「禅語選抜(仮題) ー 枡野俊明」気にしないコツ、感情に振りまわされないー禅の教え42 から
放下着[ほうげじゃく]
何もかも放り捨ててしまえ。我欲、執着、分別・・・・といったことはもちろん、自分が悟っていると考える思考すら放り捨てよ。
平常心是道[びようじようしんこれどう]
極める先に道があるのではない。日常の暮らしそのものが道である。修行の末に悟りに至るのではない。平常の心こそ悟りなのだ。それに気づくことが何より大切である。
喫茶去[きっさこ]
「お茶でもおあがり」がそのままの意で、心理は遠くにあるのではない。日常の振る舞いや一杯のお茶を無心で飲むその姿にこそ、真理が宿っている。
知足[ちそく]
足るを知る。現在の自分に備わってお金やもの、地位や肩書き、人間関係・・・などを、「もう、これで足りている、十分だ」と捉えること。
無念無想[ むねんむそう]
自分の心を縛っているさまざまなものから離れなさい。すると、心は清々しくなり、ゆとりも生まれる。
本来無一物[ほんらいむいちもつ]
人は何一つ持たず、何の執着もない裸で生まれてくる。財産も地位もその後たまたま手に入れたものにすぎない。失ったとしても、本来の姿に戻っただけである。
夏炉冬扇[かろとうせん]
この世に無用なものなどない。今、必要ないと思われるものでも、必ず役に立つときがやってくる。時機を読むことが大切である。
前後際断[ぜんごさいだん]
過去、現在、未来・・・と時間はつながっているが、大切なのは現在、その瞬間である。過去(前)を引きずることなく、未来(後)を慮[おもんばか]ることなく、今を生き切ればいい。
安閑無事[あんかんぶじ]
安らかな心、穏やかな心で、静かに暮らす日々。そんな日常にこそ幸せがある。そのことに気づき、感謝する。
一行三昧[いちぎょうざんまい]
常にそのことに、ひたすら心を注いで取り組む。余計な考えにとらわれることなく、感情や思いを味わう。まっすぐ一つのことをやる。
人間到処有青山[じんかんいたるところせいざんあり]
青山とはお墓のこと。青山は至るところにある。自分が一生懸命生きたら、そこが青山(骨を埋めるべき地)である。
行住坐臥[ぎようじゆうざが]
「行住坐臥」とは「行く」「止まる」「座る」「横になる」の四つの動作のこと。日常のあらゆる立ち居振る舞いを意味する。禅では、そのすべてが修行である。