(巻十)立読抜盗句歌集

鷄頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)
薫風や鯉と流るる町歩き(今瀬剛一)
濡れている花野に靴を汚しけり(柴田芙美子)
やがてまた雪の降り出す雪見酒(小笠原和男)
うつるとも月もおもわずうつすとも水もおもわぬ広沢の池(塚原卜伝後水尾天皇)
あぢさいや涙もろきは母に似て(中西龍)
目刺焼き貧しからざる朝げかな(三宅久美子)
日もすがら繋がれてありし厩出し(高野素十)
穀雨かな世の一隅に安らぎて(松本文子)
山吹や山へと還る家の跡(中村康孝)
生かされて生きてしまつたこの四年桜の花は今年又咲く(川崎康弘)
地下鉄にかすかな峠ありて夏至(正木ゆう子)
片方の言ひ分を聞く炬燵かな(岡田由季)
台風の仕舞ひの風に雨少し(きくちきみえ)
五十八 有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする(大弐三位)
雨粒の窓をはしるや梅雨に入る(辻桃子)
余力なほ残してをりぬ落雲雀(岩崎ゆきひろ)
香しき檜の枡の角に塩のせて味わう一合の酒(兼松正直)
糠雨や尻艶やかに祭馬(西田もとつぐ)
桜貝泣かれて妹に譲りけり(前田一草)
能天気、脳天気とも辞書にあり脳(なづき)かすみて老天気なり(高野公彦)
かげろうのもゆる春日の山桜あるかなきかの風にかをれり(賀茂真淵)
頼り甲斐なくて頼られ冷奴(香山節子)
限りなきそらの要や望の月(最中堂秋耳)
黴臭き煙草死ねよと賜わりし(小原啄葉)
ぶつかつて蝉はジジイといつたきり(西池冬扇)
反戦フォークソングのときすぎて歌わぬ人々足早に行く(ソーラー泰子)
メーデーうたごえ喫茶に昭和かな(佐藤志津江)
名月や畳の上に松の影(宝井其角)
四十のその先見えず青葉闇(中岡毅雄)
あさり殻、八朔の皮重くとも嬉しき春の恵みのゴミ袋(吉田壱朗)
春の灯や女は持たぬのどぼとけ(日野草城)
曲がりまがり朝の町内四千歩のぼりくだりす一筆書きに(相原法則)
すべからく火種は人事鳳仙花(戸恒東人)
松茸や人にとらるる鼻の先(向井去来)
囀りの一羽の自在二羽に失す(林亮)
衣紋竹片側さがる宿酔(川崎展宏)
味噌たれてくる大根の厚みかな(辻桃子)
蚊に困る蚊もまた困るうちわかな(保吉)
贅沢な街より戻り柿を剥く(花谷和子)
老鶯(ろうおう)の隣家まで来て去りにけり(下村靖彦)
猫八が虫を鳴く夜の寄席を出る(永六輔)
秋の野に咲きたる花を指折(およびお)りかき数うれは七種の花(山上憶良)
手も出さず物荷ひ行く冬野哉(小山来山)
一識るに十聞いている走り梅雨(渡辺俊子)
とび下りて弾みやまずよ寒雀(川端茅舎)
若さとも老いとも妻の白上布(しろじょうふ)(草間時彦)
登山靴穿きて歩幅の決まりけり(後藤比奈夫)
紫陽花の午後はさしたる用もなし(山口康子)
秋風に小銭の溜まる峠神(角川春樹)
この先を考えている豆のつる(吉川英治)
青梅の尻うつくしくそろいけり(室生さいせい)
こころ足る日は遠出せず立葵(福永耕二)
葉桜や人に知られぬ昼遊び(永井荷風)
三日月にかならず近き星ひとつ(山口素堂)
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな(中村てい女)
一皿は狐のためのパンの耳(桑原みち子)
あこがれの人も老いたり夏料理(小林紀彦)
九十九里浜に白靴提げて立つ(西東三鬼)
家庭科も音楽もない時間割高二は風に吹かれる季節(松田梨子)
春風や凡夫の墓の御影石(岸本尚毅)
冷蔵庫に冷えてゆく愛のトマトかな(寺山修二)
帝釈天参道に買ふ草の餅(中山喜代)
逃げ足を止めて我を見る蜥蜴かな(渡辺萩風)
明日流す雛と一夜を共にせむ(山崎十生)
からし酢にふるは泪かさくら鯛(西山宗因)
嘘ばかりつく男らとビール飲む(岡本眸)
耳なれぬ小鳥来ている目覚めかな(早崎泰江)
わがひと世かくの如きと諾(うべな)へど未だ香の残る白秋のとき(大橋敏子)
グロウブを頭に乗せて蝉時雨(今井聖)
本流となりて急がぬ春の川(河村正浩)
打首の姿に髪を洗ひけり(柴田佐和子)
文を書く窓に来て去る梅雨の蝶(岡田守生)
成り行きに任す暮らしの返り花(鯨井孝一)
緑とて色とりどりの狭庭かな(桑原たかよし)
妻有らず盗むに似たる椿餠(石田波郷)
草臥て土にとまるや秋の蝶(大島りゅうた)
老衰で死ぬ刺青の牡丹かな(佐藤鬼房)
うららかや文具売場の試し書(大杉文夫)
靴裏に都会は固し啄木忌(秋元不死男)
菜の花や渡しに近き草野球(三好達治)
冬隣裸の柿のをかしさよ(坪内しょうよう)
冷奴つまらぬ賭に勝ちにけり(中村伸郎)
寒月やさて行く末の丁と半(小沢昭一)
電線の密にこの空年の暮(田中裕明)
仏壇に置かれた友のガラケーがバイブで知らすメール着信(小島敦)
初恋や燈籠によする顔と顔(炭太祇)
表裏見られ花烏賊捌かるる(じはい進太)
定刻にバス来てたたむ白日傘(栗城静子)
肩並べギョーザのヒダを作りつつさりげなく訊くききにくいこと(杉山はるみ)
生涯にどれほどの距離かたつむり(増成栗人)
濁れる水の流れつつ澄む(山頭火)
段取りが八分と言ひて渋団扇(能村研三)
世事はみな人にまかせて花と鳥(井上井月)
冷蔵庫明けて思案の夕支度(鈴村寿満)
順番に死ぬわけでなし春二番(山崎聡)
梅雨寒や背中合はせの駅の椅子(村上喜代子)