(巻十三)雀子や走りなれたる鬼瓦(内藤鳴雪)

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1月13日金曜日

夕方コーラクで相撲を見た。

初場所やあと三場所の土俵かな(潤)

続くニュースにご関心のある方はいないとぞんじますが、以下の句に関連するニュースに我輩は注目いたした。

街路樹の影黙々と保税地区(榎島砂丘)

保税地区に関して業界紙関税法の違反事件の処分を報じた。

http://www.daily-cargo.com/new/news/110545/

国際貨物の、昔風にいえば廻船問屋の大店のうちの老舗の一つが税関からお咎めを受けたというので、ちょっと驚いた。

夕東風や海の船いる隅田川(水原秋桜子)

抜け荷に手を染めたようではないが、偽書をしたため運上所に差し出したのだから、“しゃばけー長崎屋”の頃であれば死罪・獄門に処せられる大罪だとネットが教えてくれた。
偽物と言うとこの句が身に染みる。

にせものときまりし壺の夜長かな(木下夕爾)

昨日は細君が眼科に出掛け、弁当にしろとのご指示を頂いた。となるとどうしても神田コーラクに立ち寄ってしまう。年頭決意の通り、煮込み(写真)と二杯で終わらせたが、一度行き出すと酒癖がついてしまう。まして金曜日である、今晩も足が向いてしまった。

コップ酒飲み干す時のしばらくを逆さのままに宙に留むる(伊倉邦人)

随筆集「私の酒」から筆写しているが、今は幸田文の“酔う”をコチコチとガラパゴス携帯に打っている。全文は後日ご紹介であるが、冒頭の“酔う”ということと“酔っぱらう”いうことの違いについての一節は警鐘として先行ご披露させていただく。

“おさけが大好きで、晩酌を欠かさない父親をもったせいか、私は小さいときから酔うというのと、酔っ払うというのとは違うと承知していました。酔うというのは機嫌がよくなって喜んでいることで、酔っ払うというのは愚劣な人に下落変化すること、というように思っていました。ですから酔うのはよくて、酔っ払った人には軽蔑を感じていたのです。酔うと酔っ払うとにそんな区別をしているのですが、一人の同じ人が酔ううちにたちまち酔っ払いに下落変化してしまうのは、まことにずるずるべったりで、納得の行かない気に入らないことでした。いちばんいやなのは、酔うだけのはずの父親が、まま酔っ払いに下落するときでした。よその酔っ払いは軽蔑しますけれど、父親が酔っ払えばかなしうございました。”

焼酎のただただ憎し父酔へば(菖蒲あや)