(巻三十五)かりがねや信じて渡る青信号(大黒泰照)

(巻三十五)かりがねや信じて渡る青信号(大黒泰照)

 

1月26日木曜日

顔本俳句の投稿句に“雪しまく”と云うのが数句あった。調べたら雪風巻と書き吹雪のことだそうだ。ひとつ覚えたが使う局面はなかろう。

今日は3ヶ月毎の泌尿器科検診で平成立石病院へ出かけた。バスで区役所まで行き、そこから冬晴れの町を5分ほど歩き、9時10分前に病院に到着し手続きした。空いている。4階の検査階へ行き、先ず採血。待たされないが着膨れいるので手間が懸かる。血管探しにも手間が懸かる。小水を我慢してきたが、採尿はCTのあととのことで我慢が続いた。

CT、採尿と済ませ、診察階に降りる。ここで水分摂取、缶珈琲を2本飲む。待合室もいつもに比べれば空いていて、予定時刻通りに呼び込まれる。

先生が、「ちょっと待ってくださいね。」と言ってCTの画像を睨んでいる。厭な時間だ。そして、「大丈夫ですね。前回と変わりなく、新しい石はないですね。」との所見。数値の方は僅ながら改善しているとの診断でした。

影像を読み解く医師やそぞろ寒(亀)

普段より一時間早く病院が終わり、それならと、ビックカメラに寄って安いヘッドフォンを買い、バスに乗り、降りていつもの薬局で処方薬をいただき、生協でチキンカツカレーを仕入れて帰宅した。

洗濯をして、チキンカツカレーで昼食。一息入れて散歩。久しぶりにクロちゃんを訪ねるがすこぶる機嫌が悪くそばに寄って来ない。スナックは食べたが「少し寒いとお見限りですか?」という態度だった。次いでコンちゃんを訪れた。コンちゃんもそれほど腹は空いていない様子で愛想がない。

そこから寒くて足を延ばさなかった平安へ歩く。三時前に着いてしまいそうだったので足立区東和の商店街だった名残のあるシャッター通りを徘徊してみた(一撮)。店を開けていたのはわずかに履物店、八百屋、肉屋、お茶屋。往時はさぞかし賑わった商店街だったことが窺い知れるだけに、無常感が漂う。

下町の閉店通り黄砂降る(鶴賀水)

3時5分ころ平安に入り、酒二合、おでん、モツ焼きを楽しむ。が、さすがに飽きてきた。少し間隔を空けようと思う。それに、相撲も終わりテレビからは最悪の番組が大音量で流れていた。ヘッドフォンの音量を上げて防御したが、やはりテレビのない店に行こう。

4時に帰宅し、洗濯物を取り込む。郵便受けに行き、区役所からの医療費明細と会社からのお手当て明細を回収。さて、来月は確定申告だ。

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。

この先生きて何がある?!だが、自裁できる器ではない。死を宣告されれば狼狽えるだろう。

三木のり平-すべての治療を拒否 - 小林のり一[かず](長男・俳優)」文春文庫 見事な死 から

を読み返した。立派な、見事な死だ。

出来ないだろうが、こうありたいという手本として刻んでおく。

炉を囲む者みな望む尊厳死(田坂名雅子)

 

三木のり平-すべての治療を拒否 - 小林のり一[かず](長男・俳優)」文春文庫 見事な死 から

 

「当面は見舞いに行かないほうがいいな」

九九年の一月、父が末期のがんで「もって三月[みつき]」と医者から聞かされたとき、まず思ったのはそのことです。当時の僕は十年もの間、父と絶縁状態にありましたから、なまじ僕が見舞ったりすると、父が「俺はそんなに悪いのか」と勘ぐってしまうかもしれない。そんな変な心配をしなくてはならないくらい、僕と父の親子関係は距離のある、厄介なものだったんです。

