「(カビはすごい! - 浜田信夫)の解説 - 倉田真由美」カビはすごい! から

 

「(カビはすごい! - 浜田信夫)の解説 - 倉田真由美」カビはすごい! から

 

カビと聞いてまず思い出すのは、ちょうど20年ほど前に住んでいた、朝も昼も夜のように暗いアパートである。
収入が少なく家に閉じこもっている時間が長かった当時、優先したのは広さと安さで、駅からの距離や日当たりは二の次だった。練馬区にあったその古い木造アパートは、外観だけ派手な明るいピンク色に塗りたくられていたが、部屋の中、とりわけ私が住んでいた1階は大きな窓があるにもかかわらず、目の前を高い塀に阻まれて日が一切といっていいほど差さなかった。しかも塀と窓の間の地面には黒っぽい土に光合成がほとんど必要なさそうな陰鬱な雰囲気の雑草が生えており、まったく窓を開ける気にならなかった。
当然、部屋の中は常にじめじめして暗い。うっかり昼寝などして目が覚めると、時計があっても昼の2時なのか夜中の2時なのか分からない。テレビをつけてやっと、番組内容から「あ、今昼だ」「水着の女性が出ているってことは、深夜だな」などと気が付くことが出来るというほどだった。
でも、和室と洋室の2部屋あってトイレ・風呂別で練馬区内・家賃五万円。見つけた時は「これだ!」と喜んだし、実際それまで日当たりなんてほとんど気にしていなかった。むしろ、日焼けを気にしなくてすむし、20代の女としてはアリなんじゃないかと思っていたほどだ。しばらく暮らすと、太陽の光の大切さを思い知ることになるのだが、
漫画の仕事がほとんどなく、引きこもるように暮らしていたせいもあるだろうが、ともかく暗くじめっとした部屋にいると地味に気が滅入る。1日、2日じゃなく毎日暗くじめじめなのだ。基本的に自分の家にいることが好きな私だが、だんだん日中は散歩したり、近所の図書館で時間を潰したりするようになった。
さらにもっと分かりやすい実害が出始めた。カビだ。入居したばかりの頃は大掃除してあったのだろう。気が付かなかったが、押入れの隅や浴室にじわじわと黒っぽいカビが生えてきた。湿気取りを部屋中に置いてみたが、すぐに水を吸って満タンになるばかりで状況は改善せず気休めにもならなかった。
一番ショックだったのは、狭いキッチンの床下収納にしまっていた、大事な蔵書のコレクションがすべてカビにやられてしまったことだ。本当に、膝から崩れ落ちた。少ないこづかいで何年もかかって買い集めた漫画や本たちが、ことごとくカビていた。
「本って、こんなにカビるんだ・・・」
背表紙だけ見ると分からないが、中のページがすべて黒っぽいカビに侵されている。当然、臭いもきつい。大好きな漫画の愛蔵版全巻、どれを手にとってもプーンとカビ臭・・・鼻の奥がツーンとした。臭いも見た目もちょっとやそっとのお手入れで何とかなりそうなレベルを超えていたので、泣く泣くすべて処分した。私の人生の中で、一番ショックだったカビ事件である。
それまでもその後も、愛蔵本をやられたほどの衝撃ではないにしろ、カビには何度も煮え湯を飲まされている。我が家で一番多いのはジャム、次いでミカン、モチだろうか。私はジャムを頻繁に買うわりに毎日は使わないので(時々すごく食べたくなるが一度食べるとしばらく気が済む)、カビが生える前に一瓶使い切ったことはほぼない。「ジャム食べたいな」と思って前回購入した使いかけのジャムを冷蔵庫から出すと、80%くらいの確率でカビている。食い意地が張っているので保存料を使っていない少しだけ高いジャムを買っているため、毎回歯がゆい思いをしている。

