「フランス座にいた、或る男 - 玉袋筋太郎」キッドのもと から

 

フランス座にいた、或る男 - 玉袋筋太郎」キッドのもと から

 

オレは高校を卒業してすぐビートたけしの弟子になったわけだけど、弟子っていっても、別に何か芸ができるわけじゃなかった。実際、そのころやってた仕事は、当時の人気番組『風雲!たけし城』で、一般参加者に混じってたけし城を攻めることぐらいなもんで・・・って、それは単なるエキストラだよ!
実は弟子入りする前に、同じ弟子志願として顔見知りになっていた博士[アイボウ]と、「もし弟子になれることがあったら、浅草のフランス座で修業したいね」って話をしてたんだよね。
だから、このままエキストラみたいなことをやってても駄目だって自覚はあった。そしたら、ちょうど運良く、フランス座で人が足りなくなったっていう話が師匠のところに来たんだ。
たけし城のプレハブの楽屋で、師匠がオレたちに向かって「お前らの中でフランス座行きたいヤツいるか?」と聞いてきた。
「行かせてください!」
オレと博士は、渡りに船とばかりに、二人揃って真っ先に名乗りを挙げた。そんな経緯でストリップ小屋のフランス座へ修業に行かせてもらったってわけ!まあ、言うならば「志願兵」だよね。

 

時はバブル経済最盛期。ワルだった高校時代の友達は、卒業と同時にソアラ(懐かしいね~)を買ってもらって乗り回してた。世の中の大半の人間は、金がたっぷりと張られた黄金の湯船に浸かってのぼせているような状況だった。
そんなお祭りのような空気が日本全土を覆い尽くしていた時に、オレと博士は、自ら望んで草木も生えてない浅草フランス座に行ったんだ。そこでは、それまで暮らしていた新宿の住人たちとはまた違った、さまざまな人種を見ることができた。
今でこそ浅草も復興したけど、当時は本当に活気も何もない街でねぇ、通りを歩いている人といえば、ホームレスが、場外馬券売り場で昼からサワー呑んでる酔っ払いか、ひさご通りに立っている誰が買うんだっていうババァの立ちんぼくらい。そこは、バブル景気で盛り上がっている、ネオン輝く繁華街とは全く別の世界だった。
そして、そんな浅草にある、ゴキブリがウジャウジャいる廃墟のような薄汚いストリップ劇場で、オレたちは住み込みで修業することになった。
高校を卒業してすぐの頃だったから、一応はオレもフレッシュでさ、今思えばまだまだ汚れていない綺麗な身だよ。なのに、社会への第一歩をそんな世間から見放されたような土地で踏み出したんだから、わざと身体に垢をつけに行ったようなもんだな。
同じ年齢の清原和博桑田真澄は、プロ野球一年目の高卒ルーキー。一方のオレは、プロ芸人の一年目がストリップ小屋の高卒ルーキー。KKコンビはプロに入って何千万円も契約金をもらっているのに、こっちは朝から晩まで劇場業務をしながら、ストリップの合間にはコントをやって、それが終われば社長のやってるスナックも手伝わされた。挙句もらえるのは一日千円だからね。同じルーキーでも雲泥の差だわな。

 

