(巻三十四) 春愁や水に投げたるものの音(前田忍)

(巻三十四) 春愁や水に投げたるものの音(前田忍)

8月29日月曜日

自分用の納豆、ヨーグルト、牛乳を買いに生協に行く。生協の前に郵便局に寄り会社への封筒を出したのだが、20円不足とのことで追加する。郵便局から生協への途中で都住3を通り抜けるとサンちゃんが藤棚の下にいた。声をかけると石垣まで出てきてくれた。腹が空いているわけでもなく、こちらの挨拶に丁寧に応えてくれたようで嬉しくなる。

生協では自分用のもの他に防災用品としてのビスケットや缶詰も少々買った。

昼寝して散歩。今週は雨の日が多そうなので今日たくさん歩くことにして、中川の土手をアリオまで歩いた。

先ず亀二郵便局、そこから亀青小学校、環七を渡って、土手へと歩を進めた。環七を渡り土手への路地を歩いていたら白黒の猫に遇った。声をかけると立ち止まり逃げるふうでもないのでスナックをあげたら初見にもかかわらずかなり足元まで寄ってきた。

アリオでは、安い旨いと顔本の一部の方が絶賛しているサイゼリアに入ってみた。注文の仕方を知らなかったが、テーブル備え付けの伝票に自分で記入しておくらしい。それなら、早くタブレットを入れなさいよ。「イタリア風煮込み」と「白のデカンタ」を頼んだ。煮込み350円は旨い。モツ吟の煮込みより旨い。味噌味ではないが、食感など煮込みである。デカンタは250mlで200円。ちょい飲みには十分だ。冷してあるので美味しく飲めてしまう。550円お支払して退去。癖になりそうだ。ファミマで焼きうどんで酎ハイ飲むのより安い!

帰り道に都住3で食い気のフジちゃんに挨拶。1号棟にクロがいたが、食後らしく側には来ない。クロとの関係はまだ食い物だ。

そこから都住2へ回り、階段下にいた花子に遊んでもうらう。側に来たので抱き上げて膝の上で撫でて摩ってあげる。顎から喉のあたりを掻いてくれと意思表示するのでお応えいたした。

そんなところへ友達婆さんがパトロン婆さんのところから降りてきた。パトロン婆さんはまだ体が自由にならないので猫を部屋に入れられないとのことだ。そんな話をしているうちに、写真の立派な梨をひょいとくれた。もらっても困るのだが、断りも出来ず頂いた。

猫や猫婆さんたちと仲良くしているなど、細君の最も嫌がることなのでこれは秘密だ。散歩に出掛けては一杯やっているのも秘密だ。他にも秘密は作りたいが金も体力も無い。

後ろ手に閉める障子の秘密めく(塩見成子)

願い事-コロリと片付けてください。風太郎氏は59日間救命センターにいたとのことですが、そんなの私は嫌だ嫌だ。よい死に運をください。

The first known cat with a name was an Egyptian cat named Nedjem meaning ‘Sweetie’ and lived 3,500 years ago during the reign of Thutmose III.

と顔本に出ていた。

〈今年の六月六日未明、山田は救急車で近くの日本医大救急救命センターに運ばれます。パーキンソンによる筋肉の萎縮で気管と食道の間の弁が閉じなくなってしまった結果、のどにものが詰まり、呼吸困難に陥った。

前夜は、お豆腐やお魚の細かくむしったものを私がスプーンで口まで運んで食べさせ、ビールとお酒も、それぞれコップに半分ずつぐらい飲むことができました。でも結局、それが「最後の晩飯」になってしまったんです。

以降救命センターでの五十九日間は、のどを切開して人工呼吸器をつけ、チューブで栄養剤を注入する状態でした。血管が細くなっているので、点滴の場所も毎日変えなければいけない。体重はついに四十キロを割りました。

唯一の救いは、本人の意識は最期まではっきりしていて、表情も穏やかだったことです。亡くなる一週間ぐらい前から、お医者さんには「いつ急変してもおかしくないので、覚悟はなさって下さい」と言われていました。

「もしもの時は、心肺蘇生のマッサージをしますか?」と聞かれましたが、これ以上無理な延命をするのはかえって可哀想だと思い、「いや、結構です」とお断りしたんです。

七月二十八日。午後四時の面会時間が終わり、「夜七時にもう一度来るからね」と呼びかけると、主人はゆっくりと目だけを上下させて頷きました。

容態か急変したとの報せを受けたのは、それからわずか一時間後。再び病室に駆けつけると、モニターが示す血圧がみるみるうちに下がっていき、やがて平らになった。苦しむ様子もなく、本当に眠るような死でした。〉