「人生居候心得 - 種村季弘」筑摩書房 人生居候日記 から

 

「人生居候心得 - 種村季弘筑摩書房 人生居候日記 から

数年前のことになるが、勤め先の大学に、ある日ひとりの婦人が来訪された。婦人は渡辺隆次さんからといって、ジャムの壜のような広口壜わおいていかれた。濃紫色の、なんだか血液の混じっていそうな液体のなかに、肌色のすべすべした肉片のようなものがぷかぷかしている。キノコなのだそうである。そういわれなければ、壜詰の胎児標本のようなそのものを、手にとることはおろか、食べる気など毛頭しなかっただろう。まもなく渡辺さんから手紙がきて、そこに料理法が懇切丁寧に手ほどきされてあり、それにしたがってぶきみなキノコの壜詰はなんとなく冷蔵庫から消えていった。
渡辺さんが山梨の日野春に引っ込んで、作画のかたわらオートバイを乗り回してキノコを採りあるいているという話はそれ以前から耳にしていた。都会育ちの人が田舎に住むと妙に田園趣味に凝ったりする。渡辺さんのもそのテだろう、まあ、いいとこ続いて一年かな。田舎住い自体が持って二、三年だろう。当座は腹の底でそう思った。
特に悪意があったわけではない、といいたいのは山々だが、しかし渡辺さんに関するかぎり、私は少々フクシューの快感を味わってもよさそうな曰く因縁がないでもないのだ。話変わって、このときをさかのぼることまた十数年前、私は秩父の山奥に住んでいたことがある。一日、そこへ渡辺さんが訪ねてこられて、開口一番、こういわれたのである。
「よくこんなところに住んでられるなあ。ぼくだったら、こんな田舎、とうてい住めませんねえ」
その渡辺さんが、なんだかだ、もう十三年間も日野春に定着し、人さまにお裾分けできるくらいのキノコを採取し、あまつさえキノコについて玄人はだしの本まで一冊書いてしまったのだから、ウラギリモノの汚名くらいは甘受して頂きたいということなのである。私のほうの論理からいえば、こちらはその後秩父住いにも脱落したので、いいとこはみんな渡辺さんに持っていかれたという被害妄想がどうしてもつきまとう。そういえば渡辺さんが書いたキノコの本にも、彼がせっかく見つけたシロを、どうだ、うまそうなもの見つかったかい、とかなんとかいいながら近寄ってきて、いいとこをみんな持っていってしまう男が登場してくる。上には上があるもの、と私は感心して、ちょっぴり溜飲が下がるような思いをした。
しかしいつまでもフクシューの快感に酔っているだけでは二進も三進もいかない。いくら私が小心翼々のケチくさい男でも、まさかそれをいうためだけにこの一文を書いているわけではないからだ。
さて、渡辺さんがキノコの本を書いた。渡辺隆次さんは絵描きさんなので、キノコの写生見本も付されている。すなわち『きのこの絵本』である。蒐めるところのキノコ四十二種、文献学的ペダントリーをひけらかすのではなく、足であるき舌で試した。有毒なやつもあるから、渡辺さんがそれにシビれたり、ジタバタしたりするきだりもあって、すべて人体実験済みである。実践的に信用できる。実践的であって客観主義的ではないから、キノコの絵もエピソードも、対象の内部から体験されていて、それを見たり読んだりするうちに、ときに幻覚な悪夢におそわれることもあれば、ときにハッピーな青空がひろがったりものする。それだけでも類書に見られない美質である。