劇場でのオレの仕事は照明係で、太田さんって人が一緒だった。この太田さんのことが今でも忘れなれなくてねぇ。
太田さんは過去にフランス座で働いていたけど、社長へのしくじりがあって一度劇場を飛び出し、数年後にまた出戻ってきた人で、オレより八歳年上の当時二十七歳だった。千葉県の四街道出身で、昔は悪さをしていたらしく、ヤクザの電話番やカード詐欺なんかをして捕まったこともあったけど、芸人になる夢を捨てられず、結局フランス座に辿り着いた流れ者だ。
こんな風に書けば極悪非道な男のイメージを抱くかもしれないけど、実際の太田さんはオレたちのアイドルだった。とにかく年上なのにだらしがなく、全く威張らない性格で、オレたちにツッコまれたりするといつも「イヒッヒッヒ」と笑って、欠けた前歯が可愛い笑顔を見せるんだ。
太田さんもオレたちを楽しませるのが好きで、楽屋で素っ裸になったかと思うと、殺虫剤のスプレーとライタ-で火炎放射器を作って、それで自分の陰毛を燃やしたりしてさ。
当時、なんでかオレたちの会話の中で語尾に「-じょ~」ってつけるのが流行った時には、こんな会話をよくしてた。
「オイ、アカエ、金がねぇじょ~」
「太田さん、腎臓でも売っておごってよ」
「オレはやだじょ~、そこらに寝てるホームレスの腎臓取って売っちゃうじょ~、イヒッヒッヒ」
太田さんはオレよりも年上だったにも関わらず、そんな間抜けな喋り方がよく似合う、なんとも言えず愛嬌のある人だった。

 

ある日のこと・・・。
オレと博士は、いつものように「先生と生徒」という学園モノのコントをやっていた。照明室でオレたちのコントを見ている太田さんが「イヒッヒッヒ」と笑っている。お客さんにウケるのも嬉しいが、それよりも照明室の太田さんが笑っているのが嬉しかった。
しかし、この日は普段よりも客筋が悪かった。
「オイ!やめちまえ!そんなもん!」
二人組の酔客がオレたちのコントが始まってからずっと文句を垂れていた。どうしても、その汚いヤジが気になってコントにならなかった。オレの苛立つ気持ちをお見通しの博士が、目で「気にすんな」と念を送ってくる。その念でどうにか気持ちをを抑えて、コントを続けていた。
すると、今度はその酔客がフラフラと最前席にやって来た。
「これやるからやめろってんだ!」
劇場中に響く大声でそう叫ぶと、クシャクシャの千円札を舞台に向けて投げつけてきた。
「うるせ~!そんなもんいるか!」
オレはクシャクシャの千円札蹴っ飛ばした。
「やめろ赤江くん、コントやってるんだから」
「小野さん、オレ嫌です!こんな金もらうためにやってるんじゃないし!」
悔しくて涙が溢れてきた。
「いいからコントの続きをやろう」
「やりたくないですよ!あんな野郎に見せるのも嫌だ!」
そんな二人のやり取りを見ていた酔客のひとりが、今度は舞台に向かって一升瓶を投げつけた。
ガシャーン!
一升瓶は砕け散り、あたりは酒まみれになった。
さっきまで悔し泣きしてコントどころじゃないオレを止めていた博士も、これにはさすがにキレた。
「てめぇ、この野郎!」
二人揃って客席の酔客に飛びかかろうとした、その時。
二階の照明室から飛び出して、舞台袖にあった木刀を持った太田さんが、舞台を降りようとするオレたちを制して酔客たちに向かって行った。
「てめえら、いい加減にしろ!」
そう一喝すると、木刀で威嚇しながら酔客をロビーへと追い込んで行く。
「ホラ出てけって言ってんだ!いいからお前らはコントやってろ!」
そこにいるのは、オレたちの知ってる太田さんじゃなかった。劇場の扉が閉められると、ロビーから太田さんと酔客が争う怒声が聞こえてきた。一度は不成立になりかけたコントだったが、残っていたお客さんから「頑張れ!」と拍手をもらったオレたちは、涙を拭いて正気を取り戻し、どうにかこうにかオチまでやり通した。
照明係の太田さんが酔客とどこかに行ってしまったので、コントが終わっても次の踊り子さんのステージが始まらない。オレは舞台から照明室まで急いで戻り、ステージの後半の照明はオレがコントの格好のまま担当した。
少しして太田さんが戻ってきた。
「アカエ~、バカ野郎~、あんな酔っ払い相手にするんじゃないじょ~」
「スイマセン・・・」
「小野にも言っておけ~、ったく、おかげで手をケガしちまったじょ~イヒッヒッヒ」
鬼の形相で酔客をシメた太田さんが、笑顔が可愛い、いつもの太田さんに戻っていた。

