「「地理的概念」にご用心 - 米原万里」 文春文庫 ガセネッタ&シモネッタ から

「「地理的概念」にご用心 - 米原万里」 文春文庫 ガセネッタ&シモネッタ から
 
三カ月ほど前のことだが、突如「地理的概念」という言葉に脚光があたった。例の外務省の高野北米局長が、国会での答弁の責任を問われて更迭されたという事件である。閣僚の更迭というと、すぐさま業者との癒着→収賄と連鎖反応する脳内回路ができてしまった頭には、このニュース、なかなか鮮烈であった。それにしてもだ。「地理的概念」なる語句、何度新聞を読み返しても、要領を得ない。
日米防衛協力のための新しいガイドラインをめぐる国会論戦の中で、対象となる「周辺事態」とは、いかなる地理的範囲を指すのかという点が問題になった。そりゃあ当然だ。拡大解釈されて中東まで含まれたらたまったものじゃない。それに対していままでの政府は、次のような答弁を繰り返すばかりであった。
「地理的概念ではなく、事態の性質に着目したもの」
これでは、まるでメビウスの帯だ。ところが、くだんの高野氏は、安保条約での「極東」と新ガイドラインでの「周辺」のあいだに整合性を持たせようとして「踏み込んだ」答え方をした。
<極東ないし、その周辺を概念的に超えることはない>
ちょっと待って。これどういう意味?どこがどう踏み込んでるの?と頭をひねっていたら、新華社が至極明快な訳をつけてくれた。
「日本政府高官が周辺事態に台湾海峡が含まれると表明」
中国外務省スポークスマンは、これを、
「公然たる中国への内政干渉
として、強い怒りを表明した。
それにしても、すごい飛躍だ。わたしも一応通訳業で口を糊しているが、こんな大胆なチョー訳は、とてもできない。
そう言えば、一世紀半も前に、やはり「地理的概念」なる語句を用いて相手を激怒させた政治家がいた。実は彼こそが、この語句を最初に発した人物だと言われている。
時は、十九世紀初頭、新興勢力を背景にのし上がってきたナポレオンの攻勢に、ヨーロッパ列強の君主たちは震え上がった。彼は、そのヨーロッパ旧体制の諸勢力を結集させ、ナポレオンを壊滅させることに成功した辣腕の政治家である。オーストリアの外相、宰相を歴任し、かのウィーン会議の議長をつとめたことで、映画の登場人物にもなり、日本の高校の教科書にも載るような有名人だ。そう、彼の名は、メッテルニヒ
一八四一年八月二日付けで列強首脳に書き送った覚え書きの中でメッテルニヒは、
「イタリアは地理的概念である」
という言い方を「した。そして、その六年後の一八四七年、イタリアの国家としての統一とオーストリア支配からの脱却の機運が日増しに強まってきた頃、メッテルニヒは、再びこの台詞を繰り返したのだった。
「一八四七年夏、イタリア問題についてパリメルストン卿と論争した際に、わたしは次のような言い方をした。『イタリア』という概念は、地理的概念にすぎない、と。"L' Italie est un nom geographique." というわたしの言い方は、パリメルストン卿をひどく怒らせてしまったものだが、言い方そのものは、どうやら市民権を獲得したようだ」
これは、オーストリアの外交官、オステン・プロケシュに宛てた、一八四九年十一月十九日付けの手紙の中で、メッテルニヒ自身が得々と自慢しているくだりだ。
それにしても、なぜ、パリメルストン卿は激怒したのだろうか。
「イタリアは地理的概念である」
ということは、すなわち、
「国家としてのイタリアは存在しない」
ということだからだ。わかりやすく言えば、
オーストリア政府は、イタリア諸州に対する支配権を有する」
と表明しているに等しい。
ひるがえって二十世紀末の極東の島国の外務省北米局長の発言に立ち戻ると、周辺とは極東を指す、てことは、地理的概念ってことを言ったいたわけだ。中国が身構えるのも無理はない。