ところでキノコは、種類によっては、化けたり人を化かしたりすることがあるらしい。何食わぬ顔をして前言をひるがえすように、くるくる姿を変えるなどお茶の子だ。悪くいえばあんまり節操がなく、よくいえば変幻自在。いずれにせよどこかいかがわしい。それはどうも、植物でもなければ動物でもない、菌類独特の位相からくるあいまいさに起因するらしい。キシメジ科のヤグラタケのことを書いたくだりに次のようにある。
「植物は、太陽光と無機物とで、自らブドウ糖やデンプンなどを合成する生産者だ。動物はその植物を食べるが、これだけでは地球上が植物や動物の死骸、糞だらけになってしまう。(略)菌類は掃除屋として登場し、植物、動物を再び無機物に戻す分解者の役割を担う。植物、動物に菌類を加えて、ここに生物界の三大柱が揃い、特に菌類を『第三の生物』といったりする。」
植物のように生産するのみではなく、そうかといって動物のようにもっぱら消費するだけでもない「第三の生物」。彼がなにをするかといえば、植物と動物の形作る生産と消費の循環構造を、構造自体が老廃化しないように、両者を一挙に無機物に、すなわち生物の目から見れば死に、還元してしまうことにある。植物、動物の側からいえば、この「第三の生物」は、だから死の回し者めいてうさんくさく、なにやらぶきみである。しかし彼がいなければ、生産、消費の生物界のパイプも詰まってしまい、あげくは生物界そのものが死滅にさらされる。無機物からなる死の世界に内通しながら、逆説的にもキノコは、生産と消費の循環構造をもう一枚上回る、生と死の宇宙的循環構造をあやつって、生きとし生けるものをあるがままに生かしている、ともいえそうではないか。
キノコは寄生者[パラジツト]であり、居候であって、しかも寄生者として母体の血肉をすすって生きているのに、一方ではより大きな構造に依拠して、寄生の母体に生命を贈与しているのである。それは人間社会における、生産にも消費にも直接関与しない無用の長物のようでいて、しかしどこかでなくてはならないものであるらしい、芸術家という存在に似ていないでもない。とすると、渡辺さんがなかば冗談めいてさりげなく、「唐突なはなしだが、ぼくは、この世には居候している、といったおもいが漠然とある。」と書くのも、まことに素直に納得できる。
そしてそう思って前の頁から読み直すと、本題とはなんの関係もなさそうに思えた、戦中の疎開先に空襲で家を焼かれた家族が逃げこんでくるエピソードといい、トカラ列島臥蛇島にぶらぶらしていた時期の話といい、捨て石のような思い出話が全部生きてきて、それがみんな、「ある居候の半生回顧録」を緊密に構成する要素だったと知れるのである。キノコに事寄せた一人の芸術家のビルドゥングス・ロマン(教養小説)。しかしそこまで大仰にいわないでも、小学生としてはやくも居候生活(疎開)にとびこんだ人が、以来、人生無一物、生産にも消費にも、したがって農村にも都会にも無縁に、ひたすらそういうものとしての丸ごとの社会に寄生者=居候としてあっぱれかじりついてきた一貫性に、いまさらながら驚嘆しないわけにはいかないのだ。

この本の渡辺さんは、ある種のサヴァイヴァル主義者のようになまじ農村の生産生活に肩入れしようともせず、そうかといって都会の消費生活にノスタルジ-を感じているのでもない。じつにきれいさっぱり、そのどちらとも無縁に、居候生活をちゅっかり全うすることを心掛けて日々おこたることがない。ここである、渡辺さんと私の分かれ目は、いまにして思えば、私は生産生活にも消費生活にもふっきれない負い目を感じて居候に徹し切れず。それだけにちゃちなフクシューの執念にしがみついたのだった。それをとっくに見抜いて、そんなやり方じゃだめだ、と彼はいったのである。その証拠にキノコ本を書いた今日がある。
渡辺さんは居候に徹した。キノコになってしまった。だから地球的居候たるキノコの神出鬼没、そのいつどこに出現するかもしれない神妙変化を嗅ぎつけてオートバイを走らせると、ちゃんと相手はそこに待っている。まるで「開け胡麻」の呪文をかけたように、奇種珍種のキノコがつぎつぎに姿をあらわす。わが身を居候と認識し、サトリを開いた瞬間から、この世は壮麗なキノコのシロの無尽蔵に打ち続く山野となり、そこが舞台の、血湧き肉躍る居候の大冒険がはじまるのである。
話がここまでくれば、べつに山梨県でキノコを採る話とはかぎらなくなる。早い話が、というか大いに身につまされる話が、長年サラリーマン生活を勤めあげた定年間際の人が、そろそろ生産にも消費にも見放され、したがって女房子供にも愛想を尽かされて、暗澹たる余生を前にしているとしよう。彼がもしもこの本の渡辺さんに倣って、これからは人生の居候てして生きようと覚悟するとする。と俄然、眼前に一挙に、無数のキノコ、またはキノコ的存在の群居する風景が浮かび上がってくるのではあるまいか。都会の片隅でも、みずからを居候の分際と観念しさえすれば、キノコのシロ的人生の幸運はいたるところに見えてくる。いままで見えなかったところにありありと見えてくる。渡辺さんはその見つけ方を、今日ここだけのお客さんにかぎって、気前よく教えてくれているのである。