 

フランス座に預けられる時、師匠から「三年ぐらいいろよ、そうしたら芸人臭くなってくるからよ」と言われていたので、どんなに辛くても三年は我慢する覚悟はできていた。実際、住み込みで修業を始めてみると、極貧だったせいで、高校卒業時には八十キロあった体重がわずか三ヶ月で五十八キロにまで激減し、楽屋に置いてある二十年以上洗っていない布団で寝ていたたた、疥癬[かいせん]という今どき野良犬もかからない病気になったりもした。だけど、みんなとの劇場暮らしは毎日が楽しかった。
しかし、その年の冬、状況が一変する。
一九八六年十二月、師匠が雑誌『フライデー』の編集部を襲撃して謹慎生活に入った。その時、劇場の楽屋に、当時の師匠の付き人だった人間から「君たちは今の状況がわかってるね。師匠からも、君たちはそっちで勝手に生きて行きなさいって話だから」と、絶縁とも思われる電話が入った(後に、これは付き人がオレたちを切るために勝手に作った話だったわかるんだが)。
その電話で目の前が真っ暗になったが、ここにさえいられれば、ビートたけしの弟子でなくなっても、オレたちはストリップ小屋の芸人を続けていこうと思っていた。
しかし、ここからさらに、オレたちの土俵際いっぱいの気持ちをうっちゃるような事態が起きる。当時のフランス座の社長による劇場経営が芳しくなかったため、フライデー事件から年が明けた一月末をもって、社長とともに現在劇場に出ている踊り子さんとオレたち芸人の全員を首にして、今後は本社から派遣された新しい社長と踊り子のラインで経営していくという話が持ちか上がったのだ。
師匠の元には戻れない、おまけに、劇場も追い出されてしまう。本当に参った・・・。

 

劇場最後の日は一月三十一日。当日の客席は、踊り子さんのファンの人たちと、おまけの様な存在だったオレたちの最後のコントを見届けようと集まってくれた温かいお客さんたちで大入り満員だった。
最後のステージが終わり、踊り子の姉さんたちに焼肉屋に連れて行ってもらい、ささやかな打ち上げが行われた。これからどうなってしまうんだろうーそんな不安な気持ちを、オレは酒のピッチを上げることで紛らわしていた。
食事が終わると、オレの胸に行き場のない憤りがふつふつと湧き起こってきた。すると、誰かが「最後に劇場に行ってみよう」と言い出した。オレたちと踊り子さんたちは、もう二度と立つことのできない暗い劇場に入って行った。中には新しい経営者がいて、何しに来たんだ、という目でこちらを見ていた。
愛着があった劇場を他のヤツらに何食わぬ顔で使われるのが許せなかった。そして、その想いは、みんなも同じだった。
「ブッ壊しちゃえ!」
と誰かが叫んだ。そこからは滅茶苦茶だった。ステージや楽屋、照明やトイレなど、何から何までオレたちは泣きながらすべてを破壊した。「やめなよ!」と言いながら、姉さんたちも泣いていた。
破壊した劇場を出たところで、興奮状態のオレが通行人とぶつかり、それが原因で喧嘩になってしまった。フランス座の前は交番だ。すぐさま警官に止められて、喧嘩はそこで終了となったが、今度は劇場を壊された会社の人間が交番に駆け込んできた。
「大変なんです!こいつら劇場をブッ壊したんですよ!」
完全な器物破損の罪である。オレたちと踊り子さんたちは交番で事情を聞かれた。劇場を追い出されるオレたちの気持ちをわかってくれた警官さんは、同情的な口調で、
「今、たけし軍団がまた暴れたなんてことになったら、大変な騒ぎになるんだぞ。どうするんだ」
と言った。
「だったらオレがやったことにしますよ。オレ、たけしさんの弟子じゃないから」
太田さんだった。
「君は違うのか?」
「はい、オレは違います。だからオレが全部やったことにします」
「わかった、君だけ残って、事情を聞くから」
オレたちの身代わりとして、自ら手を挙げて罪をかぶることになった太田さんは、ひとり交番で思いっきり油をしぼられた。
あの時の太田さん、カッコよかったなぁ。オレは本当に泣いたよ!

