(巻三十三)あの声で蜥蜴食らうか時鳥(宝井其角)

(巻三十三)あの声で蜥蜴食らうか時鳥(宝井其角)

6月18日土曜日

拭き掃除と洗濯が今朝の作務・修行で御座いました。

土曜日は家電量販店のとじ込み広告が入ってくる。細君は見比べて、少なくとも下手な買い物ではなかったと満足している。それが幸せの秘訣かもしれない。

午後は葛飾野高校から白鳥のファミマ、修徳正門、都住2、都住3、図書館、都住1と反時計回りに歩いた。

葛飾野高校のグランドでは練習試合がおこなわれていた。レフトの後ろから観戦したが、やはり硬式は音がいい。打撃音だけでなく、ミットに収まる球の音もいい。半月もすれば夏の予選が始まる。

都住2、3の猫たちは不在。都住1に鼻黒がいたが毛並みが悪く元気がない。その鼻黒にスナックをあげていたら、ここの猫婆さんが寄ってきて、「嫌いな人もいるので、コソッとあげてくださいね。あたしもコソッとあげてるのよ。」とご注意を頂いた。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。コワクナイ、コワクナイ。

「『そよ風ときにはつむじ風 - 池部良』の解説 - 向井敏」残る本残る人 から

を読んでいる。

《映画俳優やテレビタレントの書く本は随筆であれ回想であれ、タレント本と呼ばれて、ふつうの本とは別扱いされることが多い。だれにも書ける程度の内容であっても、作者がタレントという特殊な条件のせいで評判を呼ぶからであろう。

しかし、池部良の随筆集『そよ風ときにはつむじ風』(初版平成二年、毎日新聞社)はそういうものではない。たしかにこの人は、戦後まもないころから、天下の二枚目として鳴らし、長くスターの座にあった人だけれども、この本の発想、描写、文体には映画俳優という立場にかかわらぬ独自のものがあって、一個の文筆家の仕事として遇されるに値する器量をそなえている。》

と高く評価している。難しいことは分からないが、池部良氏のお話は好きで、殊に夫婦噺を楽しく読んでいる。

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2022/04/08/100249

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/39328765

「どんな悩みも解決できるシンプルな“考え方”がある- 草薙龍瞬」反応しない練習 から

 

 

「どんな悩みも解決できるシンプルな“考え方”がある- 草薙龍瞬」反応しない練習 から

生きていると、いろんなことがあります。「人生、ラクではないな」と実感することも、一度や二度ではないはずです。
でも、そんな日頃の思いを上手に乗り越えていける「方法」があります。
実は、すべての悩みは“たった一つのこと”から始まっています。そこさえわかれば、あとは「正しく考える」ことで、どんな悩みも必ず解消できる-それが、この本があなたに一番伝えたいことです。
そもそも、私たちが日頃抱える“悩み”とはどんなものでしょうか?
・いつも生活に追われていて、心に余裕がない。
・今の仕事に満足していない。先のことを考えると、不安になる。
・イヤなこと、不運なできごと、失敗が重なって、落ち込んでいる。
・性格が合わない相手がいる。人間関係で、ストレスを感じている。
一見どれも、自分ひとりでは解決できない、時間のかかる問題に思える思えるかもしれません。でも、実際には……そうでもありません。
というのは、これらの悩みは、どれも“心の反応”から始まっているからです。
「心の反応」と言われて、ピンとくる人は、どれくらいいるでしょうか。実は、私たちの日常は「心の反応」で作られているといっても、過言ではないのです。
たとえば、朝の通勤ラッシュで「今日は混んでいるな」とゲンナリする。これは、心を憂鬱にさせる反応です。心ない相手の態度にイラッとする。これは怒りを生む反応です。大事な場面で「失敗するかもしれない」と、マイナスの想像をしてしまう。不安や緊張を生み出す反応です。人に会うときも、仕事をしているときも、外を歩いているときも-心はいつも反応しています。
その結果として、日頃のイライラや、落ち込みや、先ゆきへの不安やプレッシャー、「失敗してしまった」という苦い後悔などの“悩み”が生まれます。
ということは、悩みの始まりには、きまって“心の反応”があるのです。心がつい動いてしまうこと-それが悩みを作り出している“たった一つのこと”なのです。 だとすれば、すべての悩みを根本的に解決できる方法があります。それは-“ムダか反応をしない”ことです。
想像してみてください、ムダな反応をしなくなれば、人生、どれほどラクになることか。
動揺しない、落ち込まない、腹が立たない、プレッシャーを感じない、人前に出ても緊張しない、過去を振り返っても後悔しない、先のことに不安を感じない-これこそ“人生の救い”ではありませんか。心が軽くなります。その分、きっと幸せが近づいてきます。

