「アジフライの正しい食べ方 - 浅田次郎」ベスト・エッセイ2023 から

 

 

「アジフライの正しい食べ方 - 浅田次郎」ベスト・エッセイ2023 から 

孔子は「四十にして惑わず」とのたまい、孟子もまた「四十にして心を動かさず」と言った。
すなわち人間は四十歳でおのれの世界観を確立し、そののちの人生を揺るがずに過ごさねばならぬのである。
しかし齢七十にもなって、アジフライをどのように食べてよいのかわからぬ。しかも大好物であるから、たぶんこれまでに三千尾ぐらいは食べており、にもかかわらず食い方が決まらぬとは情けない。いったい世の中に、三千回もくり返してスタイルの決まらぬものなどあろうか。
迷いの発端は今を去ること十五年くらい前、『一刀斎夢録』執筆のため大分県佐賀関を訪れた取材旅行であった。
佐賀関といえば豊予海峡の荒波に揉まれた“関あじ・関さば”。滅多にいただけぬ高級魚である。ところがたまたま通りかかった漁港の近くに、「関あじフライ定食」という看板を認めてわが目を疑った。東京のデパ地下や空港の売店等で見かけても、たいていビビるくらいの値がついている“関あじ”を、刺身でも焼物でもなくフライにするとは何という贅沢であろう。しかも漁港の食堂ならば冷凍物であるはずもなく、「定食」と称するからには安価であるにちがいない。
折しも昼飯時であったので車を急停止させて食堂へ。編集者一同ともに感激しつつ、至福の「関あじフライ定食」をいただいた。
ものすごくうまかった。前後の取材内容がてんで記憶に残らぬくらい。いや、うまいまずいではない。話はアジフライの食べ方である。
食堂のテーブルには醤油とソースが置かれていた。そしてほどなく運ばれてきた定食の膳には、タルタルソースがついていた。メンバーは編集者男女各一名と私、つごう三名である。むろんオーダーは全員がアジフライ定食。しかし三者三様にアジフライの食べ方が異なっていた。
私は醤油。和風に徹していた明治生まれの祖父母に育てられたせいで、醤油信奉者なのである。
男性編集者は卓上のソース。ごく当たり前の市販品である。
「エッ、ソースかよ」と私。
「ふつうソースでしょう。フライなんだから」
そういう考え方もあるのか。なるほど、醤油党の私もトンカツやコロッケにはソースをかける。つまり私は醤油とソースの使い分けに際しては「魚か肉か」を基準とし、男性編集者は「天プラかフライか」で区別しているらしい。
ところが、女性編集者が迷うことなくタルタルソースを使用したので、話はややこしくなった。
「わたくし、ふだんでもアジフライにはタルタルですの。魚介類にはタルタル」
言われてみれば私も日ごろエビフライやカキフライにはタルタルソースを使用している。ならばなにゆえアジフライだけ醤油なのかと考えても、合理的な説明はつかない。たぶん私が子供の時分には、エビフライやカキフライは家庭の食卓に上がらぬ高級品だったので、祖父母の影響を受けることなく、長じて外食をするようになってからタルタルソースとセットで食べるようになったのではあるまいか、わけてもマックの「フィレオフィッシュ」にタルタルソースが使われていたのは、決定的であったと思われる。
ところでこの取材の眼目は、西南の役における豊後口の戦についてであった。西南戦争といえば田原坂の戦が名高いが、実は東側の大分が戦線の北端である。野村忍介[おしすけ]ひきいる二千余の薩摩軍が政府軍の手薄なこの地域に突出した。もはや熊本の戦線は陽動作戦で、野村の部隊が北九州の不平士族を糾合して小倉の政府軍本営を狙う作戦だったのではあるまいか。
佐賀関の戦跡をめぐりながら、編集者たちとあれこれ語り合い、想像は大いに膨らんだのであるが、つまるところアジフライは醤油かソースかタルタルかという激論になってしまった。
なお詳しくは文春文庫『一刀斎夢録』を参照のこと。むろんアジフライの食べ方ではなく、西南戦争について。

 

 

「アジフライはどうやって食べますか」
そう訊[たず]ねると、マッサージ師の手の動きが止まった。
「は?」
「醤油ですか、ソースですか、それともタルタルとか」
本稿でもしばしば書いている通り、私にとってマッサージは生活の一部である。性格も凝り性だが体も凝り性で、五日もあけば仕事が手につかぬ。
その当時かかりつけであったマッサージ師はうら若き女性であったが、けっしてツボをはずさぬ名人であった。ここちよく体をほぐされながらふと、名人ならばきっと食べ物の趣味もよろしかろうと考え、懸案のアジフライについて訊ねてみたのである。
施術に際して対話はない。おたがい集中が必要だと思うゆえである。そもそもマッサージは師の指先と私の肉体との会話であるから、穢れた言葉などかわしてはならぬ。
しかるに、そうした神聖な関係が数年間も続いたあげく、アジフライの食い方について唐突に訊ねられた師は、さぞ当惑したであろう。
ややあって、師は肩甲骨まわりのツボを攻めながら答えた。
「何もつけません」
イテッ。イテテッ。でも気持ちいい。一ミリもはずれていない。たぶん手書き原稿のせいであろうが、右手ではなく体重を支え続ける左肩が凝る。しかも肩甲骨まわりのピンポイントである。
「アッ、アアッ。何もつけないとは、塩でしょうか」
「いいえ。フライは大好きなので、何もつけないんです」
「イテッ。フライはすべて、ですか。アアッ、エビフライは」
「もちろんですとも。何か調味料を加えれば、みんな同じ味になってしまいますから」
「イッテェー。いや、遠慮なく。まさかトンカツは」
「やっぱり何もつけませんね。豚肉の旨味[うまみ]がきわだちます」
「ヒエーッ」
名人である。ツボをはずさぬ師は味覚もたしかなのであろう。しかし私には、ソースもカラシもつけずにトンカツを食べる勇気はない。思えばあの日、関あじのフライを何もつけずにそのまま食べてみなかった私は愚かであった。
孔子は言う。「七十にして心の欲するところに従えども、矩[のり]を踰[こ]えず」
要するに何だ、七十になったら醤油だろうがソースだろうがタルタルだろうが、てめえの好きにすりゃいいんだが、揚げ物はなるだけお控えなさい、ということだな。