵[かたき]のやうに思はれたもんだが、其代り出来る生徒からは非常にうけがよかつたもんだ。」
「でも相手は子供ぢやありませんか。そんなに莫迦々々と叱つてらつしやる間に、出来なけりや深切に手をとつて教へたらいいでせうに。」

 

この議論はどう見ても漱石に分が悪い。漱石は、あいつは頭が悪いんだなどと反論してはみたが、その後はあまり馬鹿馬鹿と言わなくなったという。だが結局のところ、三か国語をマスターさせるという願いは全くの期待外れに終わった。せめてもの救いは、その現実を知る前に、漱石がこの世を去ったということであろうか。