「葱と大根 ー 鈴木昶」『身近な「くすり」歳時記』から

 


「葱と大根 ー 鈴木昶」『身近な「くすり」歳時記』から


葱と大根

〈貧よりも寒さがつらし根深汁〉(都穂)といい〈生涯の居を得て熱き根深汁〉(浅芳)という。寒い朝の食事に一汁を選ぶなら、やはり根深汁に限る。冷えた体を芯から温めてくれるからだ。葱は霜をかぶるほどの時季から旨くなる。熱い味噌汁を吹きながら半煮えの葱を味わうのは、冬ならではの風味であろう。
汁が葱なら漬物は大根だ。しばらく外国に住んでいたわたしの友人は、無性に食べたくなるのが沢庵漬だと吐露している。なるほど脂っこい食事をして家に帰ったときなど、熱いお茶で沢庵をかじるとホッとするから、さもありなんと思う。葱も大根もしみじみと日本人であることを感じさせる食材だ。のみならず、薬効の面からも見逃せない存在なのである。

邪や喉に悪の湿布

師走に入ったころ、いつも群馬の下仁田から葱を送ってくれる人がいた。わたしの著作に深谷葱と矢切葱しか書いていないことを知り、下仁田葱を忘れてはいないかと告げてくれた人である。この葱は殿様葱ともいわれ、太くて特有の甘味があるのが特徴。すき焼きになど用いると格別の風味がある。改めて絶品と宣伝しておこう。
ネギは中国西部の原産といわれ、『日本書紀』にも出てくるほど古くから栽培されたユリ科多年草。葱には白い部分を食べる根深葱と葉の部分を食べる葉葱があり、関東では根深葱を、関西では葉葱が好まれる。白い部分は淡色野菜で緑の部分は黄緑色野菜に属するから、栄養成分もかなり異なるわけ。根元が膨らんでいるのはタマネギで、葱とは同属異種の植物だ。
晩春から初夏にかけて葱は頭頂部に白い花をつける。その花序が愛らしく葱坊主と呼ばれるもの。(振ぼうず畠の隅でおどけてる)(蔦子)と詠まれたり、童謡に歌われたりしてなかなか愛嬌のある花だ。しかし〈豪雪の底から葱の青を掘る〉(涼髪)とあるように、葱は大根、、人参とともに冬菜に入る。
生の葱特有の刺激臭と辛味は硫化アリルの一種アリシンによるもので、大蒜や玉葱と同じように胃液の分泌を促し食欲増進の働きを示す。葱を薬味に使うのはその意味でも合理的。また硫化アリルはビタミンの吸収を高め、血中濃度を持続してくれるので、疲労回復や精神の安定にも役立つ。
さらに硫化アリルには血行をよくして発汗を促す作用もあるので、古くから風邪の民間薬に利用されてきた。葱の白い部分一本と生姜一片を細かく刻み、味噌を小さじ一杯加えて熱湯を注ぎ、かき混ぜて飲むと風邪のひきはじめに効果的。喉の痛みには白い部分を五センチほどに切り、縦に二つ割りしたものを熱湯に浸し、しんなりしたら喉に貼ればよい。
悪寒はしないが頭痛があるとき、葱の白い部分一本と生姜一片を刻んで〇・五リットルほどの水を入れ、弱火で半量に煎じたものを飲むと即効がある。肩凝りは葱を常食するだけでも緩和するという。ビタミンB1の吸収をよくして体内のエネルギー代謝が活発になるから、血行がよくなり筋肉もほぐれる道理だ。
慢性鼻カタルには葱の粥に酢をかけて食べるとよいという民間療法もある。 分にはβカロテン、B1、Cなどのビタミンやミネラルが多い。捨ててしまわずに味噌汁に 、納豆や麺類に薬味として用いるなど、もっと利用方法を工夫してみよう。硫化アリルは加熱で効果が半減するから火を止める直前に入れること。
ちなみに葱は大蒜などと同じ「五葷[ごくん]」の一つに数えられている。漢方では意の種子を「葱実[そうじつ]といい、「神農本草経」にも載っている古い薬。発汗解熱剤として用いてきた。玉葱にも同じ効能があり、ヨーロッパの家庭ではアスピリンが発明される以前、重宝な解熱鎮痛剤として汎用されたという。洋の東西を問わず葱類は家庭薬としても利用されてきたのである。

