「老化の喜び - 土屋賢治」妻から哲学 から

 

「老化の喜び - 土屋賢治」妻から哲学 から

年が明けると「おめでとう」というが、年が明けるのがなぜめでたいのだろうか。結婚がめでたいといわれるのと同じくらい不可解である。むしろ、「これでまた一つ年をとる」と考えて、暗い気持ちになる人の方が多いのではなかろうか。とくに、年をとることを忌み嫌う風潮がはびこっている昨今はなおさらである。
しかし年をとるのはそんなに悪いことなのだろうか。
どんなものにも両面の真理がある。古代ギリシャプロタゴラスはどんなものについても真理は一つではないと主張した。その彼に次の逸話が残っている。
プロタゴラスは裁判に勝つための弁論術を教えていたが、弟子の一人が授業料を払わないので、裁判に訴えた。弟子は、「裁判に勝つ技術を教わらなかった」と反論した。これに対し、プロタゴラスはこう主張した。
「もしわたしが裁判に勝ったら、弟子は判決に従って金を払う義務がある。もしわたしが負けたら、弟子が裁判に勝つ技術を身につけたのだから、その謝礼を払う義務がある」
弟子も負けずに反論した。
「もしわたしが勝ったら、判決通り、金を払う必要はない。もし負けたら、裁判に勝つ技術を教わらなかったことになるのだから、金を払う必要はない」
両面の真理は、食事の仕方にもあるような思われる。出された料理を嫌いなものから順に食べる人と好きなものから順に食べる人に分かれるが、どちらにも理屈がある。
嫌いなものから食べる人の理屈はこうだ。
「好きなものを後に残すようにすると、一口食べるたびに前回口にしたよりおいしいものを食べることになる。一口ごとにおいしさが増していくことになるのだ。逆に嫌いなものを後に残すと、一口ごとにまずくなる」
これに対し、好きなものから食べる人にも理屈がある。
「好きなものから食べると、目の前の料理のうちもっともおいしいものを食べ、その次も、残った料理のうちでもっともおいしいものを食べることになるのだから、つねに目の前の料理のうちでもっともおいしいものを食べていることになる。逆に嫌いなものから食べる人は、つねに目の前の料理のうちもっともおいしくないものを食べていることになる」

このように何事にも両面の真理がある。当然、ダカツのように嫌われる老化も悪い面ばかりであるはずがない。それどころか、悪い面を見つけるのが難しいほどだと思う。現にわたしは機会あるたびに老化を賛美してきた(これはわたしの老化が相当進んでいるからでもある)。冷静に老化のいい面、悪い面を列挙してみれば、老化の長所が明らかになるはずである。
①「若気のいたり」といういいわけが使えなくなるかわりに、「もう年なので」といういいわけが使えるようになる
②老人性高血圧になるかわりに若年性高血圧にならなくなる
③身体の働きが悪くなるかわりに、それに気づきなにくくなる
④髪の本数が減るかわりに、しわの数が増える
⑤体力が低下するかわりに血圧が上昇する
⑥覚えにくくなるかわりに忘れやすくなる
⑦気が短くなるかわりに説教が長くなる
⑧耳が遠くなるかわりに小便が近くなる
⑨小便が出にくくなるかわりに目やにが出やすくなる
⑩いじめらるやすくなるかわりに性格が悪くなる
こう列挙してみると、年をとるのも一長一短あり、いいことばかりではないような気もする。どちらかというと悪い面の方が多いかもしれない。年をとるのも考えものである。