「猫 - 志賀直哉」志賀直哉随筆集 岩波文庫 から



 

 

「猫 - 志賀直哉志賀直哉随筆集 岩波文庫 から

 

私は永年、自分を猫嫌いと決めていた。一体は動物好きなのだが、家[うち]の中で飼うのが嫌いで、それも猫嫌いの一つの理由になっていた。猫をもし、戸外[そと]で飼えるならと考え、野良猫に餌を与えて、そう馴らそうとした事もあるが、駄目だった。
動物好きは大体、犬好き、猫好きと二つに分かれるようだ。メーテルリンクは犬好きで、自分の戯曲の主人公の名を採ったぺリアスという小犬の事を「私の犬」という随筆風の小論文に非常な好意をもって書いているが、やはり猫は嫌いとみえ、「青い鳥」では猫は悪者になっている。
私はこれまで猫のことを二度書いているが、猫嫌いの割りには悪く書いていない。鶏を獲った猫が罠にかけられ、殺される話を書いたが、それでは猫に大変同情している。もう、一度は長篇小説のある場面に仔猫と母猫[おやねこ]とを書いている。此所[ここ]でも私は善意を以って書いている。しかし、四十年の間に僅か二度しか書いていないというのはやはり、猫好きでない証拠かも知れない。
ひとの家に行っていて、其所の飼猫が膝に乗って来る。私は直ぐ首筋を摘んで下ろしてしまう。犬でも馴れ馴れしいのは嫌いだが、猫のは馴れ馴れしいのを通り越して図々しい。寝心地がよさそうだと思えば知らない人の膝でも平気で這上って来る。こういう身勝手な性質を私は好まないのだが、猫好きが猫を讃める時には、よくこの性質をも一緒に讃めている。
Kという猫好きの友達が膝の上に円くなっている猫を両掌[りようて]で愛撫しながら、「犬は下っ腹に毛が生えていないから厭だ」といった事がある。なるほどと思った。Kのような愛撫の仕方をするのに下腹に毛が生えていなかったら、なるぼど具合が悪いだろう。そういえば猫の下腹には柔らかな毛が密生している。愛撫するにはこれがなくては困るわけだ。それに犬は猫よりも骨が固く、毛が荒い。その上、体臭も強い。文字通り愛撫を楽む猫好きにとっては猫の方がいいというのは、たしかに理由のある事だと思った。

 

三週間ほど前、娘の貴美子が書庫に猫が仔を三疋抱いて寝ているのを発見した。私たちは最初、其所で産んだのだと思ったが、仔猫はもう眼をあいて、歩き廻われる位にになっていたし、その前、書庫に入った者もあって、その時はいなかったので、最近、ほかから連れて来たのだという事が分った。この夏の暑さは特別で、鉄格子が填[は]まっているのを幸い、風通しのため、書庫の窓は夜昼あけ放しにしてあった。そこからくわえ込んだのだ。
三疋の内、二疋は母猫と同じ、黄色味のない虎斑[とらふ]で、一疋は眉間と足の先だけ白い黒猫だった。書棚と書棚の間の通路に横倒しに寝ころんで、乳を呑ましていた母猫は私たちが入って行った時、ちょっと不安を感じたらしく、二タ声、三声低い声で鳴いたが、逃げようとはしなかった。やはり飼われている猫だ。書庫は困るので、内玄関[ないげんかん]に連れて来て、函の蓋に藁を入れ、寝るところを拵え、母猫には餌を作ってやった。
十六になる貴美子は、生きものを飼う事が好きで、最近まで飼っていたよく馴れた雀に逃げられ、今は庭から蜥蜴の卵を採って来て、それを孵えそうとしていた時で、一疋だけでいいから猫を飼いたいといい出した。私の家には鼠が多く、時々家ダニなどもわくので、私もその気になり、飼うなら、虎斑の何方[どつち]かがいいという事になり、他はなるべく早く捨てた方がいいかも知れないなどと話合った。
藁の上は暑いか、母猫は仔猫を板の間へ連れ出し、其所で乳をやっていた。そして時々いなくなるのは飼われている家へ帰るらしかった。
二、三日して、私は母猫が近所のMさんの門の前に蹲[うずくま]っているのを見かけ、帰って早速、貴美子に母猫に似た虎斑の一疋を抱かせてMさんへ訊きに行った。
「四、五日前から見えなくなったんですよ。縁の下も探して見たんですが・・・」という娘さんの話だった。その話しぶりがいなくなったのを心配していたような口吻だったので、私は気早く、二疋の仔猫を捨てたりしないでよかったと思った。貴美子は貴美子で、三疋とも返さねばならなくなったと思い、がっかりしていた。
帰途[かえり]、
「下さいといえばいいよ。あとで、残ったのを連れて行った時、そういえよ。しかし、あの黒い奴は駄目だよ」
「虎斑の奴も一疋の方は眼の縁を蚊にたべられて、きたなくなっているのよ」
「蚊ならすぐ直るよ」
二人はこんな話をしながら帰って来た。
あとの二疋を返しに行った時、貴美子は虎斑のを一疋貰いたいと頼んだ。その時ははっきりした返事はなかったが、二、三日して、虎斑の一疋をMさんの方から連れて来てくれた。貴美子は大袈裟に胸を撫で、喜んだ。