 

フランス座を追い出された後、オレは門前仲町にあった太田さんのアパートに転がり込み、男二人の貧乏暮らしが始まったんだ。
ボロアパートだったから、部屋のヒューズがコイルでできているやつで、冬場にそのコイルが切れた時には、部屋中真っ暗で唯一の暖房器具のコタツも使えなくなった。暗い部屋で二人して頭から毛布をかぶって、毎晩ガチガチと歯を鳴らしていた。部屋の中なのに吐く息が白い。もう勘弁だ!と思ったところで、そんなコイルのヒューズなんてどこにも売ってないし、それ以前に買う金がなかった。
すると、太田さんが「アキラさんのところへ行こう」と言い出した。
アキラさんはフランス座の照明係を長年やっていた人で、生活態度に問題があったためフランス座を離れてしまい、以降ずっと街をフラフラしていた住所不定のおじさんだった。いつも決まって上野駅の裏にあるポーカー喫茶にいたので、寒い夜の門前仲町からアキラさんが根城にしているポーカー喫茶まで二人で歩いて行ったんだ。
案の定アキラさんはポーカー喫茶にいた。だけど、負けが込んでいたせいで、太田さんが「金貸してくれ」とお願いしても、全く「うん」とは言わないんだ。
「アカエ、ちょっと表で待ってるんだじょ~」
太田さんはオレを店の外へ出した。三十分くらい待っただろうか。太田さんが二万円を手にお店から出てきた。
「どうにか借りれたじょ~」
「アキラさん貸してくれたんですか?」
「貸すも何もないじょ~、店員にアキラさんの借金だってことにして二万円借りてきたんだじょ~、イッヒッヒッヒ」
ひでえことしているて思いながら、生きるためには仕方なかった。

 

それでも、さすがにお金が底をついてしまったある日、太田さんが部屋に二千円を置いて、行き先も言わずどこかに消えてしまった。何日経っても太田さんは帰ってこない。オレは太田さんが置いていった二千円を切り崩し、毎日をどうにかしのいだ。っていうか、部屋に買い置きしてあったサントリーレッドの取っ手の付いているデカイヤツを、一日中呑んでただけなんだけど・・・。
太田さんが消えてから二週間後の朝。
「オイ、アカエ!帰ったじょ~」
「太田さん!どこ行ってたんですか?」
「いいから、ホラ!」
太田さんがポッケからお札の束を取り出した。数えると六万円近くあった。
「太田さん、何か悪いことしてきたんじゃねぇの?」
「バカ野郎、違うじょ~。昔、顔を出してた飯場に行ってたんだじょ~」
これには驚いた。
「オイ、アカエ、これでサウナ行くじょ~」
「うん。行きましょう太田さん!居酒屋も行きましょう!」
「どこだって行けるじょ~!ピンサロにでも行って気持ちよくなっちゃうじょ~、イッヒッヒッヒ」

 

その後、太田さんは同じく門前仲町に住んでいた石倉三郎さんの弟子になった。石倉さんのお店を手伝いながら、しばらくの間弟子を続けていたが、ポカをやらかしてらしく、どこかへ消えてしまった。それからもう二十年以上、音信が途絶えちまっている。
なぁ、太田さん!
今頃、どこで何やってんだよ?
また、飯場か?それともテキ屋で全国回ってるのかな?まさか塀の向こうってわけないよね?
オレはまたあんたに逢いて~じょ~。