大根は天然の消化薬

庶民的な食材という意味では大根も葱に負けてはいない。おでん、ふろふき、なます、和え物、汁物と、大根は味が淡白だからどんな調理法とも相性がいいのだ。だから台所の主みたいな根菜である。最もポピュラーな漬物も沢庵と梅干であろう。食感もいい。〈畑大根皆肩出して月浴びぬ)(茅舎)は収穫前の大根畑。凍てつく月夜に大根の肩が生々しい。
古川柳に〈花の雨ねりまのあとに干大根〉とある。花見でにわか雨に遭い、雨宿りの場所を求めて走る女たち。からげた裾から練馬大根のように白いのが出たり、しなびた脚が出たりという光景だ。(大根のすだれ初冬の軒を埋め〉(きよし)は、沢庵漬用の大根を縄でつないで軒先に吊した図。沢庵漬は米糠と塩の加減、重石によって味が決まるという。
ともかくダイコンはパレスチナ原産でアブラナ科の越年生草本草本。日本へは奈良時代に中国から伝わったとか。「春の七草」のスズシロは大根のこと。精白の意味で女性の肌の美しさを表している。葉には深い切り込みがあり、長大な白い多肉根が特徴だ。春に白か薄紫の十字の花を総状につける。種類は多く形も多様だが、練馬大根、宮重大根など産地を冠した品種が有名。
もともと冷涼な気候を好む作物だが品種改良が進んで気温適応性が広がった。「天然の消化剤」といわれるように、白い部分には炭水化物の消化を助けるジアスターゼ、デンプンを分解するアミラーゼ、タンパク分解酵素のステアーゼをはじめとして、いろんな酵素類やビタミンCを多量に含んでいる。
辛味成分は配糖体のシニグリンが分解されてイソ硫化シアンアリルが生成したからで、胃液の分泌を促し消化をよくしたり整腸の働きを示す。民間療法でよく大根おろしが使われるのもそのせいであろう。朝夕二回、○・二~○・四リットルを食後すぐ飲むと消化剤になる。食欲がないときは食前に飲むとよい。二日酔いにも効く。
焼き魚に大根おろしを添えるのも理に適ったことだ。焦げ魚の発ガン物質ベンツピレンを大根に含まれるオキシダーゼが分解してくれるから、胃ガンの予防に役立つ。さらに食物繊維のリグニンがガン細胞の発生を抑制することもわかっている。なるべく葉の部分を食べるとビタミン、カルシウム、鉄、マグネシウムも摂取できて、風邪や気管支炎にも効く。
漢方では秋から冬にかけて種子を採取し、日干しにした生薬を「莱◎[ふく]子」といい、胆汁の分泌を促したり痰切りなどに用いてきた。民間薬としては大根おろし汁に生姜を少し加え、お湯を注いで飲むと風邪に効く。歯茎の腫れには直接搾り汁を塗ると炎症が軽くなる。 打ち身には大根おろしで冷湿布し、腫れが引いてから生姜のおろし汁を加えて温湿布に切り替えるとよい
大根は晩秋に掘り出したものが最も旨い。淡味で甘味もあり、生食、切り干し、塩漬け、 味噌漬けなど広く利用できる。三杯酢や木の実味噌に加えたり、油揚げと煮たものは酒とも合う。寒い夜は風呂吹もいい。熱く煮た厚めの大根に摺った胡麻や橙の搾り汁をかけて、 ふうふう吹きながら食べる。〈風呂吹や妻の髪にもしろきもの) (烏頭子)――これは真冬のご馳走だ。

欠かせない庶民の味

悪も大根も冬が旬の野菜である。体を温めてくれるのがいい。四季を通して食卓に上るようになったが、栄養の不足しがちな冬場はとくにこの庶民的な野菜を大事にしたいと思う。〈脇役を生涯悔いぬ葱の色)(凡柳)と、主役にはなれないが、こんな名優はめったにいない。そして「大根役者」ともいう。当たる(中毒)ためしがないからだとか。なのに〈本当を云えば沢庵だけうまし〉 (万楽)とうたう句もある。
同じ材料でも微妙な味の変化を楽しめる大根料理。薬味としては絶妙な葱の効用。だから葱と大根は庶民の味覚に馴染み、日本料理には欠かせない食材なのである。と同時に、これほど民間療法に利用されるものも少ない。風邪から胃腸病まで、わたしたちの先人は葱や大根を用いていろんな手当ての方法を考えてくれたのだ。
〈葱刻むリズム狂いもなく平和〉(五木)―――この平凡な幸せを大事にしたい。

 


「葱と大根 ー 鈴木昶」『身近な「くすり」歳時記』から