ふんしの砂函を作ってやったら、直ぐ覚えた。夜は内玄関の板の間に置いてある杖差しの壺の傍[そば]に函を置き、壺ごと砂函も一緒に小さい蚊帳をかけてやったが、夜中に、それを出たがり、八釜[やかま]しく鳴き立てたので、貴美子を起こし、蚊帳をはずさせたら、音なしくなった。
三日ほどした夜中、私はふと、母猫の声で眼を覚ました。内と外とで鳴き交わしている。
私は廊下越しに貴美子を起こし、
「母猫が来ている。連れて行くかもしれないよ」といった。
「どうしましょう。入れてやりましょうか。お乳を呑んだら、親だけ出してしまえばいいから」
「その癖をつけると、そのうち連れ出してしまうよ」
「それじゃあ、仔猫を此所へ入れてやりましょうか」
「それでもいい」
「一緒に寝る癖がついてもいいこと?」
「いい」
「貴美子ちゃんはいいかも知れないが、お母さんはお床の中に入って来られるの、かなわないわ」
貴美子は階下[した]に降りて行き、少時[しばらく]して、仔猫を抱いてあがって来た。
私の家では寝室を二階にし、夏はいつも雨戸の無双窓を開けて置くのだが、この夏はそれだけでは寝苦しく、どの部屋も雨戸を一枚か二枚開け放しにして寝た。
どうして登って来たか、貴美子たちの寝ている枕元の窓の縁に前足をかけ、ぶら下がったまま、母猫は切[しき]りに仔猫を呼んでいた。
「此所へ来てるわ。入れてやっていい?」
「よす方がいい。可哀想だけど、よす方がいい」
「あっ、爪がはずれて落ちちゃった」
「ほっとく方がいいよ」
母猫はあきらめて帰って行った。
翌晩、また来たが、宵の口でもあり、入れてやると、玄関の板の間に寝ころんで満足そうに乳を呑ませていた。そして、夜更けになって、仔猫を置き、自分だけ帰って行った。
Mさんの話で、他へもやる約束があるとの事だったから、今は一疋もいなくなり、それで、母親は乳が張って来たりすると、子供恋しく、それで執拗に来るのだろうと思っていた。ちょっと可哀想な気になり、乳だけやって帰るならと、家へ入れてやる事にした。
その翌日[あくるひ]も宵のうちから来ていて、いつもの板の間で乳をやっていたが、乳を呑厭きた、仔猫は母猫の身体に乗り、その耳を噛んだり、尾にじゃれたり、時々、身を退[ひ]き、競走のスタートの構えのような様子をして、いきなり、母親にとびついて行ったり、独りはしゃいでいた。母猫は如何にも幸福そうに半分眼を閉じ、横倒しに寝たまま、長い尻尾を、それだけが別の生物かのような動かし方をして、仔猫を喜ばせていた。人間の母親はこれほど、子供に寛大だろうか、もっと煩さがるかも知れないと思った。
蚊に眼の縁を刺されるので、小さな蚊帳を釣ってやったが、暑いのか、直ぐに出てしまう。ある時、こうしていて、前晩のように母猫だけ帰るのだろうと思い、私たちは皆寝てしまったが、翌朝、起きて見たら、何時の間にか仔猫を連れて行ってしまった。
「一杯喰わされたね」と私は笑った。慾も得もないような満足しきった母猫の様子に、安心して、私たちは寝てしまったが、その後で、ちゃんと連れ出している。猫にその気があったか、どうかは別として、正に一杯喰わされた感じだった。
「しかし、どうせMさんの所へ連れ帰っているゆ」早速、家内をMさんの所へやったが、他の二疋はいたが、うちのは何所[どこ]かへ隠し、Mさんの所へは帰っていなかった。
私は他の二疋もよそへやられ、その淋しさで、来るのだと思っていた。ところが、そうではなく、掛け持ちで乳を呑ませていたのだ。動物は数の観念がはっきりせず、三疋が二疋になっても気づかずにいるというような話を聞いた事があるが、猫は案外、賢い動物だと思った。
「そのうち、連れて来ましょう、もし、帰らなかったら、もう一つのを差上げます」Mさんではそういってくれたそうだが、四、五日でも飼ったとなると、自家[うち]の者はやはり、前の猫に帰って来てもらいたいような気持になっていた。

