(巻八)小春日や歌謡曲など口ずさみ(宇佐見須美子)

季節が変わる。着るものを考えねばならない。
ところが着るものがない!

高価な衣類は身につけないことにしている。
煙草の火を落とし、穴を開けたときの落胆を考えると、とても七万円もする背広を着る気にはなれない。
虫食いの穴を見つけたときのショックもきついので、防虫剤を詰め込んだクローゼットから、余程のことがない限り、背広は出さない。

であるから、変え上着四着(うち厚手二着)で一年の三分の二を過ごしている。
ズボンは通年ベージュの綿パンで過ごしている。
従って、晩春と初秋に着るものがない。
薄手の安物の紺ブレがあるが、袖丈が合っていない。
脚と同様に、腕も短いのでゆったりとしたものを選ぶと袖が手の甲まで被ってしまい、何とも締まらない格好になってしまうのだ。

体形もセンスもお洒落には向いていないのだから、無理はしないことにしてきた。しかし、着るものがないのは困るなぁ。

今日はNHK俳句の発行日だと思い新柏の本屋に立ち寄ったが、並んでいなかった。
店員さんによれば、8月はお盆休みもあり遅れたのではないかとのこと。
そうは思えないが、無いものは無いのだから仕方ない。

このように、一日を振り返って、寝る前に句を差し挟むのだが、
今日は在庫に差し込める心境に合った句が一つとして見つからない。

どうしょうもないので、体形に対する自嘲と、生活信条の両方を含んでいる句を列記してまとめといたします。

身の丈を知りたる秋の波頭(高橋将夫)
身の丈の暮し守りて冷麦茶(北川孝子)
身の丈で生きて知足や去年今年(井上静夫)