「遺伝子はダメなあなたを愛してる(内物質6篇抜書) - 福岡伸一」遺伝子はダメなあなたを愛してる 朝日文庫 から

 

「遺伝子はダメなあなたを愛してる(内物質6篇抜書) - 福岡伸一」遺伝子はダメなあなたを愛してる 朝日文庫 から

 

〇初めて彼が部屋にきたのにゴキブリが出没。ゴキブリなんて絶滅してほしいと思うのは間違いですか?

 

こんにちは。福岡伸一と申します。私は生物学者です。ひとことで生物学といってもいろいろあります。私は遺伝子や分子を調べる分子生物学が専門ですが、ほんとうに憧れたのはドリトル先生のような生物学者でした。みなさんはドリトル先生の物語をご存じですか。20世紀前半のイギリスの作家、ヒュー・ロフティングによる童話文学の主人公です。ドリトル先生は動物と会話ができる能力があります。そして自然に耳を傾けます。でも世間からはちょっとずれていて脱力系です。ドリトル先生はブタを家族同然にかわいがっています。それでいて先生の好物はスペアリブとソーセージなんです。つまりドリトル先生は「生きる」ということについてととてもフェアなのです。偽善がありません。私も生物学者としてこのようなフェアネスを求めたい。そんなドリトル先生の視点から世界を考えてみたいと思うのです。

ドリトル先生から学ぶことのひとつは、知的であることの最低条件は自己懐疑である、という事実です(ですから、おのれの無謬性を信奉する官僚たちは知的ではありません)。さて、ご質問ですが、端的に言って間違っています。彼らは何か直接的な害悪をなすでしょうか。彼らは刺したり噛みついたりしません。食卓を攻撃してくることもありません。家の中にカナブンが迷いこんできたら逃がしてあげるのに、ゴキブリを見つけたら、問答無用、即、殺すというのはあまりに一方的です。ゴキブリが飛びぬけて害虫扱いされる理由はありません。ゴキブリが他の生物に比べ、極端に汚染されていたり、特別な病原菌を媒介するといった科学的証拠もありません。
生物多様性が注目されていますが、生命の問題はまず時間軸を考えないといけません。ゴキブリがこの地球上に現れたのは3億年も前のこと、ヒトの祖先が出てきたのはせいぜい数百万年前、ゴキブリの歴史に比べたら100分の1です。
彼らはこの地球の先住民です。森に棲み、朽ち木、菌類、他の生物の死骸、糞などあらゆるものを食べ、特殊な腸内細菌との共生を獲得してきました。ゴキブリは世界中に数千種以上いますが、その大半は今でも熱帯雨林にいます。そしてずっと地球の生態系に寄与してきました。分解者として環境を浄化する一方、他の生物の餌となって地球の動的平衡を支えています。もしゴキブリがいなくなったら地球の動的平衡はたちまち崩れ、人間を含めたすべての生物の生存も危うくなることでしょう。

おそらく私たちはゴキブリのたくましさ、しぶとさがうとましいのです。でもそれは勝手な感情です。私たちは圧倒的に新参者にすぎません。一度、虚心坦懐に彼らを眺めてみましょう。流線形の姿態。黒光りする翅。機敏な動き。それは3億年前から変わっていないのです。ここにあるのは実は美しさです。彼らは地磁気を感知でき、密林でも真っ暗な台所でも正確無比に走り回れます。彼らは氷河期を耐え、恐竜の消長を目撃してきたのです。きっとヒトだって同じ運命をたどると思っているかもしれません。私たちに第一に必要なのは謙虚さと時間の流れに対するリスペクトなのです。

 

〇スッポンを食べたらお肌がつやつやになった気がします。コラーゲンって、やっぱり美容にいいんですよね。

 

