「大病人 - 伊丹十三」日本世間噺大系新潮文庫から

f:id:nprtheeconomistworld:20211217100236j:plain

 

大病人 - 伊丹十三」日本世間噺大系新潮文庫から 

風邪をひいてしまった。
客のだれかがビールスを持ってきたものとみえる。伜[せがれ]の万作(一歳)がまずやられ、一と足遅れて自分ということになった。
夜中に独り書斎に籠って書き物をしていたらいきなり嚏[くさめ]が出たので、ア、いけないな、と思っているうちに、目の裏側から脳天にかけて、しんしんと痛くなってきた。薬箱をひっくり返してみたが、あいにくと風邪薬が切れている。とりあえず鎮痛剤を服用して書き物を続けていると、今度は寒気がひどくなってきた。
額に手をやってみると驚くほど熱っぽい。顎[あご]の下から首筋にかけてもずいぶん火照[ほて]っている。ぞくぞくしながら書き続けていると、やがて躰中の節節がばらばらになるほど痛み始めたから、自分は遂に書くことを諦め、蒲団と毛布をかぶって床の上に横になった。
横になった時は既に病人であった。
時間の経ちかたが朦朧として、病人特有のそれである。時の流れがゆるやかに歩みを止めて、自分は、その澱[よど]みの中に呆然と熱にうかされている。
自分のような日頃健康なものにとって風邪のひきはじめというものはなにがしか物珍しく甘美なものである。思いっきり世の中に甘えてみたいような、また、それがいかにも当然であるかのような、甘酸っぱい心持ちがする。
何を考えるでもなく、長い長い時間がゆっくりと経過してゆく。しかも少しも退屈しない。
見開いた目に白い紙が眩[まばゆ]い。電燈[でんとう]の黄色い光の中で、物の陰はあくまでも黒く、書物の丸い背の金文字が、懐かしい落ち着いた光を放っている。鼻はとうの昔につまって、口から火のような息が出る。それがまたひどく規則正しい。ふと気がつくと、時計の秒を刻む音がしじまの中に浮かび上がってくる。
夜はしんしんと更けてゆく。
毛布の中には、温もりが、狎[な]れ狎れしい獣の如く足にまつわりついていた。獣を振り払おうとして足を外に出すと、たちまち背筋から脇腹にかけてぞくぞくと皮膚が鳥肌立つ。
頭の中で、透明な鉄道線路や歯車が、下がってはまた上がる。あの正体は一体何なのだろう。眼球の表面の粘液なのだろうか。子供の時から持ち続けている疑問がまた蘇[よみがえ]る。
物が、遠目鏡を逆さに覗いたように小さく見える。蒲団が重い。自分が幼かった時分には、風邪をひくたびに、巨大なローラーや歯車に圧[お]し潰[つぶ]される夢を見たものであった。あの夢は今夜もまたやってくるだろうか。
ああ、考えてみれば、俺は子供の頃から、この肉体を一歩も外へ出ておらぬのだ。-

 

いつしか私はまどろんでいたらしい。
目が覚めると、すでに朝の9時過ぎで、窓の外に雨の音がしていた。風邪は一層ひどくなっていた。特に関節の痛みがひどい。腰骨がぐさぐさに砕けてゆくかのようだ。尿意が頻[しき]りに催すが立つ勇気が出ない。
女房が入ってくる。
「あら、どうしたの?」
「風邪をひいたらしい」
「薬はのんだの?」
「いや、切れているんだ。ちょっと買ってきてくれないかな」
「だって-あとで買い物に行くから、その時でいいでしょう?」
「だめだ、今すぐでなくちゃ」
「いいじゃないの、今、私忙しいんですから」
「だめだめ。風邪薬の効き目というのは一時間経つごとに半分ずつ減ってゆくんだ。今すぐ行ってくれなくちゃ困る」
「しょうがないわねえ。万作のほうがずっと大人よ。あんた、私が風邪ひいたら薬買いに行ってくれる?」
女房は云い捨てて雨の中へ出かけて行った。自分は、女房が風邪をひいたら、果たして薬を買いに行くだろうかと考え始めたが、すぐ面倒になってよしてしまった。

 

