本日の句歌

句歌控帳「立読抜盗句歌集(巻六)」


無造作にとられし面の一本があとあとまでも尾を引きにけり(山崎方代)

お台場あたりをふらついてみた。高校生のグループが多い。連休の合間の課外活動かな。
すれていない高校生カップルが、手をつなぐ手前の距離感で仲良くゆりかもめに乗っていた。


どんぐりやつないでいない方の手に(伊佐利子)


ドアに寄りかかり、チラッとカレシの顔を見上げる仕草が、ドラマだったなぁ!


めぐりては 水にをさまる 百合鴎 (石田郷子)


通勤読書にと「茶の本」を選んだが、歯が立たない。原文プラス訳文付き講談社学術文庫です。
付録の解説にある、九鬼男爵婦人波津、八杉貞との交情のところあたりが気楽に読めるところで、本論は正座して読んでも、筆者には無理だ!

ちなみに、冒頭は以下の通り。

Tea began as a medicine and grew into a beverage. In China, in the eighth century, it entered the realm of poetry as one of the polite amusements. The fifteenth century saw Japan ennoble it into a religion of aestheticism - Teaism. Teaism is a cult founded on the adoration of the beautiful among the sordid facts of everyday existence. It inculcates purity and harmony, the mystery of mutual chairty, the romanticism of social order.

訳文:
茶のはじまりは薬用であり、のちに飲料となった。中国では、八世紀になって、茶は洗練された娯楽の一つとして、詩の領域に入った。十五世紀になると、日本で、審美主義の宗教である茶道に昂(たか)められた。茶道は、日常生活のむさくるしい諸事実の中にある美を崇拝することを根底とする儀式である。それは純粋と調和を、人が互いに思い遣りをいだくことの不思議さを、社会秩序のロマンティシズムを醇々(じゅんじゅん)と刻みつくる。

お茶で理解できるのは:

理由[わけ]もなく お茶を拒みて 帰る道 氷のごとく 青き月冴ゆ (安田 洋子)

までです。