僕にとって三木のり平は愛してやまない日本一の喜劇役者でしたが、家庭での父、田沼則子[ただし]という父親は複雑怪奇にひねくれていて、屈託が服を着ているような近寄りがたい存在でした。普通の会話が出来なくて家族団らんが苦手という人ですから、家族だけでいると間がもたない。僕は父が家にいるだけで緊張しましたし、小言をいわれるのが怖くてなるべく顔を合わさないようにしていたほど。たまさか機嫌がよくて家族にやさしく接することがあっても、そんな自分が無性に恥ずかしくなるのか、翌日は前日のやさしさを帳消しにするくらい意地悪になる。つまり極度の照れ屋。生きてることそのものが恥ずかしいと思っているような人でした。

でも、だからこそ喜劇役者としての三木のり平は魅力的だったんです。舞台で同じことをやって同じように笑ってもらうのが恥ずかしいから毎日違うことをやる。決して予定調和的な演技をしない。父が出ている劇場を託児所代わりにして育った僕にとって、三木のり平ほど毎日観ても飽きない役者はいませんでした。

そんな父も六十を過ぎると体力の限界を感じるようになったんでしょう、九一年に、早変わりが多くてハードな『雪之丞変化』を最後に喜劇の舞台を引退してからは、たまにテレビドラマでお爺さん役をやるか、舞台の演出をするか新劇の舞台に出るくらいで、仕事を徐々に減らしていきました。その間に母も亡くなり、僕も家を出てしまったので、父は一人で暮らすことになってしまいました。それでも僕は様子を見にいくことすらしませんでした。顔を合わせれば「お前はぶきっちょで駄目だ」とか「いい加減役者やめないよ」とか、ひどい事ばかり言うに決まってましたから。

父が自宅のある四谷近辺の飲み屋を何軒もはしごして無茶飲みしていたのもこの頃だと思います。一人の家に帰りたくないがために飲み続ける、そんな孤独な酒がどれほど身体を蝕んでいっているのか。もうやることはやったから酔いつぶれて死んだっていいと思っていたのかもしれません。父の没後、自宅の部屋におびただしい薬があるのを見つけましたが、病院では父は点滴や投薬のたぐいを一切拒否していました。おかげで危篤状態に陥ったのは「三月[みつき]」という告知を受けてからほんの数日後のことでした。

「今日か明日が峠」という妹からの連絡で僕がおそるおそる見舞いに行った時には、父は僕に小言を言うことすら出来なくてなってたので、父に渡すつもりだった本の一節を読んであげることにしました。そこには、東宝ミュージカルのアチャラカ喜劇、ことに『雲の上団五郎一座』の「玄治店」の場など、父が一番輝いていた昭和三十年代の舞台の様子が描かれていたからです。過去を振り返るのは嫌いな人ではありましたけれど、僕の朗読に耳を傾けながら父はかすかに「うん.....うん」とうなずいていました。もしかすると、父の生涯でもっとも親子の距離が近づいた瞬間だったかもしれません。けれどもそれもつかの間。次第に意識が薄れていって反応がなくなり、父はそのまま静かに息を引き取りました。入院数日の短さといい、点滴の管だらけにならない自然な最期といい、くどいことを嫌う三木のり平らしい“演出”による人生の幕引きでした。

 

2023/01/27

JIFFA shares the following news.

MSC, Maersk to Terminate 2M Alliance | News | JIFFA - Japan International Freight Forwarders Association Inc

 

2023/01/27

MLIT’s Ports and Harbors Bureau announces a web seminar explains the linkage, functions and products of its Cyber Port system and existing Nippon Automated Cargo And Port Consolidated System (NACCS).

The Seminars are held on Tuesday Feb. 28 (1400~1500) and Thursday Mar. 9(1600~1700).

報道発表資料:連携開始直前!Cyber PortとNACCSの直接連携機能を初紹介します<br>~Cyber PortのWEBセミナー第二弾を開催~ - 国土交通省 (mlit.go.jp)

Audiences are requested to apply and register by, respectively, Feb. 24 and Mar.7 with using the application form hereunder.

第二弾!Cyber PortのWEBセミナーお申込フォーム (office.com)