(巻六)立読抜盗句歌集

襟あしの黒子あやふし朧月(武久夢二)
甘いことば言ってとねだるつれあいのいる幸せをかみしめよ君(大黒千加)
越後屋にきぬさく音や衣更(きかく)
柚子三つはふり込んだる湯の騒ぐ(橋本栄治)
片陰に入りわが影を休ませる(津田和敏)
夕されば衣手寒し高松の山の木ごとに雪ぞ降りたる(万葉集)
ひかる茄子一番先に切られけり(原阿佐太)
抜きがたし踊り子草と名の知りて(浮田千代)
今生の狂ひが足らず秋蛍(手塚美佐)
贅沢な花の盛りの草野球(丹羽利一)
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな(金子兜太)
やはらかに人分けゆくや勝角力(高井き董)
落選に挫けず投句生身魂(長尾重明)
雪国に六(むつ)の花ふりはじめたり(京極きよう)
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川(中村草田男)
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)
青葉して団地しづかに老いにけり(角田大定)
思ふ人の側に割り込む炬燵かな(一茶)
帰還せぬ翼も混じる鰯雲(柴田佐知子)
片蔭に縄のれんなど出ていたり(仁平勝)
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)
がっくりと抜け初むる歯や秋の風(杉山杉風)
春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり(西行)
鴨の中の一つの鴨を見ていたり(高浜虚子)
さわやかや妻に敬語をつかわれて(岩神刻舟)
身の丈で生きて知足や去年今年(井上静夫)
木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くあるかな(前田夕暮)
もち古(ふ)りし夫婦の箸や冷奴(久保田万太郎)
鴨鍋のさめて男のつまらなき(山村玉藻)
この人はすみやかに避けむ会釈して二号館歩廊を面舵に切る(島田修三)
貧乏に追ひつかれけりけさの秋(蕪村)
独り碁や笹に粉雪(こゆき)のつもる日に(中勘助)
蚊屋釘の四隅に残る夏座敷(北村峰月)
省くもの影さえ省き枯木立つ(福永耕二)
鈍るとて人に馴さず狩の犬(高田?路)
東の野にかげろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(人麻呂)
マフラーを借りて返さず十五年(柿坂伸子)
川に沿いのぼれるわれと落ち鮎の会いのいのちを貪(むさぼ)れるかな(石本隆一)
加留多歌老いて肯(うべな)ふ恋あまた(殿村とし子)
雷過ぎて猫やはらかくなりにけり(はやし碧)

霧冷(きりびえ)や秘書のつとめに鍵多く(岡本眸)
とりわくるときの香もこそ桜餠(久保田万太郎)
掃き寄する桜落ち葉の香り立ち今日は午後より雨との予報(大下一真)
部屋という宇宙に棲む子秋の夜をUFOに乗って飯食いに来る(長尾幹也)
空蝉のそばなる蝉のむくろかな(高梨圭一)
実るほど疲れあらはの案山子かな(芦田操)
戸を引けばすなはち待ちしもののごとすべり入り来ぬ光といふは(宮柊二)
ひとりあれば身の愛(かな)しかり愛(かな)しきをありがいとして我はひとりいむ(窪田空穂)
学問はどこまでも恋夜長かな(福沢義男)
小津映画流れるままの寝正月(小沢昭一)
文化祭無事に終って男子から恋の相談されている秋(松田わこ)
棄てるとも捨てられるともみづからを入るる無縁墓地人は購ふ(宮原勉)
夕霧のプラットホームに敬礼す乗務車掌の旅の始まり(本永静義)
自転車に戻れば篭の落葉かな(西やすのり)
実朝の海あをあをと初桜(高橋悦男)
こんな日にやめたらいいと思へども氷雨に咲かうとしをり白梅(馬場あき子)
夏蝉の響きを止めて夕立の雨音高く木々の葉を打つ(有賀すい至)
錆鮎で転がす二合徳利かな(星野三興)
すす逃げやなんだ神田の神保町(有馬朗人)
こんなにも優しき雨があると知る君に抱かれて雨やどりする(大黒千加)
「あとで言う」の後がないのよあなたには告知せぬまま日は飛んで行く(高橋のり子)
恋人も枯木も抱いて揺さぶりぬ(対馬康子)
無造作にとられし面の一本があとあとまでも尾を引きにけり(山崎方代)
秋晴や宙にえがきて字を教ふ(島谷征良)
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思(も)はば(大伴坂上郎女)
恋文は遂に縁無く八十路の身ポストマンだった職歴寂し(青木武明)
降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)
六十六もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかに知る人もなし(行尊)
死ぬのなら酒も止めねばよかったと誰れも言わずに酒を飲む通夜(森村貴和子)
いのち焼く香のかぐはしく身はうまき秋刀魚をくらふ秋はまた来ぬ(島田修三)
どの山のさくらの匂ひ桜餠(飴山実)
たそがれを一葉やさしく落ちにけり(池本一軒)
花吹雪あびて振り切る恋もあり(平松うさぎ)
青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき(高野公彦)
ケータイに操られつつ店内に食品探す初老の男(小野寺健二)
しんしんと捨場なき雪降りにけり(清水志)
歳晩の用なき老のクラス会(藤田考成)
もてあます西瓜一つやひとり者(永井荷風)
父暮らすホームからくる請求に「コーヒー代」とありて平穏(北村修)
夜の秋酒の好みのみな違ふ(古田紀一)
寒雷に若き巡査が照らされて孤独に耐える深夜の交番(飯島幹也)
二人して荷解き終へた新居には同じ二冊の並ぶ本棚(五十嵐裕司)
文太逝きトラック野郎哀悼に皆鉢巻の今朝の国道(白井善夫)
神田川祭の中を流れけり(久保田万太郎)
妻子飢う蟻にも増して励まねば(上村占魚)
右の羽根ひだりの羽根を広げては繕ふ雀が葉の間(あい)に見ゆ(中村昭子)
気構への一歩遅れし寒さ急(蔭山一舟)