(巻三十九)立読抜盗句歌集

(巻三十九)立読抜盗句歌集

痩馬を飾り立てたる初荷かな(正岡子規)

教卓に誰ぞ置きたる檸檬あり(井上睦子)

色恋の一歩手前の秋の風(浅川正)

名を名乗りあふこともなく草毟る(神戸千寛)

さんま焼く古き団地の換気扇(西本郁子)

秋深し焔の芯に置く土鍋(大塚迷路)

足の向くままに歩きて朧なり(今村杏太郎)

来し方を顔に刻みて日向ぼこ(草か光代)

車中みなスマホの穴に籠る蛇(中沢弘基)

束の間の自由を得たり木の葉舞ふ(田中節夫)

聞き流すことも介護や豆の花(増田都美子)

恐ろしきことをさらりと手鞠唄(加藤耕子)

引潮の真砂のひしと年明くる(布施伊夜子)

石組のかなめの小石淑気かな(渡井恵子)

大根のおでんが好きで国憂ふ(堀切克洋)

わが命先が見え来し去年今年(稲畑汀子)

働けば見失ふもの去年今年(稲畑汀子)

一病は一病として年酒酌む(島谷征良)

イデアの浮かんでは消え明易し(持永真理子)

逆風といふ春風だってあるだろう(渡辺まさる)

小刻みに踊る湯豆腐一人酒(藤井瑠里美)

晩秋や斜めに帰る運動場(野副豊)

嫁がぬと葡萄の種を庭に吐く(松村正之)

独り居の二軒並びのそぞろ寒む(西村泉)

一生をつまんで語る夜長かな(塙ひさ)

性別の欄に「その他」や西鶴忌(加藤津恵子)

今に知る夫のとりえや暮の秋(岡田弘子)

永久に既読のつかぬ秋の暮(福田敦子)

行く人の鳩蹴散らすや年の暮

面会を拒みし友や寒木立(東賢三郎)

白露のさびしき味を忘るるな(芭蕉)

押し合へる二輪もありて梅早し(深見けんじ)

わが顔を死の覗き込む朝寝かな(長谷川櫂)

夏痩やほのぼの酔へる指の先(久保田万太郎)

働いてこの夕焼を賜りぬ(櫂未知子)

葱買つて枯木の中を帰りけり(与謝蕪村)

わが家も住みよかりけり青簾(高浜虚子)

寒紅の濃き唇を開かざり(富安風生)

成るはずの事の成らざるショールかな(布施伊夜子)

幸せは今ぞと思ふ囲炉裏端(中村彰)

転勤のいづこと思ふ冬霞(伊藤紫都子)

台風や又かと思ふ日曜日(森井敏行)

流行風邪コンビニの灯をたのみかな(阿倍セツ子)

口堅き人と誘はれ茸狩(茨木和生)

大勢で行くものならず茸狩(茨木和生)

潔き死ならば死ぬ冬旱(茨木和生)

夜寒や蟋蟀の字に虫めがね(八染藍子)

冬虹の妻呼ぶ前に消えにけり(二ノ宮一雄)

湯豆腐や人の名前の出ぬ日なり(河野薫)

くたくたとキャベツスープを煮て二人(松本広子)

なつかしき人を遠目の盆踊(邑松美智子)

夕立の明るき空のままやみぬ(岸田尚美)

一刷毛の雲の流れも秋めけり(岡本芳子)

手の甲にメモあるナース菊日和(工藤文子)

妻にいふ夢道の俳句鉦叩(田窪正利)

この駅の階段多し十二月(藤原まき)

身に入むや捨てる書の紐固く絞め(佐藤一)

五番街のマリー聴きゐる夜長かな(金子文衛)

ふきのたう二百に足らぬ万歩計(喜多てる子)

寒燈やひとりの音に独り住む(白根純子)

不用意に出で来し旅の忘れ雪(高柳和弘)

病みぬけし夫と見てゐる除夜の星(鈴木しどみ)

老い愉し二つに見ゆる初日の出(吉田敦子)

病室の隣の翁は寒くとも我が家がよろしと少しも言わず(谷津紀男)

酒飲めば去る日近づくうつし世で出会ひし人の貌思ひ出づ(岡田独甫)

父と子の間に余寒ありにけり(小谷一夫)

死病とは知らずに見舞ひたる寒さ(内藤悦子)

ネクタイの結び目固く冬に入る(伊藤幹哲)

雑炊に不平を吹いて啜りけり(田中立花)

人の死を遠い霧笛のやうに聞く(直江裕子)

テッシュ箱の紙引き立てて五月来る(岩城久治)

爪切りて爪のカケラを拾いけりわが身でありしちさきカケラを(美原凍子)

無理せずに登れと山の笑ひけり(林紀夫)

用なくも会いたき人や柳の芽(鷹崎由未子)

天気予報雨に変われど約束の延期はしないだって逢いたい(笠井真理子)

春雨の糸の操る男女かな(京極杞陽)

こときれてゐればよかりし春の夢(上田五千石)

焼酎や儲かりもせぬ顔ばかり(三村純也)

熱燗や言はぬと決めし愚痴ひとつ(三村純也)

秋袷着て晩年を軽くゐる(仲元新)

パンにバタたつぷりつけて春惜しむ(久保田万太郎)

おほかたは一会の名刺鳥雲に(鷹羽狩行)

麗[うるわし]や野に死に真似の遊びして(中村苑子)

眼つむれば若き我あり春の宵(高浜虚子)

鶯の枝ふみはづす初音かな(蕪村)

風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し(^赤星水竹居)

毛見の日のおしろいぬりし娘かな(高浜虚子)

ポケットに手を入れ冬を確むる(鈴木すすむ)

人事と思ひし河豚に中りたる(稲畑汀子)

着ぶくれしわが生涯に到り着く(後藤夜半)

目礼すいずれ火を噴く山なれば(江里昭彦)

至福かな活字肴に新走り(小熊未央)

一日をきれいに遊び新茶汲む(石原玲子)

西日照りいのち無惨にありにけり(石橋秀野)

今日生きて今日の花見るいのちかな(角川春樹)

熱帯夜くすりのやうに水を飲む(川村研治)

もう親を批判して居り半ズボン(中島みつ子)

はつ蝶のちいさくも物にまぎれざる(白雄)

性格の違ふ姉妹やひな祭(伊藤とし昭)

暖かきことを喜び合ふばかり(高橋とも子)

なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒に染みなむ(大伴旅人)

春の夜を上つてゆきぬ春の月(黛執)

花曇り女波ばかりや湾の内(藤村たいら)

不言不語気の利く弟子と垣手入(波出石品女)

春寒や地図を手にしてゐて迷ふ(片山由美子)

野を焼くと漢静かに集いけり(寺井谷子)

成るようになるを諾なひあたたかし(千原叡子)