(巻九)山茶花やはらりと散りて身の証(鈴木利恵子)

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12月6日日曜日

特に買いたい本があった訳ではないが、谷崎のふーてん老人日記を立ち読みしようと、金曜日の帰途、浜松町駅の本屋、文教堂に立ち寄った。
新潮社文庫の書架に行き、谷崎の文庫本を見るが、その作品を収めているものはなかった。
書架の下の平積みされている文庫本のなかに、「すべては今日から ー 児玉清著 (550円)」があった。児玉氏の書評とエッセイ集とあったので、文章修行にと購入した。
昨日、今日と先ずは流し読みをしている。児玉氏の読書歴が披露されている前半では読書の雑食性が分かる。読んだことのある作家、聞いたことのある作家も紹介されているが、ミステリー、サスペンス、アドベンチャーもの奥も深いようだ。

翻訳の辞書に遊ばす木の実独楽(角谷昌子)

膨大な児玉氏の蔵書は同好の諸氏には睡涎の的であろう。
児玉氏は翻訳物と邦文作品のいずれにも書評を書かれているが、私は邦文作品の書評により凄みを感じた(主に143頁以降)。

「日本、そして日本人へ」(エッセイと言われればエッセイなのか)では失われていく美徳に苛立ち、怒っておられる。紳士の見本のような児玉氏の硬骨ぶりも判りました。

児玉氏の息子(北川大祐氏)が巻末でしたためている、「父・児玉清と本 ー あとがきにかえて」に文章の美しさを感じたところです。

人それぞれ書を読んでいる良夜かな(山口青頓)