コラーゲンがクッション成分として細胞と細胞のあいだの張りを支えているという事実と、コラーゲンがたっぷり含まれたスッポンを食べれば体内のコラーゲンを補給したことになるはずだ、という考え方のあいだには、大きな論理の飛躍があります。
コラーゲンはタンパク質です。タンパク質は生存のための必須成分です。が、人間は自分に必要なタンパク質をすべて自ら作り出すことができます。できますというよりも、すべて自前で作り出すことでしか、タンパク質を生み出すことができない。自分のものは自分で作る。作り続ける。それが生きているということなんです。
タンパク質はアミノ酸という基本ユニットからできています。アミノ酸を連結していくことによってのみタンパク質が作られます。タンパク質ごとに使うアミノ酸の種類と連結順序が厳密に決められています。誰が決めているかって?それを指定しているのが遺伝子です。コラーゲンの遺伝子がコラーゲンタンパク質の設計図。タンパク質にはそれを作り出した生物固有の遺伝子情報が体現されているのです。
さて、コラーゲン遺伝子が指定しているヒト・コラーゲンタンパク質のアミノ酸配列は、グリシンプロリンプロリングリシンプロリンプロリングリシンプロリンプロリングリシン-・・・という繰り返しが数百回続くへんてこな構造をしています。ですからコラーゲンを作るためには、グリシンプロリンというアミノ酸があればこと足りるのです(正確にいえば他のアミノ酸もところどころに多少必要です)。
グリシンプロリンもごくごくありふれたアミノ酸です。植物性だろうが動物性だろうがどんな食品にでも含まれています。だから私たちの身体は必要ならばいくらでもコラーゲンをいちから作り出せるのです。
ならば、食べたスッポンのコラーゲンはどうなるのか。消化されて分解されてしまいます。ほんのわずかながら食品由来のタンパク質が消化をまぬがれて体内に入ることもありますが、スッポンなどの外来コラーゲンはヒトのコラーゲンとアミノ酸配列が違いますので、異物として排除されてしまいます。
消化というのは、そもそも外来タンパク質が担っている元の持ち主の遺伝情報を分解してアミノ酸に戻す作業です。文章をアルファベットにバラし、自分の文章をつむぐ。それが生命です。
では、スッポンのコラーゲン由来のアミノ酸が体内のコラーゲン合成の材料として役立つのでは?それは理論上はありえます。
しかし非常に低い確率です。いってみればお賽銭として投じた硬貨が巡り巡ってタクシーのお釣りとしてあなたの財布に戻ってくるようなものです。私たちは日々、大量のアミノ酸を吸収し、それが混ざり合い全身を巡って、60兆の細胞でそれぞれさまざまなタンパク質になりかわります。
ちなみに髪の毛の主成分はケラチンというタンパク質です。コラーゲンでお肌つやつや!というのは、そういう気がするということ。その心理効果までは否定しません。けれど、生物学的には、髪の毛を食べたら、髪の毛がふさふさ!同じ主張になります。

 

○ダイエットの味方のキノコ。これは「野菜」でしょうか。

 

秋になると森の地面に現れるキノコ。生物学的には、いったいどのような生き物だととらえられているのかご存じでしょうか。

私は、ある雨上がりの朝、京都の北山を歩いていて、見事なキヌガサタケを見つけたことがあります。ちょこんと帽子を被ったような先端のドームのすそから、網目条の白いスカートがふんわりと広がっています。それはパティシエが花を模して作った繊細なお菓子のようにも、あるいは職人が技巧を尽くして織ったレース編みの花のようにも見えます。そして実際、キヌガサタケは花のように香気を発しているのです。それは、人間にとっては臭くていやな匂いです。ところが虫たちにとっては文字通り、蠱惑的[こわくてき]な香りのでしょう、瞬く間にあちこちから蟻やその他の小型昆虫がやってきて忙しそうに上り下りを始めました。そうです。キノコは、虫を惹きつけ、胞子を拡散させるために地上に現れ、柄を伸ばし、傘を開きます。その意味ではキノコは、植物が花をつけるのと同じ働きをしているといえます。朝、咲いた花が、夕べにはしぼんでしまうように、キヌガサタケも驚くべきスピードでスカートを広げ、数時間のちには縮んでしまいます。ですから地上に現れたばかりの優美なキヌガサタケに出合うのは、ほんとに幸運なことです。
ところで、キノコは正確にいえば、植物ではありません。光合成がてきないからです。植物のもっとも重要な特性は、この光合成能力です。太陽エネルギーを使って二酸化炭素を栄養や細胞の成分に変換する光合成は、非常に複雑かつすばらしい生命現象です。炭素に酸素が二つくっついた二酸化炭素は、燃えカスですから、そのままではどうすることもできません。大気中に蓄積されれば地球温暖化の原因になるという厄介ものでもあります。しかし、植物はこの二酸化炭素から酸素を引きはがし、そうしてできた炭素を連結して、もういちど糖やデンプンや繊維に変える能力を獲得しているのです。それがヒトを含めて、他の生物の食料となり、長い時間が経過すれば石油、石炭、てんねんがすなどになって地球環境を支えてくれています。
もちろん光合成には多大なエネルギーが必要で、植物は太陽光線をダイレクトに利用しています。彼らは究極のソーラーシステムを持っているのです。だからこそ、うろうろ動く必要がないのです。