やがて女房が薬屋から帰ってきた。髪や袖に雨の雫がついている?
薬をのむ。水が旨い。
また熱っぽい時間が戻ってくる。
目が痛い。頭が痛い。全身が火のように熱い。その熱い躰の中から更に熱い息がふいごのように吹き出す。熱いうえに耐えがたくだるい。いっそ頭も腕も脚も、根元からすっぱり切り捨ててしまえば、さぞやせいせいするだろう。
熱のために思考能力が極端に低下して、子供じみた、幼稚でとりとめのない考えが小止みなく頭の中で廻転する。
今思えばこの頃が病気の頂上であったに違いない。それを反映してか、私は死ぬ時のことを考えていた。とはいっても、こんなに苦しいからもしかすると死ぬんではないかしらんと、そんなことを思ったのでは、まさかない。自分は何で死ぬことになるのかは知らぬが、死ぬ時には楽に死にたいものだと思っただけだ。
死ぬなら楽に死ぬ。苦しむなら癒[なお]る。どっちかにしてもらいたい。苦しんだ上に死ぬなんぞは理屈にあわぬ。とはいうものの、苦しん挙句に死ぬという事態だって勿論ありうるわけで、そんなことになったらさぞや情なかろう。これは何かの間違いではありませんか、などといってみたって誰もとりあってくれるものではありやしない。苦しむか死ぬか、どっちか一つにしてください、両方じゃたまらん、などといってみたところで、ねじこんで行く先があるやかわけじゃない。誰も責任をとってくれる者はおりませぬ。ああ、ああ、いやだいやだ。なんとしてでも死ぬ時は楽に死にたいものだ、などと考えるうち、その考えの切れ目のところで、自分はふと、子供も風邪をひいていたのを思い出した。思い出して愕然とした。自分は、多少熱を出しただけで、今の今まで子供が病気をしているのを思い出しもしなかった。この程度の、病気ともいえぬような病気で、既にしてこうである。
世の中にはよく、家が火事になって子供だけが逃げ遅れ、親の目の前で焼死するというような、いうにいわれぬ悲惨な出来事があるもねだが、自分はかねがねそういう新聞記事を読むたびに、俺だったら、よしんば自分が焼け死ぬと判っていても、闇雲に火の中へ飛びこんでゆくに違いないと考えていた。なんの、なんの、とんでもない。第一、この程度の風邪で、既に子供の病気をケロリと忘れてしまっているのだから、自分の自己認識の甘さも相当なものです。
要するに、自分もまた、人の痛みは永久にでも辛抱できる、という並みの人間の一人なのだろう。結局俺に欠けているのは-熱っぽい頭の中で自分は今度は熾[さか]んに自己批判の狼火[のろし]を上げ始めた-他人の痛みを自分の痛みとして感じる能力だろう。なんとか、他人の痛みを自分の痛みとして感ずることはできないものか。それが無理なら、せめて自分の痛みを他人の痛みの如く、平然と眺めやることくらいはできぬものか。
そう考えつくと自分は、病苦に喘ぐ己れの姿を、できうるかぎり客観的に、突き放してみつめ始めた。
今、頭が痛いのは俺ではないぞ、今、腰がだるいのも俺ではないぞ、熱っぽいのも俺じゃない、苦しんでいるのはただの躰だ、外へ出ろ、外へ出ろ、躰の外へ出てしまえ-

三十分ばかり脂汗を流して念じ続けるうち、頭の中でなにかがカタンと外れて自分は、床の中でもがき苦しんでいる自分の姿を、ありありと空中から見下ろしていた。自分の魂は肉体の外に出て、俯瞰撮影をするカメラマンの如く、苦しんでいる自分を涼しげに見守っている-
あれは一瞬の錯覚かな。しかし、確かに悟りのようなものが閃[ひらめ]いて通りすぎるように思えたのは事実だ。心頭を滅却すれば火もまた涼し。そうなのだ。肉体の辛さなど幻想に過ぎん。しゃんと背筋を伸ばしてすっきりした顔をすれば-ホラどうだ、大したことはないじゃないか。

自分はすっかり大悟した気分で、独り床の中ですがすがしい顔つきになってみせたが、なァに、悟ったのでもなんでもありはしない。さっきのんだ風邪薬が徐徐に効を顕し始めて、症状がやおら快方に向いてきたに過ぎぬ。苦痛が和らいできたからこそ、まず倅の病気のことを思い出し、遂には病苦を悟りによって克服したような気分になったのでしょう。どうも病人というものは、とんでもない馬鹿馬鹿しいことを真面目くさって考えるものですな。
やがて女房が書斎に入ってくると、立ったまま自分を上から覗きこみ、冷い手を額に押し当てると、
「ああ、大丈夫だ、熱が引き始めてる。しゃあ、万作を病院へ連れてってくるからね。タオルここへ置いとくわよ、汗かいたら自分で拭いて下さい」
そう云い捨てて、自分の枕を蹴立[けた]てるようにして出て行った。