「刑罰のイメージ - 川出敏裕」法学教室11月号

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「刑罰のイメージ - 川出敏裕」法学教室11月号

先般、東京池袋で自己の運転する車を暴走させ、母親と子どもを死亡させるなどした事実により過失運転致死傷の罪で起訴された90歳の被告人に対して、禁錮5年の実刑判決が言い渡され、控訴の申立てがないまま確定した。マスコミ等では、高齢を理由とした刑の執行停止がなされるかどうかに注目が集まっているが、反面で、刑務所に収容された場合に被告人がどのような処遇を受けるのかについては、ほとんど関心が寄せられていない。今回言い渡された刑が禁錮であって、懲役ではないことについても、あまり意識されていないように思える。
近年は、ニュース番組などでも取り上げられることが増えてきたので、一般の国民の間でもおおよそのイメージは共有されているように思うが、刑務所での受刑者の日課の中心を占めるのは、作業である。工場のような場所で、濃い黄緑色の作業服を着た受刑者が黙々と作業する姿を映した映像を思い浮かべる方も多いであろう。
もっとも、受刑者のすべてが、この作業をしなければならないわけではない。刑務所への1月以上の収容を内容とする刑罰には懲役と禁錮があるが、このうち作業が義務付けられているのは懲役であり、上記の被告人が言い渡された禁錮においては、作業をすることは義務ではない。このような区別は、懲役という言葉がまさに示しているように、刑務所における作業を罰としての苦痛と捉える考え方を前提としている。旧刑法下の出来事ではあるが、明治中期における北海道開拓の際の囚人使役などは、まさにこれがあてはまるものである。他方で、作業を義務としない禁錮という刑は、元々は、政治犯に対する名誉拘禁という考え方を基礎としたものであり、それが、故意犯に比べて責任非難が類型的に軽い過失犯にも適用されているのである。
しかし、1907(明治40)年の現行刑法の制定以来続いてきたこの区別には、既に1960年代の刑法の全面改正作業の時から疑問が投げかけられてきた。それは、犯罪を破廉恥罪と非破廉恥罪に区分することへの疑問や、矯正実務の中で、作業が、苦痛を与えるものではなく、受刑者の改善更生のための処遇の一つとして位置づけられるようになったことを理由とするものである。
こうした長年にわたる議論を経て、昨年10月に、遂に、懲役と禁錮を新自由刑として単一化するという内容の法制審議会の答申が出されるに至った。答申は、「新自由刑は、刑事施設に拘置するもの」とし、「新自由刑に処せられた者には、改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができるものとする」としている。これにより、作業を義務とするか否かで自由刑を区別する制度がなくなるとともに、作業が、他の指導とならぶ受刑者の改善更生のためのものであることが明確になった。
現在、答申に沿った法案化の作業が進められているが、問題となっているのは、単一化した刑の名称をどうするかである。答申では新自由刑という名称が用いられているが、この「自由刑」という用語は、ドイツ語のFreiheitsstrafeの訳であり、法律家の間では広く受け入れられているものである。しかし、一般の国民がこの用語を見たときには、あたかも被告人を自由にする刑のようで、刑務所に収容する刑罰のイメージにあわず、違和感を抱くようにも思われる。他方で、新たな刑罰は、刑事施設に拘置したうえで、改善更生のための処遇を行うという刑罰の内容に適合したものである必要がある。また、現在の懲役や禁錮という刑の名称は、1873年の改定律例から用いられている造語であるが、明治維新後とは異なり、一般の国民にとってのわかりやすさが求められる現在の立法作業においては、現在の日本語にない用語を造り出すのは適当ではないであろう。考慮すべき要素は多いが、読者の皆さんは、どのような名称が適当であると思われるであろうか。