「上ずみの酒 立野信之」 中公文庫 “私の酒” から

馬鹿の一つおぼえ ー という言葉がある。
わたしは生来愚鈍なせいか、ややその傾向があって、飲屋とか、料理屋とか、宿屋とか、行き出すとその家にばかり行く。だから、わたしの馴染の家は、そう方々にはない。その代り馴染んだ歳月だけは、古くなってしまう。
飲屋で一番古い馴染は、新宿の樽平である。いまの駅前の食堂横丁ではなく、三丁目の東海横丁にあった時分で、昭和三、四年頃 ー 主人の井上勇二君がまだ二十三、四の美青年だった頃からだから、もうかれこれ三十年の馴染である。井上君はいまは歳をとって、片耳がつんぼになり、いやに腹がせり出して、いかにも飲屋のオヤジらしくなったが、その頃は町で出会うとバリッとした洋服をきて、ライカなどを手にしたモダーンな青年であった。
樽平でのませる酒は、「住吉」と「樽平」 ー 山形県小松の井上酒造場からの直送で、東京ではあまり市販されていない。
「住吉」が辛口で、「樽平」が甘口である。
その頃、わたしは中央沿線に住んでいたりした関係で、ほとんど毎晩樽平に座っていた。当時、石川達三だったか、誰だったか、「立野に用事がある時は樽平に行った方がよい」とゴシップされたほどだから、人眼についたことと思われる。
その頃、辛口の「住吉」は二十銭で、甘口の「樽平」は二十二銭であった。それでツキ出しが四、五品ついて、正一合入りの錫のチロリで飲ませるのだから、下手に家で飲むよりも安かった。それにこの家の方針として、洗い場の女中さん以外は女ッ気がないので、酒とじかに向き合っていられるのが、気楽であった。
当時は「住吉」と「樽平」の菰被りがでんと二つならんでいて、いちいち樽から酒をドクドク出しては、お燗をしたものである。このごろは瓶詰ばかりで、酒樽が店にないのは、風情がないばかりか、酒そのものも旨さに欠ける。
その頃、わたしは辛口の「住吉」ばかり飲んでいた。たまに気まぐれを起して、「平をくれ」というと、井上君は手をふって飲ませなかった。毎晩同じ家で同じ銘柄の酒をのんでいると、最初の一口で、それが上澄みか、中頃か、下部かがわかる。もちろん、うわずみがいいにきまっている。
その頃東銀座一丁目に岡崎という、芳町の芸者あがりの中婆さんが一人でぼそぼそやっている飲屋があったが、ここでは菊正をのませた。お燗にやかましい婆さんで、お客がさいそくすると、腹を立てて、どなり返すような人だった。
菊正は、もちろん当時のことだから樽詰であるが、樽平ほどははやらないから、一樽あけるのに、何日もかかる。だが、新規の樽をすえると婆さんは眼を細めて、わたしに言ったものだ。
「あさって、樽の口開けをしますからね。来て下さいましよ」
それほどうわずみの酒は、旨いものだ。
近来、それが味わえなくなり、飲屋の酒がすべて規格品の瓶詰になってしまったのは、嘆かわしい。昔は菊正にしろ、白雪にしろ、日本盛にしろ、それぞれの風格と味をもっていた。その酒が何であるかは、口にふくめば、ほぼ判定ができたものだ。だがいまは、アルコールを入れて規格品をつくって出すので何を飲んでも同じである。醸造元でのめば違うだろうが、市販の瓶詰では、同じようなものである。
先日、それを樽平の井上君に話したら、
「うちね樽平にはアルコールは一滴も入っていませんよ」
と力説した。
昔は手を振って飲ませなかったのを、いまではかえってそちらの方をすすめる。
わたしも近頃歳のせいか、樽平では辛口より甘口の方がよくなった。但し樽詰の酒の風味が味わえないのが、玉に疵である。
近頃、銀座に菊正の樽詰をのませる店が、復活した。人に案内されて行ったが、いろいろ料理がでかるので、つい料理をたべて、酒の味を殺してしまう。酒に料理は附きものであるが、油で揚げたものや、濃い味つけのものは、どうも酒の風味を損ねるようである。やはり日本酒には、湯どうふや冷やっこなどの淡白なものが、一番いいようである。