「放送(物語放送のコツ) ー 徳川夢声」話術・徳川夢声 新潮文庫 から

 


「放送(物語放送のコツ) ー 徳川夢声」話術・徳川夢声 新潮文庫 から

まず、台本について申上げる。
放送局から渡される台本に、二通りある。そのままに読めばよろしい台本と、自分で工夫して手を入れねばならぬ台本とである。後者は、厳密にいうと台本というより、 種本なわけだが、これがなかなかに多い。早い話が「宮本武蔵」「姿三四郎」「アラビアン・ナイト」「風と共に去りぬ」「ジキルとハイド」など、皆、その方なのである。
そのままに読めばよろしい方は、誠に手数が掛からなくて結構でもあるが、その代り、台本そのものが愚作劣作である場合は、いくら馬力をかけても放送栄えがしないから困る。聴取者の大多数は、作者など問題にせず、放送が面白くなければ、もっぱら語り手の責任にしたがる。酷[ひど]い話は、作者までが、評判がよくない場合は、語り手がまずかったからだと仰言る。この反対に、 この反対に、素晴しい台本を与えられた場合は、どちらかというと放送も楽にできて、好評を得られる――しかし前述の如く聴取者の大多数は作者を問題にしないのだから、語り手は自分の話術以上の収穫にありつくわけだ。
自分で工夫して、いろいろ手を入れる方は、厄介といえば厄介だが、私はむしろ、この方を歓迎する。原作は、もちろん尊重しなければならないが、もともと放送ということを念頭において書かれたものでないからそれを放送用に造りかえる、ということは、私の自由であるはずだ。つまり眼で読む文章を、耳で聞く文章にかえるのである。
たとえば吉川英治氏の「宮本武蔵」で、
「思い出した――この辺の浦々や島は、天暦の昔、九郎判官殿や、平知盛剰などの戦の跡だの」
と、武蔵が船頭と語る件がある。眼で読めばこの「思い出した」がオカしくない。しかし私はこの「思い出した」を「ふーむ」にかえる。「ふーむ」という声の響きに、 思い出した感じを含ませる。聞いていて、その方が自然なのである。
ー 舷[ふなべり]から真っ蒼な海水の流紋に・・・。
この「流紋」を私は、ただの「流れ」にかえる。眼で眺めれば「流紋」とは面白い文字であるが、これを耳で「リューモン」と聞いたとき、おそらくわかる人は幾人もあるまい。
――「武蔵か」巌流から呼びかけた。彼は、先を越して、水際に立ちはだかった。 これを私は次のように替える。
―「武蔵か」巌流は先を越して、水際に立ちはだかった。
なぜかというと「武蔵かッ」という呼びかけは、声で表わせるのだから、呼びかけたという説明の言葉は要らないからである。
次に、放送台本の宿命は、時間に制限があるということ――以前はたいてい四十分だったが、この頃は、絶対に三十分である。
時計を脇に置いて、放送のときと同じ意気で読んでみる。三十分の時間があると、 前後のアナウンスに一分あるいは二分を提供して、物語の正味は二十八分から二十九分である。そこで、読み終って時計を見て、二十五分掛かっていたら、丁度適当なくらいである。本放送となると、さらに意気が加わってくるから、三分ぐらい余裕を見ておく方がよろしい。
一回の物語中に、必ずクライマックスが必要なこと、言うまでもない。しかしそのクライマックスを、三十分のどの辺におくか、ということが問題である。場合により、 そのクライマックス(最高調点)の如きものが二カ所にあることもある。原則として、 最高調点は、終りの方に持って行く。連続物のときなど、最高調の頂点でピタリと切ることもある。
百頁からの内容を三十分で喋る場合、一冊の内容を三十分二回で片づける場合など、台本製作については、まだいろいろと話があるが、こんなふうに書いていると、 台本のことだけで紙数が尽きそうだから、この辺で話術の方へ移る。
●作り声はいけないこと。地の文句せよ、会話にせよ、自分の持ってる自然の声を生かして使うがよろしい。ことに地の文句を読むときは、当人が日常何気なく用いている声が、一番適当である。作り声というものは、聞いていると飽きがくる。喋っていても、だんだん苦しくなり勝ちである。何よりいけないことは、不羈奔放[ふきほんぽう]の変化が、作り声の場合はむずかしくなる。 