さて、キノコはその身なりこそ花に似ていますが、光合成能力がありません。キノコは、実はカビや酵母の仲間、菌類に分類される生物です。キノコのほんとうの姿は、傘の地下に張り巡らされた菌糸です。菌糸とは細長い菌胞が連結したもので、これを木の根っこなどにくっつけて栄養を吸い取ります。また菌糸から有機物を分解する酵素を分泌し、分解物を吸収して栄養にします。秋になって気温が急に低下すると、菌糸は細胞のかたちを変化させてキノコを作り出します。キノコから放出される胞子は乾燥や冷温に耐性があり、生き延びるための方策なのです。
一見、日陰者のような菌類ですが、彼らもまた大きな力で地球環境を支えてくれています。それは菌類がもつ強力な分解力です。森が落ち葉で埋まらないのも、動物や鳥の排泄物や死骸がいつの間にか消え去るのも彼らのおかげ。分解物は植物の栄養素にもなります。彼らは一方的に木の根に寄生しているわけではないのです。植物という偉大なる合成者、菌類という縁の下の力持ち、私たち人間の生活はこの二つの生命圏によって成り立っているのです。

 

○彼は筋金入りの草食系。栄養学的に問題ないでしょうか?

 

ベジタリアンだけど健康でいられるか、ということですね。30ページの「エネルギー問題」についての項で炭素(C)の循環について書きました。私たちは炭素が連結してできた炭水化物をカロリー源として摂取します。それを分解して燃やします。燃やすということは、酸化することで、酸化によって熱エネルギー、運動エネルギー、化学エネルギーを得て、体温を維持し、代謝を行います。燃えカスは炭素の酸化物、二酸化炭素となって呼吸中に放出されます。それを植物が光合成によって再び炭水化物に戻してくれます。
炭素と同様に、もうひとつとても重要な元素が生命活動と地球環境のあいだを往還しています。それは窒素(N)です。窒素はタンパク質、そして核酸(DNAとRNA)のなくてはならない構成成分です。私たち人間は、余分なカロリーを摂取するとそれを貯金しておくことができます。みなさんのお腹についている体脂肪がそれです。しかしタンパク質は余分に貯めておくことができません。日々、たえまなく分解され、捨てられ、そして新たに合成されています。私たちは一日におよそ60グラムのタンパク質を体外に捨てています。うんちとは、未消化物が消化管を通り抜けているのではなく、私たち自身の分解産物が捨てられているのです。おしっこもそうです。尿中にもたくさんの窒素が捨てられています。
だからこそ私たちは捨てられた分の窒素を取り入れなければなりません。捨てられている窒素は、タンパク質に換算して60グラムなので、それを補うだけのタンパク質を日々、食品として摂取しなければなりません。これが生命の動的平衡を維持するということです。60グラムとは、乾燥重量です。食べ物はふつう、その倍の水を含んでいますから、湿重量としては120グラムほどのタンパク質が必要となります。だから血の滴るような数百グラムものステーキを平らげるのはタンパク質の過剰摂取です。タンパク質を過剰摂取すると体脂肪に変えられて蓄積されてしまいます。しかし窒素は貯められないので排泄されてしまいます。
タンパク質の摂取は何も動物性でなくても、植物性でもいいのです。地球上にもっとも大量に存在するのはルビスコというタンパク質で、これは植物の光合成をつかさどる酵素です。ですからどんな葉っぱや野菜にもタンパク質は豊富に含まれています。大豆などマメ類にも良質のタンパク質が含まれています。良質というのは、そのタンパク質のアミノ酸組成(タンパク質はアミノ酸という窒素化合物が連なって作られています)のバランスがよいということです。アミノ酸のうち必須アミノ酸と呼ばれる9種は体内で合成できないので、バランスよく食品から摂取しないといけないのです。ですから、一日に必須なカロリー数(体重によりますが、大人でだいたい1600~2000キロカロリー)の摂取があり、植物性のタンパク質が足りてさえいれば、ベジタリアンでも全然問題ありません。ひとつ注意すべきは、単一の穀物だけに頼ると(たとえばトウモロコシだけ)アミノ酸組成に偏りがあるので、リジンやトリプトファンといった重要な必須アミノ酸が不足する危険性があります。