勘違いされやすいのですが、反応しないことは、無理してガマンすることや、無視すること、無関心でいることではありません。悩みを増してしまうようなムダな反応を“最初からしない”こと。怒りや、不安や、「どうせ自分なんか」と暗い気分が出てきたら、すばやくリセット・解消することです。
余計な反応をしてしまうことで、どれだけ手痛い失敗、悩みを抱えてきたことか……。
ここから「ムダに反応しない」生き方を、目指してみようではありませんか。
「反応しない練習」を教えてくれるのは、古代インドの賢者“目覚めた人”ブッダです。
もともと、ブッダの教えとは「心のムダな反応を止めることで、いっさいの悩み、苦しみを抜ける方法」のことです。その内容は大きく二つ-①心の反応を見ること、②合理的に考えること、です。
「心の反応を見る」(①)とは、おなじみの「座禅」や、最近よく聞くマンドフルネスやヴィパッサナー瞑想のこと。面白いことに、心の反応・心の動きをよく見れば、ザワついた心は静かになります。これは、ストレス解消、気分転換にもってこいの方法です。ぜひ第一章をお読みください。
また、「合理的に考える」(②)とは、目的がかなうよう、筋を通して考えること。この本での私たちの目的は、「ムダに反応しない」「悩みを増やさない」ことです。そのために、
・余計なことを判断しない。どんなときも、自分を否定しない[第二章]
・不満やストレスといった「マイナスの感情」で苦しまない[第三章]
他人の視線を気にせずに、自分らしく生きる[第四章]
・勝ち負けや優劣にこだわってしまう性格を、もうやめる[第5章]
・心から納得のいく人生を、ここから目指す[最終章]
という誰にとっても大切なテーマを、ブッダの教えにてらして、考えていきます。
この本の特色は、こうした悩みを解消する「ブッダの考え方」を“原始仏教”に学ぶことです。原始仏教とは二五〇〇年以上前のインドでブッダが説いていた、最も古い教えのこと。知慧に富んだブッダの名言をわかりやすく翻訳し、豊富に紹介しています。
原始仏教には、多くの人が「仏教」という言葉から連想するような“宗教”的な内容とはまったく異なる、実用的で、合理的な、現代でも使える「考え方」があふれています。その部分をぜひ、あなたの日常に活かしてほしいと願っています。
もう、悩む必要はありません。ブッダに習って、ぜひ「どんな日常にあっても、いたずらに反応しない」「悩みを正しく考えて解決する」毎日を目指しましょう。
それが、私たちの人生に、安らぎ、満足、幸福をもたらしてくれる、もっとも大切な心がけなのです。ここから始めましょう。
草薙龍瞬

 

(巻三十三)口はさむ余地をあたへず行々子(檜紀代)

(巻三十三)口はさむ余地をあたへず行々子(檜紀代)

6月17日金曜日

洗濯機と扇風機を買いに夫婦して区役所そばのコジマ・ビックカメラに行く。最寄りのバス停から区役所までは10分少々だから駅前より5分ほど遠いだけだ。

10時開店の10分前について入口前のベンチで待機。開店とともに入って店員の皆様のご挨拶を頂きながら扇風機売場に至り、検分致す。この手の家電はコイズミとか、そのほかのあまり馴染みのないメーカーな代わったようだ。細君は概ね買う仕様、価格を決めていたので直ぐに7千円くらいの軽い機種に落ち着いた。

洗濯機は8キロくらい洗える機種を想定していて予算は十万円までの心積もりらしい。老夫婦で一日置きに交替で一人分を洗っているのだから単身者用でもよさそうだが、シーツや布団カバーを考えているとあまり小さいのでは困るらしい。

店員さんが対応してくれたが、開口一番「ご希望の機種が在庫にない場合がありますから……」ときた。展示品にも「在庫確認」などの貼り紙がしてある。洗濯機についても候補が絞ってあったようで、専ら候補機の振動や騒音、糸屑の回収などの機能確認で選定が終わり、結局6キロの6万円弱の機種にすんなり落ち着いた。選定に発言権を持たないが、なるべく余計な機能のついていない単純な機種をと願っていた。液体洗剤の注入口がどうのこうのということはなく、粉洗剤を上からかけて入れることができるようで一安心。

口はさむ余地をあたへず行々子(檜紀代)