何年もうっすら気になっているカビもある。我が実家の浴室の天井一面に生えている、真っ黒なカビだ。実家は築40年以上の古い戸建で、浴室も不必要に広く天井が高い。はしごでも使わないと手が届かないほどの高さなのだが、そこがいつ頃からなのか、カビで真っ黒なのだ。ちなみに材質の違いのせいか天井以外の壁や床にはカビはほとんど生えていない。数年前、とある番組で「浴室の黒カビは発癌性がありとても危険!」という特集を見た母が、慌てて浴室にエアコンを設置した。浴室にエアコン?
「だって、乾燥させるにはエアコンつけるしかないじゃない」
母は言うが、ずっと稼働させておくわけにはいかないし風呂には毎日入るのだから、焼け石に水でしかない。実際、エアコンが設置されてからカビが少なくなったということは一切ない。
私は実家にいる時も普段は気にしていないのだが、風呂に入っていてふと天井を見上げると真っ黒、ちょっとぎょっとする。高さ的に徹底的な掃除は素人には難しく、なんとかするには風呂場そのものを改装するしかないだろう。それは簡単には出来ない。なので、いつも「見なかったこと」にしてスルーし続けているが、何かのはずみでふと顔を上げて天井が視界に入ったりすると、「このままで大丈夫かなあ」と心配になったりするのだ。
私の個人的なカビ話を少しだけするつもりが、気がつけばこんなにページを割いてしまった。まあ、50年近く生きていれば相当数のカビとのエンカウントがあるのは当然だ。身近な割に正確な正体や毒性など判然としない、いつまでもミステリアスな存在、それがカビである。そしてこの度、本書でその秘密のベールがかなり剥がされたわけだ。
実は浜田先生には以前、対談でお目にかかったことがある。その際、この実家の風呂天井のカビの話をしたのだが、
「直接見ていないのではっきりは言えませんが、そんなに心配しなくても大丈夫だと思いますよ」
と言っていただいたと記憶している。専門家のひと言は、やっぱり重みがある。権威に弱い母に伝えると、ずいぶん安心したようだった。
それにしても、湿気の多い日本では誰にとっても身近なカビだが、ほとんど正体を知らないまま何となく付き合っているんだな、と本書を読んで認識した。そもそも私の場合、カビとキノコと細菌の違いもあやふやだった。これほど情報が氾濫していて、しかめどれもものすごき身近なものなのに、私に限らず、大体の人がそうなんじゃないだろうか。ありふれていながら、直視したくない存在であり、曖昧なままただ忌避し続けている。
でも、本書にも数多く出てくるように人間の役に立つカビも多い。私の大好物、ブルーチーズの青も青カビによるものだ。わざとチーズに空気の穴を開け青カビを生やすことで、美味しいブルーチーズになる。人類の知恵だなあ。日本にも古来からカビを利用した食品はいろいろあり、例えば日本酒の発酵、元々はコイジカビの働きで、あの芳醇な酒になるという。日本酒、好きだけどコイジカビは知らなかったなあ。吟醸大吟醸くらいしか意識してなかった。
毛嫌いしていたカビだが、食品やペニシリンなどの薬にも使われる、役に立つヤツらもいるということが分かった。まあ、変わらず毛嫌いしたくなるような種類も多いわけだが。だだ、本書によって「必要以上に怖がらなくてもいいカビ」のことを知れたのはとてもありがたい。
つい先日夫が、
「残り物のパン食べてたら結構カビが生えていることに途中で気づいた。大丈夫かな?やっぱり病院行ったほうがいい?」
と不安そうに尋ねてきた。本書を既に読破していた私は、
「そのくらいなら大丈夫じゃないかな。とりあえず様子見なよ」
と、冷静に対応することが出来た。浜田先生のおかげである。まあ、カビたパンを食べたのがもし夫じゃなくて子供だったら、もう少し動揺して冷静さを欠いたかもしれないが・・・。
これからも、生活に常にまとわりつき続けていくカビ。詳しく知っておいて損はない。