2/5「四畳半襖の下張「裁判」法廷私記 - 吉行淳之介」ちくま文庫 吉行淳之介ベスト・エッセイ から

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2/5「四畳半襖の下張「裁判」法廷私記 - 吉行淳之介ちくま文庫 吉行淳之介ベスト・エッセイ から

こうして、一時十五分から一問一答がはじまった。以下、部分的にその内容を書くが、「週刊読売」編集部の秋林邦也記者の文章を、私が記憶で補足修正した。したがって、かならずしも、当時の発言とまったく同一とは言い難いことをお断りします。尚、括弧の中の文章は、私の付け加えた註である。

中村巌主任弁護人 証人は、なにを主として書いていますか。
吉行 主として小説です。
中村 なにか賞をもらいましたか。
吉行 二十九年に芥川賞をもらいました。
中村 それは何という作品ですか。
吉行 「驟雨」といいます。
中村 ほかに文学賞を受けていますか。
吉行 それは証人の社会的信用度についての質問ですか(反問は許されていないのをおもい出し)、あ、こちらからの質問はいけないのか。そうだとすると、社会的信用はいまでもあまりありませんが(笑)、しかし文学的に正しいことを言うことはできます。そういうジャーナリズムでの信用度ということになれば、四十五年ころ
谷崎賞」 を受けています。
中村 それはなんという作品ですか。
吉行 「暗室」です。そういえば、社会的信用度からみれば、四十二年ころ「文部大臣賞」をもらいました。
中村 「星と月は天の穴」という作品です。文部大臣賞について打診されたとき、反射的に断ろうかと思いましたが、この小説は女子大生と中年男との男女関係が内容なので(中年男の運転する車の中で、女子大生がオシッコを洩らし、それがキッカケで物語が展開する。こういう恋愛小説は世界最初のものです......。とでもいえば、満場爆笑になるのは分かっていたが)、そういう小説に文部大臣が賞を出すということは、おのずからユーモアになっているとおもって、その賞を受けることにしました。(笑)。
中村 人間生活にとって、セックスとはどんなものと考えますか。
吉行 年齢差、個人差がありますが、大きくいえば、昔は「自然」の意志によって生殖のために与えられたものです。その後、人間が「自然」に抵抗して、生殖だけということからこれを切り離し、快楽のための面を獲得したわけです。セックスのない人間というのは、異常というか存在しないというか、要するにセックスは人間に備わったものです。
中村 「面白半分の編集長の任にいたことがありますか。
吉行 創刊から半年間、その任をつとめました。
中村 創刊についての趣旨は、どういうことですか。
吉行 肩の力を抜いて、自然の姿で生きていこう。肩肘張って力むな、面白半分は良いことじゃないか。簡単にいえば、ま、そういう趣旨です。
中村 「四畳半......」の掲載について、どう考えましたか。
吉行 そのときは読者の立場で見たわけですが、むかし懐しいものが載っているな、もう一度読んでみるか、といったところです。
中村 掲載の意義について、どう考えますか。
吉行 面白半分とは、意義を排除するところに、意義があるんです(爆笑)。
中村 「四畳半......」という作品を永井荷風の作品と考えますか。
吉行 いろいろの研究家がそう言っていますし、荷風日記にもそう推測できる文章がありますから、断定してよいでしょう。ただし、異本が二十数種類あるそうですから、形容詞・形容句などの違いがある筈で、どれが定本かに疑問の点があります。
中村 この作品について、どう思いますか。
吉行 荷風自身は、春本を書きたいと考えて、これを書いたと思います。(大正六年七月の「文明」に、「四畳半襖の下張」という題名の小文が掲載になっている。これは現に問題になっている作品の導入部だけを切り離して発表したもので、この手口は戦後においても荷風がしばしば使ったと推察される。昭和二十四年に(荷風七十歳)「にぎり飯」を「中央公論」新年号に、二十五年に「買出し」を同じ雑誌の新年号に載せており、そのほかにも幾つかの短編があるが、どの作品も導入部だけで終っているような、尻切れトンボの曖昧なものである。おそらく、これは「四畳半襖の下張」と同じ手口で、春本のイントロダクションだけを、当時の最も権威ある雑誌に渡して素知 らぬ顔をし、さらには時評価がこれをいろいろ論評するのを腹の中で冷笑していたのではないか。「買出し」は、戦後の名作と銘打たれている。このことは、昭和三十四年の荷風の死と同時に、友人の日高普(ひろし)(評論家浜田新一の本名、経済学博士・法政大学前学部長)に指摘され、コロンブスが卵を立てたのを見た気分であった。そのことを私は再三文章にしたが、その事実はない、と言われていた。しかし、死後十数年経って荷風研究家の小門勝二氏がようやくその事実を認めているが、隠匿原稿の行方についての記述はない。大正五年八月より翌年十月まで「文明」に連載した「腕くらべ」(これは春本ではない)の私家版五十部限定を、大正六年十二月に刊行したと同じ措置を「四畳半襖の下張」お よび戦後の作「買出し」その他についてもおこなう意図が荷風にあったかどうかは、不明である。一説によると、「四畳半襖の下張」の隠匿原稿を門人が持出して勝手に秘密出版をしたという。そうなると、前書きの『大地震のてうど一年目の当らむとする日金阜山人あざぶにて識るす』という文字は、荷風のものかどうか疑わしい。
しかし、書かれてから五十年、その後社会の状況も大きく変わって、今では春本と認められるようなものではない(この点は、後で詳しく説明する)。しかし、検察側によって摘発されたんですから、まだ春本とする見方も残っているわけで、荷風もさぞ喜んでいると思います。

*以下 吉行淳之介氏ー城市郎氏の対談が挿入されていますが、割愛し 3/ に移ります。買って読んでください。