こちらのコジマ・ビックカメラの店の方が駅前のノジマより店に活気がある。店員の数も客の数も違うからそれが雰囲気を醸すのだろう。

実質30分程度で家電の買い物を終わり、1階のサミットのパン屋さんで昼飯を仕入れてバスで帰宅。

午後は軽く散歩した。都住1、図書館で返却、都住3、都住2、生協の時計回り。都住1に猫不在。1週間以上チカちゃんと友ちゃんを見ていない。都住3ではサンちゃんが檻に入れられて階段下に置かれていた。フジちゃんはいつも通りだが、だいぶなついてくれて一撮できた。猫婆さん二人がいたので話を聞いたが、サンちゃんの顎の具合が悪いので医者に連れて行ったとの由。大事にされてます。都住2では階段下で花子が死んだように寝ていた。そばを歩いても目も開けない。花子は寝かしておいて太郎を呼んでいたら、花子が目を覚ましてすり寄ってきた。スナックをあげていたら、そんなところに太郎も現れてスナックをねだる。ここの猫は坊っちゃん嬢ちゃんである。

願い事-電球が切れるが如くで、細君より先にお願い致します。

洗濯機に5年保証を付けていた。機械の方が先行き透明だな。

「チノパンと赤ワイン - 松尾スズキ」人生の謎について から

 

「チノパンと赤ワイン - 松尾スズキ」人生の謎について から

飛行機は羽田空港の滑走路に着陸し、がたたたた、と細かく震えながら到着口を目指してのろのろと前進している。
そして私は、着陸してから完全に静止するまで、こんなに飛行機というものは地面を移動するものなのか、と、頭の片隅でじりじりしつつ、ひたすら五十八歳の大人らしい謝罪の言葉を頭の中でシミュレーションするが、それでいて口から出てくる言葉が「もうしわけありません」と「すみません」ばかりであることに、顔面蒼白になっていた。Tシャツが、ものの一、二分でもって汗でべとつき始めているのがわかる。
プレミアムシートという席に座っていた。山形から羽田。国内を小一時間飛行するのに、普段そんな贅沢はしないのだが、今回は、仕事先のスタッフが用意してくれたので、遠慮なくせのゆったり目のシートに座らせていただいたのである。最前列の席なので快適だ。知らなかったが、プレミアムシートでは、軽食とアルコールのサービスまであるのだった。食事はすませていたが、アルコールは意地汚い方で、飲ませてくれるというのに飲まぬ選択はない。なにしろそのひは大きな仕事を終え、帰宅するばかりなのだ。
ビールは空港のレストランで出発前の暇つぶしに飲んでいたので、赤ワインをいただいた。小さなボトルとプラスチックのグラスをうけとり、雑誌を読みながらちびちびやる。一時間なのであっという間だ。飛行機は高度を下げ、着陸態勢に入った。なんてことを思っていたら、がこん!と激しく機体が揺れ身体が前のめりになり、思ったより早く滑走路に着いたのがわかった。そのときだ。手すりに置いていた、まだ半分弱ほどワインが残っていたグラスが衝撃で跳ね上がり、手前の壁にぶつかって、中身が飛び散ったのである。
隣には、私とおない歳ぐらいのおっさんが座っており、そのチノパンをはいた足に赤ワインの飛沫が威勢よくぶちまけられた!私には一切かからない。ただただおっさんのチノパンとニューバランスのスニーカーにだけ、赤い模様がまだらに散ったのである。
最悪。
私の頭をまず占領したのはその一言である。
iPadで映画を見ていた人生経験豊富そうなおっさんは、表情も変えずに搭乗時にCAからもらったおしぼりで赤ワインが飛んだ場所をぺしぺし叩き始める。
かつて、赤の他人に飲み物をこぼしたことが二度ある。そのときの記憶を一瞬で反芻していた。一度目は、三十代の頃、下北沢のおでん屋。酔っ払ってカウンターのビールを倒し、隣のサラリーマンのスラックスをびしょびしょにしてしまった。私が「ごめんなさい!」と謝ると、リーマンは「ああ、ああ、これは……ごめんなさいたなあ」と怒気をはらんだ声で言ったが、最終的には、「ま、ま、ビールだから、大丈夫っしょ」と許してくれた。二度目は、四十代。今回と同じ、飛行機の中だった。私は、着陸後、左手に水のペットボトルを持っているのを忘れて自分の荷物を荷物入れから降ろそうとして、ペットボトルの水を真下に座っていたリーマンの肩にかけてしまった。そのときは、少量であったが、何度謝ってもリーマンは、目も合わさず無言でスーツにかかった水をハンカチで拭きながら機内から出ていった。「ま、水だし!」となんとか自分を納得させたが、謝罪を受け入れてもらえない息苦しさは、数日身体の中でとぐろを巻き続けていた。
今回は赤ワインである。まごうかたなき、しっかり目の色がついた液体である。人にかけたらもっとも不快にさせるやつだ。おっさんは「もうしわけありません!」と謝る私を「大丈夫だから」というように手で制し、ただただチノパンの汚れをどうにかしようとしている。その表情はうつむいているのでわからない。CAはこの事態に気づいているようだが、機が静止していないので、席から動けないようだ。早く到着口に着いてくれと思うのだが、私の心をじらすように、ゆっくりゆっくりとしか動いてくれない。
クリーニングのお金を払うことも考えたが、自分が彼ならうけとるだろうか?うけとらない。せいぜい二、三千円である。お互いプレミアムシートに乗れるような大人で、しかも、赤ワインが飛んだ理由の第一位は、着陸の衝撃が強すぎたことであるのもわかっているからだ。無理に払おうとすれば、逆に不快に思う可能性もある。
しかし正直、間が持たない。機内が静か過ぎる。
これでも私は俳優だ、相手を不快にさせず、かつ本気度が伝わる音量で適切な謝罪ぐらいできるはずだ。そう思い、すうと息を吸い込んで渾身の「もうしわけありませんでした!」と吐き出した。すると、おっさんは私にこう言ったのだった。
「一時間じゃ、飲みきれんですよねえ。大丈夫、ズボンからええ匂いがしますけえ」
どこの方言がはわからなかったが、そう言ってくれた。笑顔つきだった。
いったんホッとした。しかし、のろのろのろのろ、その後も飛行機は到着口を求めていっこうに停まらない。その間、やはり「すみません」「もうしわけありません」を繰り返すしかないほど、おっさんのチノパンは無残な状況で、しまいにはおっさんも私から浴びせられる謝罪のプレッシャーに「はっはっは」と、笑いだしてしまうのだった。
渾身の謝罪とそれを赦すタイミング。どちらも早すぎたのだ。謝罪の牢獄と化した機体は、まだまだのろのろ進む。