会話の場面は、ある程度の作り声は、人物の相違を表わし、性格を現わすため、やむを得ないときがある―――しかし、それもある程度であって、声帯に無理をさせて、 いわゆる声色を使う必要はない。しからば、ある程度とはいかなる程度か? 当人の地声が三割なり五割なり残されている程度であるといえよう。
先代天中軒雲月女史は、七ツの声の持ち主とかで、子供が出れば子供の声、それも五歳の子供、十歳の子供に仕分ける。男が出れば男の声、それも青年、中年、老年と鮮やかに仕分ける。実にその点大したものである。だが、浪曲としては一種の邪道ではないか、と私は考える。あれはつまり声帯模写入りの浪曲で、いわば所どころに写真版の切りぬきを貼りつけた、絵画のようなものである。それはそれでまた珍品といえるけれど、純粋の絵画芸術ではあるまい。だからもし雲月女史が、自分の地声ゃんと残していて、それだけの人物を描写できるなら、彼女の浪曲はもっと素晴いものとなると私は思う。
でも、浪曲の場合は、台辞[せりふ]と台辞との間に、適当な節が入って、全体を曲りなりにも結びつけるから、まだしも救われるが、これが物語となると、言葉コトバ言葉コトバ言葉の連続なのであるから、その中に声色が入ると、その部分だけ飛び離れてしって、全体の打ち壊しとなる恐れがある。
もっとも、出て来る人物のすべてが、声色でそれぞれの変化を現わせれば、それまた結構な聞きものであろうが、実際においてそれは、不可能である。そんな声帯持ち主はあるまい。―――――もしあるとしても、それは日本中に(あるいは世界中に)一人か二人で標準にはならない。そこで、相当に(あるいは相当以上に)達者な声帯の持ち主でも、出てくる人物のある部分が声色で、ある部分は地声という結果になる。 これは聞いていて、はなはだヘンテコな感じとなる。女優の扮した芸妓と、男優の扮した芸妓とが、同じ舞台で、色男の奪い合いをする芝居を見ているヘンテコさに似ている。
●単調平板を避けること。物語の放送者が、もっとも聴取者を退屈させ勝ちなのは、地の文章を読むときである。台辞の方は恰好がついても、なかなかの文章は、もち切れるものでない。仮りに俳優が物語をやる場合、すなわち台辞(会話)のところは、 お手のものだから。たいていの人が巧くやれる。しかし、これが地の文章を読む段になると、たいていは落第である。逆にアナウンサー(放送員)が、物語をやるとするーこれはきっと地の方は割に巧く読めるが、台辞になると落第ということになるであろう。
心理の説明、情景の説明ーだいたい地の文章は、そうしたものだが、由来、このセツメイということが面白くないものなのだ。それを退屈させずに、臭味をもたせなから、読んで行くということは、容易な仕事でない。
烏滸[おこ]がましく「物語放送のコツ」などという文を書いている私自身、あんまり長い地の文章の朗読には、はなはだ自信がもてない。だから、いつでも地の文章は、なべく短く短くと心掛けて原作者には済まないが、青い鉛筆を用いて行数を減らしてる始末だ。
なぜそんなにむずかしいかというと、とかく単調平板になり勝ちだからである。 聴取者はこの単調平板をもっとも嫌う。むろん放送者の方でも、それは百も承知のことだから、できるだけ苦心して単調平板を避けようとする。そして、一種の節をつけたり、メリハリをつけたりして、聴取者の注意を引っ張って行こうとする。
ところが、その節廻しや、メリハリが同じように何回も繰り返されると、やっぱり早調平板の感覚しか与えない。
極端に言うと「マ」さえ巧くとれていれば、ノッペラボーの棒読みでも、ある程度までは聴取者を引きつける力がある。
(この問題については、第一部総説において、すでに述べてあるから、あとは略します。ただ一言お断りをしておきますが、「間」というのは単に黙ってる間というだけの意味ではありません。広く申すと全体のリズムのバランスの問題であります。)