「お金について教えてほしいこと - 蛭子能収[えびすよしかず]」河出書房新社 お金がない! から

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「お金について教えてほしいこと - 蛭子能収[えびすよしかず]」河出書房新社 お金がない! から

長い長い梅雨が終ったと思ったら、今度はカーッと暑い夏がやって来た。いや本当に暑い。しかし暑いのは太陽のせいばかりではなく、私の気持の中にもあるのだ。夏は暑いのが当り前なのに日頃暑さを避けて部屋の中で冷房をつけっ放しにしたり、車の中や電車の中、そしてパチンコ店、雀荘、映画館、競艇場なら特観席と、ともかく冷房から冷房へ移動してるだけなので、ちょっとでも外の空気に触れると暑い、暑さ以上に暑いと感じてしまって暑い暑いと言っているのかも知れないのである。夏は暑いのだから暑くていいって考えなければいけないのだ。私は寒いのより暑い方が好きだったのだ、昔は。思いっきり汗をかいて夕方ぬるま湯で体を洗うってのが、本当の夏の過ごし方だと思う。
ここんとこもう一つ暑い物がある。いやこちらは熱いという字になるのだが......。
ギャンブルで負けっ放しなのである。麻雀やってても競艇やってもパチンコやっても全然勝てないでいるのである。恐ろしくなるほどツキがない。恐ろしくなるほどお金も負けている。もうこんなにお金使っていいのだろうかと自問するほど、使っていて悲しくなるけど、なんかやめられなく余計ひどく使っているのである。
稲田堤の駅を歩いていたら、ふらふらしたおじさんが「くそ~何かお金儲ける方法ないかな」と呟きながら私の方を見たのでドキッとした。私のポケットには、ギャンブルに負けていながら20万ほどの現金が入っている。この20万円は守らなければ、という姿勢になった。私はいまハングリーではない。漫画、イラスト、コラム、それからテレビにも出て生活費に困っているということは全くない。ギャンブルであんなにお金を使っても実は全然困っていないのである。
この私の今の状態は一応成功した人間ということになるのだろうか?
しかし私がどんなに稼いだって世田谷あたりの一戸建て土地付きの住宅に住んでいる人とは段違いに差がある。テレビの仕事で成城学園のスタジオによく行くけど、この辺りに住んでいる人達は一体いくら稼いでこのような大邸宅に住めるようになったのだろうかと。私も現在かなり稼いでいるつもりなのだが、どう計算してもこの辺りの家を買うことはできないのだ。しかもこの辺りの高級住宅に住んでいる人は一人や二人ではない。この辺り全部の住人がすごい家に住んでいるのだ。一体なぜ、このように大量の人が、どんな風にお金を稼いで家を建てたのだろう?
私がもしこの仕事に就かずサラリーマンをやっていたとしたら、今、私が所沢に住んでいる中古の一戸建てだって買えなかっただろう。ほとんどのサラリーマンはお金を稼げない。本当に毎日生活をするのがやっとの給料しか貰っていないのである。
ではなぜ、あの世田谷の高級住宅にあんなにたくさんの人が住んでいるのだろうか。
「何かお金を稼ぐ方法はないかな」とふらふらしたおじさんが呟いているわけだが、なぜこのおじさんにはお金がないのだろうか?
この世は金だ。金さえあればゆとりのある生活ができりような社会になっている。だから皆お金を稼ぐことに必死になる。しかし必死になっても稼げない人がいる。おそらくそういう人の方が多いだろう。このおじさんもその一人で、何とかお金を稼ぎたいともがいている。
一方お金を稼ごうとしない人もいる。お金より今自分がやっていることを楽しむ人。お金は何とかなると思っている。生活に困ればお金に関しては他人に頼ることになる。
私はお金を稼ごうと必死になるタイプで、私の友達には自分がやっていることを楽しむタイプの人が多かった。だから当然のように私はお金を頼られる。こういうのって実にくらしいのである。私は決して今を楽しむタイプの人を援助するために必死に稼ごうとしているのではない。自分のために、自分が楽で自由な生活ができるために稼ごうとしているのである。
だから私は友達が嫌いになる。そしてもうほとんど友達らしき人はいなくなってしまった。それでいい。仲間というのは信用できないのだ。これは金で友達を失ったことになるのだろう。金、金、金、私はお金が大好き。金さえあれば外国でも自由に行ける。友達よりもお金が信用できる。くやしいのは世田谷に住んでる一戸建ての人達である。あの人達は一体どうやってお金を稼いだんだ?誰か教えてくれ。