「過去の意味-3 - 加藤秀俊」文春文庫 生きがいの周辺 から

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「過去の意味-3 - 加藤秀俊」文春文庫 生きがいの周辺 から

そうした、もろもろの名場面のなかで、じぶんが主役になった場面が何枚かある。じぶんの知恵と行動がつくった場面 - それは、たんなる風景写真なのではなく、これこれはおれがやったのだ、ここでは、おれが主役なのだ、と断言できる場面である。それを、仮に「得意の一瞬」と呼ぶことにしよう。
たとえば、はじめに引用した北陸線の老人のことを考えてみる。この老人にとっておそらく、はじめて単身、秋田の村を出た少年時代の瞬間は心の底に深く焼きついた記念すべき瞬間であろう。峠に立って、ふるさとの村を見おろし、さあ、ここから、おれの人生がはじまるのだ、と思ったとき、そこには不安と希望の入りまじったそこはかとない感傷があったはずである。しかし、それは、「得意の一瞬」ではない。なぜなら、その故郷を出る一瞬に関しては、まだ、かれの主体的な意志があまりかかわっていないからである。おなじことは、かれが小間物屋の丁稚になった瞬間についてもいえるだろう。はじめて来た東京、馴れない言語、ここがおまえの部屋だよ、と番頭さんに案内されて入った西向きの四畳半、眠れない夜 - そうした一連の思い出もまた、少年にとってみれば、他人からあたえられたものなのであって、じぶんからすすんでつくり上げた状況なのではない。なつかしい一瞬にはちがいないけれど、そこでは、べつだんたいして自発性は作用していない。
ところが、はしめて相場に手を出したときのことは、まさしく、おれがやったのだ、という深い自信と満足にみちた瞬間として記憶のなかにのこっているのではないか。もう、東京にも馴れたし、商売も自立した。男の一生を賭けたつもりで、たくわえをポンと投げ出してみる。まかりまちがえば、スッテンテンだ。だが、うまくゆけば、何倍にもなって戻ってくる。重大決意の一瞬なのである。そして、それがうまく当たって、生まれてはじめての大金が手に入ったとき、かれは快哉を叫んだにちがいない。それが「得意の一瞬」なのである。
それは野球でいうと、会心の一打、といった感じのものだ。人生のなかで、人間は何回か打席に立つ。ある政治家は、男は三回勝負する、というセリフをのこさた。ピンチ状態での打席数は、たしかに一生に三回ぐらいかもしれぬ。それもこれもふくめて、人間、何回かバッター・ボックスに立って構えるのである。入学試験、入社試験、結婚.....人生の重大事件は、おしなべて打席だと考えてよい。その打席で、うまくカーンとヒットをとばすことができるかもしれないし、また、空振り三振、ということになるかもしれぬ。すべては、時の運と能力の問題だ。そして、狙いたがわず、快打が出たとき、さあ、こいつはうまく当たったぞ、という深い満足感を人間は味わうのだ。
そのような「得意の一瞬」が、人生のなかで何回訪れてくれるか、には、すくなからず個人差がある。ひとによっては、一〇回、二〇回とあるかもしれぬし、ほとんどそのチャンスにめぐまれない人もいる。しかし、一回もない、という人は、じじつ上、存在していないだろう、とわたしは思う。どんな小さなことであっても、ああ、これはおれがやったのだ、という瞬間は、誰にでもある。そのことの大小は、ここでは問題ではない。問題は、その本人が満足したかどうかの問題だ。
わたしは、小さな漁船にのりつづけて何十年も海で暮らした漁師のはなしをきいたときのことを思い出す。かれは、みずからにひとつの課題、ないし挑戦目標を課した。それは、一日漁に出て、鯛を何十尾だか一本釣でとってやろう、という課題である。正確に何尾が目標であったのか、わたしはその数字をおぼえていない。だが、とにかく、その数をきいて、仲間の漁師は、プッと吹き出したそうだ。常識的な大漁を数倍上まわる数なのである。しかし何日も、いや、いく月も、何年もかれはそれを目標にして漁に出た。そして、とうとう、ある日、幸運にもその目標を達成することができた。
その日は、とにかく生涯の最良の日だった。仲間をぜんぶ連れて、町のいちばん大きな料理屋に行き、へべれけに酔いつぶれるまで飲んだ。この日のために、何年かまえにつくっておいた着物を着た。あんないい日はなかったね、と、その漁師は言った。ヘミングウェイの『老人と海』をわたしは思い出した。あきらかに、この漁師にとって、目標達成の日は「得意の一瞬」だったのである。
それが快打であるかどうかは、本人が決めることだ。ある人にとっては、大臣になった日が快打であろうが、ある人にとっては、何十尾かの鯛を釣った日が快打でありうる。それは、プライバシーの領域にぞくすることだ。