蛇足ながら、草食系という言葉が、性的に淡白な男子、という意味で使われることに、私はかねがね疑問を抱いています。だって羊にしろヤギにしろ牛にしろ、草食性の動物はセックスにとても貪欲で、行為も激しく、そのときの鳴き声なんて、それはそれは騒々しいなんてものではすみませんからねえ・・・。

 

○彼は激辛が大好物。ダイエットにはよくても、食べすぎはいけませんよね。

 

私たちの味覚は、基本5味から構成されています。甘味、酸味、苦味、塩味、うまみです。甘みは糖質、すなわち大事なエネルギー源である炭水化物のありかをさぐる重要な手がかりとなります。うまみは、タンパク質の構成要素であるアミノ酸(グルタミン酸)に対して感じる味覚です。
つまりおいしいものは身体にとってよいものであり、必要なものなのです。

興味深いことに、私たちは炭水化物そのもの(小麦やイモ)あるいはタンパク質そのもの(卵の白身)には、味を感じません。それが崩れかかったとき、つまり分解し始めるとき、そこから放出される糖やアミノ酸に対して、甘みやうまみを感じるのです。
これはおそらく獲物が傷つき、倒れて、動けなくなったとき、その場所へアプローチするため、甘み・うまみ成分の濃度勾配をたどれるよう、進化の途上、生み出された能力であることを示しています。
塩味は、体内の浸透圧維持に適正な量の塩が必要だから感じうる知覚です。塩味は血の味でもあります。
これに対し、酸味、苦みはある意味で警戒の知覚です。食べ物が傷むと腐敗が進み、酸っぱくなります。自然界の苦いものは身体にとって有害な成分であることが多い。
しかし適度な酸味、苦みは逆に、おいしい知覚に変化することもしばしば私たちが経験するところです。子供のころ嫌だった酸っぱい食べ物、苦い飲み物が、大人になるとおいしくなります。味覚は、時間と経験によって深みを増すものでもあります。
基本5味の他にも私たちが感じうる味覚があります。そのひとつが辛みです。カレーやキムチの辛さ。これはトウガラシ成分のカプサイシンという物質に対する私たちの反応です。基本5味は、舌の上の味蕾にある5種の味覚レセプターにそれぞれの味物質が結びつくことによって感知されますが、辛みだけは別ルートで感じているようです。激辛のものを食べるとちょっと間をおいてから急に辛くなります。いそいで水を飲んでもなかなか辛さはとれません。なぜなら辛みは舌の表面組織の内側にある神経末端が感じるから。カプサイシンがそこへ到達するのにタイムラグがあり、一度、入り込むとなかなか洗い流せないのです。そして神経が感じているということは、辛みは「痛覚」に近いものといえるのです。
殴られたときのような痛みを感じて、交換神経が興奮し、心拍数が増し、体温が上がります。体脂肪の燃焼も促進されます。闘いの態勢です。だから辛いものを食べるとダイエットになるというのはあながち間違ってはいません。ただし、辛いうまさにつられてたくさん食べてしまうので、元の木阿弥になりがちですが。