人生ってなんなんだ。

 

(巻三十三)用心に用心の蠅冬に入る(小林緑)

(巻三十三)用心に用心の蠅冬に入る(小林緑)

6月16日木曜日

細君は郵便局経由で生協へ出かけて、郵便局ではかもメールを買ったそうだ。郵便局でレトルト・カレーを勧められたが、断り、それを生協で買って帰ってきた。洗濯機といいレトルト・カレーといい、勧められた店で買わずに他の店で買うという反応の仕方はよろしいのではないかな。

午後の散歩は、先ず郵便局へ行って区民税を納付致した。本年度後期からは特別納付になるので窓口納付はこれが最後か。細君が勧められたレトルト・カレーが置いてあった。私には勧めなかったが、今でも売れ残りは引き取らされているのかな?

そこから都住2に回り太郎ちゃんに遊んでもらう。太郎は本当にいい猫だ。都住2から3に歩き、サンちゃん、フジちゃんを呼んでみたが現れず。

生協に回り、割引券を使って米、味噌、醤油など重いものを買う。

願い事-電球が切れるが如くで、細君より先にお願い致します。

顔本の公開グループ“The Book Hangout Spot”というのに参加してみた。参加者は61万人だそうで、例えば“What's the Creepiest Book You've ever read?”という問い掛けに948もの返信が入っていた。日本ではあまりこの手のサイトが見つからない。ご存知でしたら教えてください。

Question

How many pages do you read before you decide it’s not the book for you?? I usually torture myself and read it anyway because I’m not a quitter, but my time is precious….

I’m thinking if I can’t get into it in 100 pages I probably won’t. Anyone else??

Comment

I think I had heard once it should be 100 pages minus your age. The older you get the fewer pages you need to try! I think that’s a funny way to think of it. But also makes sense.

