(巻三十五)日盛や窓拭く人の命綱(斎藤マキ子)

(巻三十五)日盛や窓拭く人の命綱(斎藤マキ子)

11月15日火曜日

時雨というのだろうか、起きるとしとしと雨が降っている。昨日より気温は5度ほと下がるとのことだが、今のところ体感では違いを感じない。

世中に老の来る日や初しぐれ(許六)

昨日、顔本友達のインド人で詩人・俳人のダスさんの友達らしいブルガリア女性から申し出があり、友達になった。すべてブルガリア語らしい言葉で表示されているので御名前さえ分からないが、顔写真で若い怪しげな女性ではないことは想像できた。その方が早速私の最近の投稿に“いいね”を入れてくれた。

朝家事は、こんな天気なのに、洗濯だ。加えて拭き掃除。

昼飯喰って、一息ついて、外を見たが、雨止まず。で、散歩には出かけず。

夜となり、さっさと9時前に布団にもぐり込んだ。眠るつもりはないが湯冷めもしたくない。10時からの鉄ちゃん番組までガマンできればよい。(ガマンできず。5時50分までの中断なしの久しぶりの長時間睡眠)

願い事-涅槃寂滅です。無苦無痛で無にしてください。

南無南無と他力本願生身魂(谷下一玄)

今週に入り『怠惰の美徳-梅崎春生(中公文庫)』に収められている随筆の中から『二塁の曲り角で』という作品を読んでいる。発病と死の予兆、怖れの吐露した作品だ。直木賞作家だが、私は全く知らない作家だったのでネットで調べたら1915年生まれで1965年に死去されている。この作品は1959年に書かれたようだ。

《朝八時頃、私が犬飯をつくって、犬小屋に廻ると、エスは小屋の中にいず、小屋の前の地べたに横になっていた。犬小屋の内には藁が敷いてある。こんなに寒いのに、藁に寝ず、何故つめたい地べたに寝ているのか。三米ぐらい離れたところから、そう思いながら、私はしばらく観察した。三米以内に近付かなかったのは、なんだか妙に動悸がして、気味が悪かったからである。

そのまま三分間ばかり観察して、私は犬飯を持ち、台所に戻って来た。犬飯を塵芥[じんかい]入れに捨て、うちのものに言った。

エスが死んだらしいよ」

うちのものたちは直ぐにどやどやと飛び出して、やがてぞろぞろと戻って来た。やはり死んでいたのである。

そこで、庭にうめなくちゃとか、死骸をあそこに置き放しじゃ困るからどこかに移さなくてはとか、わいわい言っていたが、図体の大きな犬だから、女子供の手に負えない。私にそれをやれ、と言い出して来た。私はことわった。

「死骸というやつは、気味が悪いからイヤだ」

「だってこの前、カロが死んだ時、自分で埋めたじゃないの。犬の死骸も、猫の死骸も、死骸という点では同じよ」

カロというのは、三年前に死んだうちの猫の名だ。

そうだ。死骸という点で同じであることは、私も知っている。しかし死骸に対する私が、三年前と今とでは違っている。

三年前、カロの臨終を私は眺めていた。カロは柳行李のぼろの中で、最後の痙攣をして、そのまま動かなくなった。(このカロのことについても、私はずいぶん原稿料を稼いだ。)カロの身体からその瞬間、生命が去って行った、という実感がその時私に来た。つまり動かなくなったそこにあるものは、カロ、マイナス生命、という具合に感じられた。だからそれは不気味ではなかったのだ。私は庭の隅に、カロを埋葬し、石を積んでやった。

昨年末のエスの場合は、そうでなかった。三米の距離から見たエスは、エスの身体から生命が引揚げたのではなく、エスの身体に死というものが、忌わしい死が到来した、という感じが強くあった。私が気味が悪かったのは、そのやって来た死であった。生命が去ったって、死がやって来たって、現象としては同じようなものだが、実感する側からすると、ちょっと違う。彼は快活な人間だというのと、彼はおっちょこちょいだというのとぐらいには違う。》

という一節がある。この作者の受け止め方に倣えば今は死を生命の去ることだと捉えている。死が現実のこととなったら怯えるのだろう。