「起承転結のすすめ(抜書) - 向井敏」文章読本から

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「起承転結のすすめ(抜書) - 向井敏文章読本から



見聞を記すにしろ、意見や考察を述べるにしろ、その内容を読者にはっきりと伝えることがすべて文章の第一の要件であることはいくたびも触れたが、しかしだからといって、文章は意味内容を誤りなく伝えていさえすればいいというものではない。文意がどんなに明瞭でも、また見聞がいかに特異で、意見がいかに警抜でも、朝起きて歯を磨いて顔を洗って食事をして制服に着替えて、といった式の小学生の作文の調子で、平板にだらだらと言葉をつらねているだけでは、読者は退屈しきって早々に読みつづける気力をなくしてしまうだろう。
文章、わけても物事を論じる文章では、文意が明瞭であると同時に、読者をとらえて先へ先へと駆りたてていく仕掛け、平たくいえば読ませるための構成あるいは展開の工夫が要る。構成や展開というと、単に文章の形を品よく整える手段とばかり受けとられがちだが、それだけではない、構成は個々の独立した言葉や章節を相互に連動させ、文章全体にダイナミックな流れをつくりだして、説得力を飛躍的に高める、いわば文章の駆動装置である。文章の組み立て方については、「序論-本論-結論」といった単純なものから、「正-反-合」の弁証法的構成にいたるまで、古来さまざまな説が行われてきたけれども、文章を駆動させる機能という面から見て最も効果的な構成の法といえば、これは起承転結の法にまさるものはない。
ことわるまでもなく、起承転結は漢詩、それも四句からなる絶句の構成に由来する。第一句で情景描写や述思述懐の筆を起し(起)、第二句でそれを詳説もしくは潤色し(承)、第三句で本筋とは異なる題材または視点を持ちだして詩趣をふくらませ(転)、第四句で全体をしめくくる(結)、という構成である。

その一例、晩唐の詩人于武陵の五言絶句「勧酒」。よく知られていることだが、この詩には井伏鱒二が試みた小唄ぶりの名訳がある。あわせて掲げる。

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

わが国では古くから漢詩にならって、今様、連歌俳諧、俗謡などにも広く起承転結の構成が採り入れられてきたから、国文学史を少しさかのぼれば恰好の例がいくらも見つかるが、なかでも典型的なのは、頼山陽唐詩の起承転結の要領を教えるためにしばしば例に引いたと伝えられるこの俗謡であろう。

坂本町紅屋の娘
姉は十六妹は十五
諸国諸大名は弓矢で殺す
紅屋の娘は眼で殺す

第一句で唄の主人公である姉妹の素性を示し(起)、第二句はそれを承[う]けて姉妹の年恰好にも触れ(承)、第三句ではいきなり物騒な話柄を持ちだして興をつのらせ(転)、そして第四句でその武骨なイメージを巧みに本筋に取りこみ、色っぽくいなしてうたいおさめる(結)。この唄、元来は江戸の産らしく、「お江戸本町糸屋の娘(または、本町二丁目糸屋の娘)、姉は二十一妹ははたち、諸国諸大名は弓矢で殺す(または、諸国諸大名は刀で斬るが)、糸屋の娘は眼で殺す」の形でも流布していたといわれ、こちらのほうが元唄かと思われるが、いずれにせよ、起承転結という構成の妙味をこれほどうまく生かした唄も珍しい。
とりわけ巧妙なのが、起承転結の「転」に当る第三句、「諸国諸大名は弓矢で殺す」。ゴシップ仕立ての色づいた唄の運びのなかに、突然この武張って野暮ったい題材が投げこまれたせいで、あたかも粋と野暮、優美と武骨とが斬り結ぶかのような動きのあるイメージが生じ、唄の柄が何層倍にも大きくふくらんでくる。 この転句は話の筋に変化をつけるというにとどまらず、表現全体の質を変えるという高度な役割をも果しているといわなくてはならない。

起承転結の法は詩歌だけでなく、文章を書くうえでも、もちろん応用されてきた。今日でも随筆などの比較的短い文章では、意識するしないは別として、一応は起承転結の形をとっているものが少くない。発端があり、展開があり、葛藤があり、そして何らかの結着を見るというのは、すべて人間のかかわる運動の法則のようなものだから、詩文の作法としての起承転結を格別意識しなくても、自然にそういう形になってしまうのであろう。ただし、必ずしも起承転結という構成のもつ富が十全に活用されているわけではない。ことにその要をなす「転」がうまく働かず、お話にちょっとした綾をつけるといった形でしか用いられない場合が多い。
神吉拓郎に「私小説」という題の短文があって、そのなかに、「私は、私小説を読むのが好きだ。私小説ふうの小説が、といったほうがいいだろうか。漂うマンネリズムみたいなものが好きなのである」と前置きして、私小説のいわば「原型」を手際よく要約したくだりがある。私小説にかぎらず、随筆や小品文によくある形の上だけでの起承転結を諷したものとして見ると面白い。

主人公の〔私〕......たいへんけんそんで、地味な、中年から初老の男。しかし、どういうわけか、蔭ではみんなから立てられている。庭に花など咲かせている。
そこへ友人があらわれる。長いつきあいだけれど、ちょっと困ったところのある人で、〔私〕は口にはしないけれど、度々迷惑を蒙っている。また今度も頼みごとである。〔私〕は、はじめ断るつもりで、やっぱり引き受ける。
客が帰ったあとで、〔私〕はそのことで妻と口あらそいをする。または口論をさける為に、妻には頼まれごとの内容を話さない。その結果、やはり口あらそいになる。
〔私〕は、やはり頼みを断ればよかったと後悔しはじめ、怒りっぽくなる。
そして、最後はやはり庭だ。花が終って、次の季節が来ている。〔私〕は佇んで、静かにその気配を感じている。

 

私小説とはどういうものか、その正体を梗概の要領で説いてみせてうまいものだが、この筋書きを起承転結という観点から分けてみると、〔私〕の人柄とその日常を叙したはじめの二行が「起」と「承」、友人が登場してからの六行が「転」、そしてまたいつもの日常に戻った〔私〕を語る最後の二行が「結」ということになるだろう。
問題は「転」の部分である。友人のせいで妻とのあいだでいさかいが起き、〔私〕が不機嫌になるという経緯を語ったこの「転」は、さきに引いた俗謡の転句、「諸国諸大名は弓矢で殺す」のように、突然、闖入してきて本筋の話柄をゆるがし、「起」「承」と、斬り結んで、「紅屋の娘は眼で殺す」という華麗で劇的な結句を導きだすといった質のものではない。それは終始変ることのない〔私〕の生活にふとまぎれこんできた単なる不協和音として、物語全体の構成のうえからいえば一場の挿話として扱われているにとどまっている。つまり、「転」はここでは単調な話運びにちょっとした薬味を添えるといった程度の役割を与二えられているにすぎず、主題を飛躍させたり、拡大したり、重層的にしたりする積極的な働きはまったく見ることができない。
およそこんなふうに、一応は起承転結の形をとっている文章であっても、「転」の働きが微弱だと平面的で淡々しい作柄のものになりやすい。私小説や身辺雑記風の随筆は元来が簡素で淡彩であることをむしろ身上とする種類の文章なのだし、読者もそのつもりで読みにかかるから、これはこれで別段不都合ではないかもしれない。現に、神吉拓郎のように「漂うマンネリズム」が好きで私小説風の小説を愛読するという人もいる。しかし、物事を論じる文章の場合は、展開が平板だと説得力がいちじるしく弱くなるのは、これは避けがたい。