「雀の話 - 志賀直哉」志賀直哉随筆集 岩波文庫 から

 

「雀の話 - 志賀直哉志賀直哉随筆集 岩波文庫 から

年をとっては、もう手のかかる生きものは飼えない。私は今、十歳の老犬一疋と、錦魚十四、五疋と、それに、これは飼っているとはいえないが、野生の雀に毎日餌をやっている。しかし雀はなかなか馴れない。私が食堂で腰かけている所から四、五尺の距離に餌皿を置くが、十羽、二十羽、時に三十羽以上も集まって来る。私が静かにしていれば彼らは啼きながら、餌を食い、中には喧嘩を始める奴などあり、騒々しい位に賑かだが、私が立つとか、少し大きく身体を動かすと、彼らは急に黙って、バッと大きな羽音をたてて飛立ってしまう。そう遠くまでは逃げない。直ぐ前の土塀の屋根、植込みの中などで、少時様子を見て、最初、一羽用心深く左顧右眄[さこうべん]して餌皿に近づく、それについて二、三羽、あるいは五羽という風に集まって来て、また元のように八釜しく啼きたてながら餌を食い始める。
雀は仔飼いはよく馴れるが、少し育った奴は決して馴れない。西洋の公園でよく馴れた雀にパン屑をやる話などを聞くが、日本人は米を食う国民で、大昔から雀とは米を挟んで敵同士の関係が出来てしまった。農耕を業としない人間は割りに雀を愛する風があり、画や俳句にも、雀は好意を持って描かれているが、雀の方は人間の職業までは見別けられないから、「人を見たら泥棒と思え」式にとにかく、用心する。それでも、この家へ越して殆ど四年、毎日餌をやり、一度も驚かした事がないから、私と客は識別しているようだ。二階の寝室の前に枯れた朴の木があり、朝、その枝に二、三羽来て、頻りに啼いている事がある。そういう時、起きてみると大概餌がなくなっているから、私に早く起きて、餌を作ってくれと催促するのではないかと思う。
昔の郷土玩具に福良雀というのがある。広辞苑でひいて見ると「肥えふくれた雀の子、また、寒気のため全身の羽毛をふくらませて、ふくらかに見える雀」と出ている。親雀に甘えて餌を貰う時の仔雀の形である。しかし、あの形は仔雀だけではなく、雌雀が雄雀を促して、交尾しようとする時、丁度あの形をする。仔雀のも甘える表情だが、雌雀のは雄に対する媚態である。雄雀のわきに身をすり寄せ、両羽根をひろげ、尾をあげ、背を反らして、しゃがむ。しかし、雌雀の場合、それだけではなく、直ぐ続けて、巣籠りの用意をする。庭の石菖や龍の髯を食いちぎって何所かへ運ぶ。そして、幾日ぐらい経ったか覚えないが、仔雀を連れて餌を食いに来る。仔雀は羽根を震わし、口を開けて、親鳥について廻わる。交尾、営巣、そして育児、それらが一聯に繋がっている。動物の生活ではみんなそうだが、私はそれを身近に見て、何か快い興味を覚えた。
私は近頃、これ以上に雀を馴らしたいとは思わなくなった。雀は何百年、あるいは千年以上かかって、人間に対する用心深い習性を作って来たわけであるが、たまたま私の気まぐれで、それを多少でも変え、私が死んで、誰れがこの家に住むか分からないが、習性を変えられたために雀が思わぬ災難を蒙らないとはかぎらないのだ。四、五尺の近さまで来て餌を食うようになっただけでも、雀の方からいえば随分親しみを持ってくれたのだ。その位で私は満足しよう。
四年前、熱海から越して来た時、この辺の雀が痩せ、汚れ、如何にも見すぼらしい姿をしているのを私は哀れに思った。猜疑心が強く、私たちが食堂にいる時は近くに蒔いた餌を食おうとしないので、土塀の上に蒔いて置いてやった。それが段々に変って行ったのである。水浴する皿も出してあるので、今は丸々と肥って、汚れた雀は一羽もいなくなった。
(昭和三十四年)