それにしても、何所に隠したろう、乳を呑ましに行くから、母猫の跡をつけさえすれば分るわけだが、何時出かけるか分らず、そんな事も出来なかった。丁度、その日はひどい雨降りで、隠し場所によっては雨に濡れ、死んでしまいそうな心配もあった。私の所とMさんの家との間は畑で、一丁余りあるが、その間に仔猫を隠して置けるような場所はなかった。
その晩、九時頃、台所の前を母猫が通ったというのを聞き、私はてっきり、温室に隠したと思い込んだ。この六月まで飼っていて、最近、嫁入った娘につけてやった綿羊の飼葉[かいば]が、まだ沢山温室に入れてある。きっと、その中に隠した、そう思って私は貴美子とその兄に早速、それを見させにやった。
「乾草にうつると危いから、裸火はいかんよ。気をつけてくれ」
二人は雨の中を提灯を下げて見に行ったが、仔猫はいなかった。
翌々日、朝六時頃、Mさんの未亡人と娘さんとで、「到頭、昨晩連れて帰って来ました」と仔猫を抱いて来てくれた。
仔猫が無事に還って来た事で、私は上機嫌になった。私も、もう猫嫌いとはいえなくなった。
仔猫は私の家内が食卓で、いつも坐る毀[こわ]れかけのひじかけ椅子が好きで、その足に跳びつき、少時[しばらく]、かじりついたままでいて、それからそろそろ登り始める。低い椅子だけにその大袈裟な様子が滑稽に思われた。
その椅子は渋をひいた観世縒[かんぜより]で巻いて作ってあるが、それが断[き]れて下っている。漸く登った仔猫は下った観世縒にじゃれて、暫く遊んでいるが、仕舞いに疲れ、椅子に敷いてある座布団に仰向けに寝ころんで寝てしまう。
私は仔猫が還って二、三日して、今、いる大仁[おおひと]温泉に来たが、あとから来た家内と貴美子に、
「猫はどうしている?親猫はやっぱり時々来るか」と訊いた。
「大概、日に二度位、来るわね」と貴美子は母親を顧みながらいう。「親猫の声がすると、寝ていても、クルッと起きかえって、耳を立てているわ」
「連れ出さないかね」
「みんな留守になった時、親について出かけたわ。其所[そこ]に丁度、私が帰って来たら、喜んで、親の方へは行かずに、一緒に家へとび込んで来てよ」
「連れ出しても、結局、Mさんへ連れて行くからいいが、誰れもいなくなると、出歩くかも知れないね」
「鬼ごっこのような事をするのよ。隠れていて、不意に出て来て、驚かすような事をするの。面白いわ」
私はまだそれほど、仔猫に興味を持たないが、貴美子は勿論、近頃は家内まで仔猫を可愛がりだした」
「これで鼠がいなくなってくれれば・・・」と私はいう。私の家は世田谷で、周囲に畑が多く、家鼠だけでなく野鼠も沢山いて、それが家へ入って来る。思いがけない-例えば、机の上の原稿紙などに小さな糞がのっている事がある。まことに厭な気持だ。猫を飼って、そういう事がなくなればこの上もない事だと思うようになった。最近、家ダニに甚く悩まされたので、その原因である鼠を退治てくれるなら、柱や唐紙に少し位、爪跡をつけられても、我慢するという気に今はなっている。