「江戸前の釣り - 竹内始萬」日本の名随筆4釣 から

 

江戸前の釣り - 竹内始萬」日本の名随筆4釣 から

秋になると毎年何回か江戸前のハゼ釣りに出ます。ハゼ釣りも数を競うような釣りになると、のんびりしたところなど、なくなってしまいますが、五、六人の同船で世間話をしたり、戯談をいったりしながら、ほど良く釣っていれば、他の釣りにはない楽しさがあります。晩秋から初冬へ、いわゆる下っ釣りの頃になると、ハゼの食いも渋くなり、釣り味も一層深みを増してきます。時雨ぎみで餌をつける指先が冷たくて、うまく餌がつかないような日には、身体もしまって肩がこるような気がしますが、小春日和のいい凪ぎで、上衣の一枚も脱ぎたくなるような日には、ほんとうにのんびりした、ハゼ釣りの気分が満喫されます。それで初釣りもハゼでやったことがよくありましたが、近年だんだんハゼ釣りにはあまり出ないようになってきました。わたしの場合、その最大の理由は隅田川の水がきたなくなったことだと思います。ハゼ釣りもいいがあの往復の川がいやだなと、はじめは軽くそうおもっていたのがだんだんいやになってきたのです。前には朝釣場へ向う途中でそろそろ竿を出し、仕掛けを調節したりしたものですが、あのよごれた水を見ると海へ出るまで竿を出す気がしないのです。まして少し風があって川波が立ち、しぶきが顔へかかったりすると、全然気分が損じられてしまい、うちへ帰って手や顔を清めるまでは、さっぱりした気分になれないのです。
そんなことを思いながら先日、今年初めて深川から出てみたのですが、釣場の様子が全く変っているのに驚くとともに、江戸前釣りの中で最後まで残ったこのハゼ釣りも、もうお終いだなといった感慨を覚えずにはいられませんでした。
夢の島の外で釣ったのですが、あの沖にあった海苔ヒビが全く無くなり、埋立工事の大きいパイプが沖に向って長く延びているのです。あのへんの埋立がどんな計画になっているのか知りませんが、工事はどんどん進められているらしく、とてものんびりハゼ釣りを楽しもうなどという環境ではなかなっていました。それでも思ったよりカタの良いハゼが、ポツポツではありますが、ハリにかかってきました。しかし地底がすっかり変り、突然深くなったりまた浅くなったり、凸凹がひどいので、糸の調節ばかりしているような状態で少しやってはみましたが、身を入れて釣る気にはなれません。わたしはひどく変ったあたりの風景を見廻わし、もう以前のようなハゼ釣りの気分はなくなったし、この工事が完成すれば、ハゼもいなくなってしまうだろうと思いました。
埋立工事が完成すれば遠浅の海岸というものは無くなってしまいます。潮が満ちてくれば海になるし、潮が引けば砂地になるといったような浅い所、そこはハゼに限らず、いろいろな稚魚幼魚の遊び場であり、育ち場所なのです。餌のプランクトンのわくところで、稚魚や幼魚はそこにいれば食餌には困らないし、大きな魚からの脅威はないし、その安全地帯で遊びながら育ち、育つに従って深い方へ移って行くのですが、その大切な、いや絶対必要な場所が無くなってしまえば、ハゼは育つところが無いわけです。
昔のことは知りませんがすくなくも戦前までは、江戸前の釣りとしての、特有な味がありました。ハゼ釣りをしている間に、ときどきハリにかかる外道もにぎやかでした。カレイ、メバル、モヨ、アナゴ、ギンポ、セイゴ、ギナ、メゴチ、キス、イシモチの子といったようないろいろの魚のほかに、ときどきシャコがつれたりイイダコがブラ下ってきたりしたものですが、水がよごれると共にだんだんそうした魚がいなくなってしまいました。いまでも場所によればカレイやメゴチが釣れることもありますが。-多くの魚がみないなくなったあとに、ハゼだけが残っているのですから、ハゼがいちばん生活力が強いということになるのでしょうか。
いろいろな魚がいなくなると共に、伝統のある江戸前の釣りも次第に影をひそめていき、いまはハゼ釣りだけが余命を保っているというのが現状です。
わたしはあまり江戸前の釣りを知りません。道流杭のカイズ釣りとか、お台場のねらい釣りとか、青ギスの脚立釣りとか、そんなのは少しやってみましたが、ヒビのボラ釣りなどじまんばなしはよく聞かされたし、面白そうだなとは思いながら、あのボラという魚があまり好きでないためか、ついにその釣りを試みる機会がありませんでした。

