「偶然 ー 里見弴」朝夕 感想・随筆集 講談社文芸文庫 から

 

「偶然 ー 里見弴」朝夕 感想・随筆集 講談社文芸文庫 から

仏者いうところの「生者必滅」「老少不常」の理[ことわり]で、人間に限らず、あらゆる生物は、いつどこでどうして命を落とすか、とにかくおそかれ早かれこの世から姿を消して行くことに間違はない。もっと大きく、初めのあった宇宙がやがての終りが来ることも、天地自然の理だが、そんなことは、今後何億世紀を経てからの人類にとっても、果たして気になるかどうか。われら凡夫の実感には、もっとずっと手近の、生死の理[ことわり]さえ、常住坐臥の間、聊かも頭痛の種とはならず、俗にいうノホホンであるし、またそれを「知らぬが仏」とみずから良[よし]ともしている。「大悟」とか「諦観」とか呼ばれるとことんの境地まで考えを極めようとする人なら格別、いくら気にしたところでなんの役にも立たない鼻元思案が亢じて、ノイローゼにかかるよりはよっぽどましな「お先真暗」と言えよう。これとて、知慧以前のもの、あらゆる生物に与えられている本能のしからしむるところだから、あながち是非善悪をもってうんぬんすべきではないが。
低俗な常識でも一応わかってはいるし、同時にまた更に気にかからない生死の一大事について、凡夫われら如きがとやこうあげつらってみたところではじまらない。が、事実はいつも厳然としてそこにあるのだ。
血縁、姻戚、愛人、親友の大半に先立たれても当然のことと諦めるよりほかない年ごろまで、いつか私は生き延びて来た。その半面、私一個の身近だけにも、子、孫、甥、姪といった新しい生命が生じ、それぞれの個性をもって伸び育ちつつある。出生を悦び、逝去を悲しむ感情も、度かさなるにつれて、次第に鈍磨して来た。若い頃のように、それらとまともに対峙するだけの根気がなくなった。といえば老耄に類するが、幾多の場面に遭遇して来た揚句の沈着[おちつき]とも考えられないことはなかろう。問題が残るとしても、多かれ少かれ個人差に過ぎまい。
短命に終るか、長寿を保つかは、生前死後に亙っての原因結果、謂うところの「因果応報」を説く宗教家には気に食わない考え方だろうけれど、私には単なる偶然としか思われない。鉄道事故で数百人死亡したとして、その遺族たちは「前世の約束ごと」とか、「神のお召しにあずかった」とか、その他等々教理を説かれたところで、果して慰められ、諦めがつくだろうか。私ならきっと腹を立てるに違いない。同時に、危うく一命をとりとめた人々にも、その偶然を祝う気持を送るだけだ。

いつの間にか、宗教を目の仇にしたような語調を帯びてしまったが、そこが、卑下でも謙遜でもなく、みずから「凡夫」と信じるが故で、「盲目蛇におじず」の放言を敢てするわく。一生かかっても近よりようのない高い峰々は、ひとり宗教に限らず、科学、哲学、芸術、あらゆる人智の行く手はるかに眺めやられて、時には畏怖の念さえ抱くほどだ。ただ、あまりのなんにもわからなさ故に、自暴自棄に陥ってしまわないだけの自惚根性を与えてくれた両親なり先祖なりに対して感謝すると同時に、図らずも自惚の延長線上に自信の如きものへ、永年かかってどうやらこうやら匍い寄ってきたわが身を顧て、密[ひそか]なる悦びを感じる、というまでの話。二十歳[はたち]台から三十歳台にかけての永い年月は、全身創痍[そうい]で、浄瑠璃の文句ではないが、「刀を杖によろばいよろばい」 にじりよることの出来たのが、私の生涯での幸運と言えば言えよう。ここで「幸運」としたのは、あながち自卑の言い廻しではない。浅墓な自殺の企てや、イヒチョールの塗布以外に療法のなかった頃の丹毒や、無鉄砲な帆走[セーリング]での遭難や、重症のチフスや、その他大小の、死んでも文句のいえないような機会に出会っているのだから、今日の私なる男の生存を、嘘にも仮にも「自戒や努力の甲斐」とか、「神仏の加護」とか、そんな風には吹聴いたしかねる。もっとも、「運」というものの正体について、それからそれへと深追いしだしたら際限がないので、一応ここらで打ち切りにするが。
さてそこで、幸運にも私は、この歳まで生き延びて来た。「命長ければ恥多し」の古語さえあるくらいで、長寿それ自身に、格別誇るに足るべきものがあるとは思わないが、何事によらず、少いよりは多い、ちいさいよりは大きい、短いよりは長い方を希[ねが]い、悦ぶという、ごく普通の欲張り根性ですらりと出る答えに従って置いたらいいのではないか。あれこれと、こちたき詮索をするにも及ぶまい。
若くして、惜しまれながら逝くのも偶然、「へーえ、まだ生きていたのかね」と呆れられるくらい、はたから無視されながら、いつまでも生き延びるのも偶然。「人間だけに与えられている自由」と讚美する者のある自殺にしても、社会情勢とか、人事関係とか、遺伝の法則とか、健康状態とか、更に時候の加減とか、もろもろの条件が完備した暁でなければ、そうやたらに決行できる筈はなく、個人の自意識の下[もと]に、そういうもろもろな条件を集結するなど、不可能事と断じて間違あるまい。そこには必ずや偶然が大きく働いているのだから、自殺のみを敢えて例外に置く必要はなかろうと思う。
生死の大事を「偶然」の一語に尽そうとすることが、或る種の人々から、無智、独断、横暴、等々の謗[そし]りを招くこと明かだが、喜んでそれは甘受しよう。蚊に刺されたから痒い、のと同様、性行為なくして子が生れない、そういうただ目前の因と果となら、どなたも先刻御承知だ。が、それ以前に、そしてそれの前後左右に、数限りもなく纏緜[てんめん]するところの偶然に対しては、ただ神秘の感に撃れるばかり、私の智慧の限界がそこにある、と言い換えてもよかろう。
(昭和三十九年七月十一日「読売新聞」)