世の中には激辛好きが多いようで、カプサイシン含有量の高いトウガラシが競って栽培されています。トリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーという品種は現在、ギネス認定で世界一辛いのだとか。私が出演していたNHK・BSの「いのちドラマチック」という番組で、これを取り上げ、司会の劇団ひとりさんが試食したところ、激辛すぎて収録が一時中断してしまいました。これを見て私は口にするのをやめました。
植物がなぜ、こんな辛み成分を作り出しているのかは謎ですが、ひとつの仮説は、激辛成分によって動物に実を食べられないようにする一方、丸のみしてくれる鳥に食べてもらって、種まきをしてもらおうとする生物戦略だとする考え方です。その証拠に、ある種の鳥はカプサイシンを辛いと感じないのです。

 

○お正月のお餅がカビだらけに。色のついたところを削り取れば、食べても平気ですよね。

 

風呂場のタイルの目地などが黒ずんでくるのはまぎれもなくカビのしわざですが、どうして光もなく、栄養もなさそうな、あんな場所でカビは生存できるのでしょうか。そこにカビの生命力の秘密があります。カビは植物ではなく、菌類ですから暗くても平気です。そしてほとんどあらゆるものを分解する能力を持っているのです。石鹸やシャンプーの飛沫や皮膚の剥落物、なんでも分解します。

ヒトは食べ物を消化管に取り込んでから分解しますが、カビは食物を自分の細胞内に取り込んで分解するのではなく、酵素というものをまず細胞外に分泌し、その力で細かくしてから栄養素として吸収します。その酵素の生産能力と種類が半端じゃありません。人間が作り出したプラスチックのような人工物まで分解する力があるのです。すごいですよね。
ですから人間もカビのパワーをいろいろなところで利用しています。いちばん身近な例は、お酒造りですね。お米や麦、あるいはイモなどのデンプンを分解してブドウ糖に変えるには、麹の力を借りますが、麹は、アスペルギルスというカビの一種です。デンプンを分解するアミラーゼという酵素大量に作り、分泌する能力があるのです。こうしてできたブドウ糖を今度は酵母菌の力を借りてアルコールに変え、日本酒や焼酎、ビールなどが造られます。チーズなどの発酵食品にもカビがかかわっています。カマンベールチーズには白カビが、ブルーチーズには青カビが使われています。カビの酵素力で、食品中のデンプンは糖に、タンパク質はアミノ酸に、核酸ヌクレオチドに分解され、それぞれ甘みやうまみ、風味や香りを生じさせるのです。
このような発酵食品に使われるカビは、いわば優等生のカビです。長い食文化の歴史の中で選抜され、酵素の生産能力が高く、一方、有害な毒素などを作ることのない安全な品種が、種菌として非常に大切に維持管理されています。

いちばん困るのは、優等生でない、一般のカビの混入なので、取り扱いは非常に慎重に行われます。私たち生物学者にとってもカビは大敵です。ヒトの細胞をシャーレの中で培養して実験することがあります。このとき無菌的な安全キャビネットの中で操作を行いますが、それでも手洗いが不十分だったり、うっかり器具の先端が培地に触れるなどして、汚染が起こることがあります。このときもっとも多いケースがカビの混入なのです。いったん混入したカビは生命力が強いので、もう除去できません。シャーレはカビだらけとなり、実験は最初からやり直しです。
カビは胞子を作ります。これがカビのやっかいさの原因です。胞子は乾燥や熱に強く、空気中を漂って広がります。あなたの手や髪の毛にもたくさん付着しています。ですからお餅を野外で杵と臼でついたりしようものなら、そこにカビが混入しないはずがないのです。しかも混入するカビの種類は雑多です。麹やブルーチーズのような優等生品種ではありません。そんなカビたちがどんな毒素を出すかわかりません。ですからカビの生えたお餅は食べないほうが賢明です。しかも黒や青や赤のカビの色は胞子の色で菌糸は細くて透明なので見えません。削り取ったつもりでも、お餅の内部にカビが侵入していることがあります。
カビは植物や動物にも寄生します。昔、圧倒的なシェアを誇ったバナナの品種が、あるカビのために全滅したことがありました。つまり、カビとは地球上でもっとも成功をおさめた最強の生物といえるかもしれません。