なんてやり取りもあって、面白い。

如才なき事ながら、詰まらない本を閉じる目安は百ページ引く読者の年齢なんてことが書いてあります。

(巻三十三)淡雪や休めば死んだかと言われ(後藤渓石)

(巻三十三)淡雪や休めば死んだかと言われ(後藤渓石)

6月15日水曜日

10年使った洗濯機を買い換えることにしたそうで、洗濯機置場の寸法を測った。眼鏡屋の帰りに電気屋に寄り、エアコン同様、洗濯機も型によっては品不足だと云われてその気になってしまったようだ。不安させて上手く落とすのが販売員の腕か。ではあるが、細君は別の量販店に行くつもりらしい。

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3csz1vj

10年使ったと云えばURが設置してくれているエアコンも10年経っているようでメーカーに操作方法を問い合わせたときに“そろそろ故障するかも”と云われたらしい。こちらは私物ではないから、壊れてからの対処しかないかな。

雨模様につき散歩せず。トレーナーも着て座椅子で昼寝。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。昼寝しながらボンヤリと“このまま逝けたら、それはそれでいいな~”と思った。

座る余地まだ涅槃図の中にあり(平畑静塔)

今日は、

『「「四法印」の教え - みうらじゅん」マイ仏教 から』

を読んで、「諸法無我」という教えを知った。

みうらじゅん氏の以下の解説とコメントにふむふむと頷く。

諸法無我=自分なくし

四法印のうち、諸行無常に続いて、次は諸法無我です。

諸法無我というのは、いかなるものにも実体はない、というお釈迦さんの尊い教えのひとつです。あらゆるものは一時的な状態に過ぎず、永久不変のものはこの世に存在しない。

それは「無我」とあるように、当然「そう考える自分自身にも実体はない」ということです。ヨーロッパでは「我思う。故に我あり」という有名なフレーズがありますが、仏教では「そう思う我も無い」と考えるのです。

数年前に、サッカーの中田秀寿が引退して、「自分探しの旅に出ます」と宣言したことがありました。その旅の途中、リハビリ中のお相撲さんとサッカーをして、話題になったことがあります。先ほど、元祖・自分探しは、ビートルズジョージ・ハリスンではないかという話もしました。

それ以前からも、「自分探し」という言葉は世の中に流布し、学生やOLから、主婦やサラリーマンまで、日本中が「自分探し」に夢中になり、「本当の自分」というものを必死になって探していました。中には、坐禅や写経をするなど、仏教に触れることで「自分探し」をしようなんていう人も少なからずいたように見受けられました。

しかしこれまで自分探しを始めた人で、見事本当の自分を見つけたという人がいるのでしょうか?

仏教では、「無我」つまり「本当の自分」なんてものはない、ということを二千五百年前から説かれているのです。

私は、「自分探し」よりもむしろ、「自分なくし」の方が大事なのではないかと思っています。お釈迦さんの教えにならい、「自分探しの旅」ではなくて、「自分なくしの旅」を目指すべきなのです。》

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2021/11/12/102238

(巻三十三)南風南から来たシャツを着る(園田三四郎)

(巻三十三)南風南から来たシャツを着る(園田三四郎)

6月14日火曜日

扇風機を3台出して掃除と試運転を致した。洗濯を致した。拭き掃除を致した。

私の部屋にエアコンはない。エアコンをかけて寝ると冷えて怠くなる。マニラにいたときも夜はエアコンを使わなかったなあ。暑くても扇風機で寝ている。

扇風機さみしい道具かも知れぬ(小谷正和)

昼飯の温めがぬるいとクレームがついた。食器が温まっていないと怒る。電子レンジでブ~ンとやる目的が食中毒の予防だとして、食器までアツアツにする必要が衛生的にみてあるのかね?

2時前に散歩に出かけた。先ず図書館に寄り返して借りた。6冊借りたらさすがに重い。雨も降りそうなのでひとまず家に戻り本を置いて出直した。写真は図書館入口の紫陽花。

出直して、食いたいものは食っておこうと思い白鳥のローソンに向かった。食いたいものは醤油味の焼きうどんである。焼きうどんはラーメン屋にも、蕎麦屋にも、モツ焼き屋にも、海鮮酒場にもない。あるとすればカラオケスナックあたりだろうが、私は唄が歌えない。ネットで焼きうどんを検索すると鍋焼きうどんの店が出てきて焼きうどんを食べさせてくれるところは出てこない。その食いたかった焼きうどんが白鳥のローソンにあったことを思い出した。ファミマにもセブンにもあるかもしれないが、白鳥のローソンにあったのは確かだし、それに白鳥のローソンのイートインはなかなかよろしいのである。

焼きうどんを堪能してから都住2、都住3と廻って生協。都住3でサンちゃん、フジちゃんと遊ぶ。フジちゃんも大分分かってきたようでやや媚びる仕草が見えた。

願い事-電球が切れるが如くで、細君より先にお願い致します。焼きうどん食ったし、もういいや。