「いつかみる風景ー益子参考館 ー 又吉直樹 」 (朝日新聞Be 掲載)

「いつかみる風景ー益子参考館  ー  又吉直樹 」 (朝日新聞Be 掲載)


SLに乗って陶芸の里、益子に向かった。
蒸気機関車は週末には走っているらしく線路の脇からは多くの人が汽笛を鳴らす機関車に手を振っていた。僕は自分が手を振られたわけでもないのになぜか恥じらったり、軽く会釈でこたえたりしていた。僕に会釈をされた相手は「別にあなたにしたわけじゃないのよ」とでも言うように慌てて視線をそらしていたので申し訳なく思った。
僕は混雑した車内に立っていたので外の人と眼が合いやすかったのだろう。僕の前に座る青年は片膝を座席にのせ上半身は進行方向にむけて窓枠に肘をつき外の景色を眺めていた。彼は2人分のスペースを使用していたが、「どうしてもこの体勢で景色を見たいのだ」という強い意志が眼に宿っていて、よっぽど疲れた人が他にいなければこうさせてあげたいと思った。彼はそうするために立っているよりも心を疲弊させていたのではないか。
益子駅で降りると、蒸気機関車から吐き出された煙に包まれた。煙からたしかに煙の臭いがするという当然のことに感動した。
駅から車で、「濱田庄司記念 益子参考館」を目指した。
丘になっている広い敷地には萱葺きの母屋をはじめ工房や複数の窯が立っていて、どれも時代を感じさせる。陶芸によって特有の世界を構築した濱田庄司の自宅と工房の一部が美術館となっていて、世界中から蒐集された美術品が濱田庄司の作品とともに展示されている。愛情をもって作られた、あるいは集められた作品は飽きることなく永遠に眺めていられると思った。なにより、後進のために家の一部を開放するという心意気に胸を打たれる。ここは「家」なのだ。それをおもうと、比べるまでもなく自分自身の底の浅さが恥ずかしくなった。
僕は18歳で上京するまで、大阪の文化住宅と呼ばれる小さなアパートに家族5人で暮らしていた。壁が薄く隣人が「ごはんできたよ」と呼ぶ声に返事をしてしまったり、日曜日に隣からレコードが聴こえてくると我が家でもテレビを消して一緒に鑑賞したりしていた。決して誇れるような環境ではなかったが、どんな建物でも家には愛着がわくものだ。僕が上京後に家族が少し離れたところに引っ越してからも、なぜか大阪に帰るたびに元の実家を見に行ってしまう。家の中には入れないから一人外から眺めて感情にひたる。知らない誰かがあの家に住むのは嫌だなと思い、気になって毎回見に行ってしまう。まだ誰も引っ越してきていないことを確認すると安心する。そんなことを何年も続けていた。10年が過ぎても誰も住まない。そして僕は思った。「そろそろ誰か住んでくれ」と。たしかに古くて狭い。駅からもバス停からもかなり遠い。とはいえ、こんなにも借り手が決まらない家に住んでいたのかと愕然とした。家を好きだからこそ、誰にも住まれたくないとも思い、誰か一人くらい気に入ってくれてもいいだろうと思ったのだ。数年後に家は壊され、今は別の建物が立ってい
る。僕にとって家とはそれだけ愛憎が混ざりあった特別なものなのだ。

そんなことを考えると、なおさら「濱田庄司記念  益子参考館」を有り難く感じられた。特に目をひく大皿が展示されていたので説明していただくと、釉(うわぐすり)という陶磁器に光沢を与える溶液を柄杓で皿に流し掛けることで独特の意匠になるそうだ。この模様が絶妙で作為的な意図から脱却した自然を感じさせる作品で強く印象に残った。素人の僕から見ても達人の仕事。訪問客に「この流し掛ける作業が15秒くらいしかかからないのは物足りなくないか?」というようなことを問われた濱田庄司は、「これは15秒プラス60年と見たらどうか」と答えたそうだ。
なるほどと思う。その年月に積み重ねてきた経験が所作としてでる。ある種の無邪気ささえも感じさせる。
なにも考えずに自然に近づくことと、考え続け修行を重ねた末に辿り着く自然とでは佇まいが違う。SLに手を振る人に対して勝手に照れている僕は途上の途上。でも、いつか笑顔で手を振り返す日が来るとも到底おもえない。