川釣りも同じ運命をたどっています。隅田川の水がまだきれいだった頃、江戸の末期から明治の初年へかけての、東都釣案内だの釣魚をふきよせだのといった本を見ると、こんなところで、こんな魚が釣れたのかと思います。いまだって両国の百本杭のコイ釣りなどを知っている人もいるでしょうが-。隅田川や上流の綾瀬川、また中川などその周辺の堀割だの、田圃の用水路だの、みな東都の釣人の釣り場で、東京風のコイ、フナ、タナゴ、ヤマベなどいろいろの釣り竿、仕掛け、釣り方などみなその間で考案され、また進歩発達したもので、それが現在の釣りにも伝承されているところがすくなくありません。ナマズのポカン釣りのように、やる場所もなくなったし、やる人もいなくなったものもありますが-水郷方面でまだこの釣りをやっている人もあるし、一時雷魚をこの式で釣ったとか聞いていますが、とにかく江戸時代から伝わってきたいろいろの釣りが、次第に忘れられてしまうのは惜しいことだと思います。
幸田露伴先生の存命中に、先生をお尋ねして「いまは無くなったが」といってメダナ釣りのお話を伺ったり、先生が竿治に作らせたものだというカイズ竿を拝見したりしましたが、こういう古い竿やあるいは当時の仕掛けなどどこかに残っているかも知れないと思うと、こういうものを集めて江戸前釣りの記念館でも作って、陳列して置きたい気がします。東京には例の大震災があったし、またこんどの戦災もあったりして、古いものは大半失われたでしょうが、それでもいまのうちなら、集めれば案外誰かが古いものを保存しているかも知れません。
釣りも時代と共に変っていきます。わたしの短い経験の上でもそれを感じますが、戦前から釣りをしていた年輩の人たちは、戦後の釣りがどんなに大きく変ったかということを感じずにはいないでしょう。第一釣りをする人たちの年齢層が大きく変ったし、釣りを楽しむ人の数も驚くほど多くなってきました。そしてヘラブナ釣りとか磯釣りとか、さらに近年はトローリングとか、江戸前の釣りには無かったいろいろの、新しい釣りや釣りものも出てきました。渓流の釣りなどもその一つで、これは主として交通機関の関係ですが、多摩川にはアユもいたし、上流にはヤマメもイワナもいましたが、いまでは東京都内の多摩川も、昔はなかなか日帰りなどというわけにはいかなかったのですから、江戸時代の釣人にはちょっと手の届かない釣り場だったわけです。
わたしは江戸前の釣りも少しは知っているだけに、今日の釣りを楽しみながらも、失われていく江戸前の釣りに、何とはなしに愛惜の気持ちがあるのです。それだけに最後に残ったハゼ釣りが、それさえ余命いくばくもないのかと思うと、一抹哀愁の感といった気がするのですが、同時に今日これだけ大勢の人々の楽しみになっているハゼ釣りができなくなるのは、ただ江戸前の釣りとしてのハゼ釣りが無くなる以上に大きな問題だと思うのです。
近代産業の発展、近代都市の建設の前にはハゼ釣りの興亡など言ってはいられないといえばそれまでのものですが、それだからといってハゼ釣りなどどうでもいいような扱いをされていることに、愛惜とは別に諦め切れないような、何か腹立たしいものを感じずにはいられないのです。